「人生模様をクローズアップでみれば時には悲劇に映るが、ロングショットで展望すれば、喜劇と映る」2005年11月05日 14時14分30秒

チャールズ・チャプリンのお言葉だそうです。けだし名言。この胃の痛みも、彼やおいらの言動も、所詮は未来の笑い話の肥やしにしかならん運命なのでしょう。

なんだか泣き声が聞こえるみたいですが、もはや見る必要もありません。見てもいいけど。おいらがどれだけひどい行動を取ってるかぐらいは分かるかもね(そういうことにしておきます)。

。。。いや、個人的には、別に匙を投げたりするつもりは毛頭ないのですが。。。本当は、ほったらかしにしてあげて、一人でゆっくり考える時間を持つ(いい形で頭を休める)のが一番よいのではないかと思うのですが、どうしても、厄介な出来事というのは起こってしまって、ほっとけなくなって動いてしまうということがちょくちょくあったもんで、おかげで体力・精神的にも仕事に集中できていないために出向先の社員さんから注意を受けたり(警告にも近い、というか、契約にも響く、というか…)、なんだか知らんけど一日に4~5回も便器にまたがってうんうん唸らなあかんかったりしていたわけなんですが、まぁすべて自業自得なんですけどね。。。

かの人がここを見てくれているのかどうか、正直よく分からんのですが、もし、見てくれているのであれば、以下のような言葉でも贈ってあげたいです。会って直接話せって? 駄目。どうしても、お互い感情的になってしまうだろうから。

  • 考えることと、思いつめることは、同じではありません。「反省」と「後悔」はまったくの別物です。「反省」は常に未来への考察を伴い、発展的な解決策を求める行為です。「後悔」は、ただ自身を追い詰めるだけです。
  • 人に愛されたいのなら、その人を愛さなければいけません。でも、人を愛したからといって、その人から必ずしも愛されるとは限りません。
    愛されることを期待して、人を愛しようとする行為は、愛ではありません。愛に条件を求める人は、長期的にその相手を苦しめ、信頼関係の破綻を招くことになります。
    「愛される」は、「褒められる」、「優しくされる」、「思いやられる」、「評価される」などに言い換えることもできます。
  • 人を思いやることと、人を甘やかすことは、違います。甘やかされれば、人は楽になり、そして弱くなります。その人が望むものと、その人にとって必要なものは、必ずしも同一ではないのです。
  • 覚悟とは、自分でするものです。他人に押し付けるものではありません。自分にとって都合のよい行動を他人に期待している時点で、それは覚悟とは言いません。
  • マーフィーの法則は、単なる悲観論ではありません。失敗する可能性のあるものは大概失敗しますが、だからこそ、自分たちにできる限りのことを尽くす意味があるのです。人の仕事とは、そうした誇りの上に成り立つものではないでしょうか?
  • 自分に「向いている」事をして生きてゆけばよいと思います。それは、必ずしも憧れるようなものではないかもしれません。もっとも、あなたが憧れないことであっても、それをしている人たちにしてみれば、とても誇らしい人生であるかもしれません。
  • 自分に手を尽くしてくれる人を、信頼してあげてください。おいらのことではありませんw。ときに彼らは厳しいことを言うかもしれませんが、今のあなたにとって必要なものを、彼らは見据えているのです。

順番めちゃくちゃw。まぁいいか。そろそろ飯にしよう。。。


Sun Nov 6 09:37:30 JST 2005 - 追記

一番最初のアイテマイズについて補則。

多分、これ、分かっていても、なかなかできることじゃあないと思います。容易に「後悔」を「反省」に(思考じゃない状態を思考に)転ずることができるのであれば、おそらくこの厄介な病気は、ほぼ完全に治ってしまっていると見てよいでしょう。まともにものを考えられないからこそ、人はつい、後悔ばかりをしてしまうのです。

これはなにも精神疾患の方だけではなく、普段からものを考えることを怠って生きてきた人間の多くが陥っている状態であると思います。ただし、怠ってきただけであるならば、ちょっとしたトレーニングで割と短時間のうちに、まともにものを考える頭を作ることができます(あるいは、物凄く興味を引くものを見つけた瞬間、とか)。精神疾患の場合は、ものを考えるという状態に自分を置くだけの気力を持ち合わせていません。だから、気力を取り戻すために、とにかく頭を休めるしかないのです。

この数ヶ月間の間に、似たような状態を少しだけ体験しました。おそらくこれは初期症状だったのではないかと思います。初期症状といっても、風邪でいえば、せいぜい、雨にぬれてちょっと体が冷えちゃったから鼻がぐじゅぐじゅするとか、多分その程度。熱いシャワーを浴びて、体をしっかり拭いて、暖かい格好をしていればすぐに引くぐらい。だから、自分のそういった状態が「思考」ではないことに自分で気づくことができたし、仕事しながらでも数日間の調整で、すぐにまともさを取り戻すこともできました。逆に言えば、気づくことができなかったり、そもそも知識として持ち合わせていなかったりすれば、そのままエスカレートしていったかもしれません。

そういった性質のものであることはなんとなく分かるので、本当は、「後悔するな、後悔するのに頭を使うくらいなら、むしろ反省しろ」などとは、強くは言えなかったりもします。

ただ、それでも、心掛けているのと、そうでないのとでは、やっぱりずいぶんと違うだろうとは思うのです。病気だからといって、自分の弱さに甘んじてはいけないと思うのです。病気だからこそ、治さなければならないと思うのです。病気に甘んじるというのは、風邪でいえば、「熱が出ていて頭が思うように働かないから、仕事は大して進まなくても仕方がないよね」と思うことです。まともに仕事ができないほどの高熱ならば、そんな足手まといは出勤などせず、病院いって薬もらって、家で安静に寝て治癒に専念すべきです!!! 「そうもいっていられない」と思っているのは、恐らく自分だけ。事情が事情ならスケジュールなんていくらでも調整が利くものです。体調悪い人間にいい加減な仕事されるほうがよっぽど迷惑。

なので、とりあえず、考え事ばかりしてしまう、あるいは心理的につらい状況になってきたら、とにかく寝てしまうなどしていったん頭を休め、起きてみて調子を取り戻してみてから、寝る前の考え事が本当に「思考」だったのか、ちょっとだけ振り返ってみると良いのではないかと思います。こういうのもトレーニングなので、繰り返していくうちに、少しずつ、記憶力や、物事を整理する力なんかを、取り戻していくことができるんではないかと思うのです。