もっとも、おいらがお邪魔した一番の理由は、今の状態の 2 人 — G と、その奥さん — を、2 人だけにしておくのは非常に危険だという直感があったからです。G はうつ病患者で、先日退院したばかり。当日は病状自体は比較的安定していましたが、深層心理のベクトル (とでもいうべきなんだろうか) に変化は無く、病気からの回復には時間がかかりそうであることは、G のブログを興味深く読んできた方々や、実際に付き合いのある友人達には良くご存知かと思います。そして、 — これはあくまでおいらの見立てであり、実際に医師に診てもらったわけではないのですが — G の奥さんは恐らく介護うつを患っており、ことさら、以下の 2 つの状況に対して、強い強迫感を抱き、過呼吸などの具体的な症状を併発することがある、という状態です。
以下に、その時の出来事をメモとして記します。ドラマチックな内容ではないので、そういうのを期待している外野の方は読んでもおもしろくないと思います。それから、関係者の方で、読んじゃうと精神的につらくなっちゃいそうだと思う方は、読まないほうが良いかもしれませんので、下のリンクはクリックしないで下さい。
10:30 過ぎに G から C 駅にいるとの連絡を受け、T 駅で待ち合わせたのが 11:00 ごろ。T 駅で再び連絡がくるかと思っていたおいらは、駅の北口のベンチでパンをかじりながら据わって待っていたのですが、連絡こないなぁと思いつつ電話を入れたらすでに T 駅のホームのベンチに腰掛けているとの事。ホームで合流し(感動的な再会の瞬間)、そのまま電車で N 駅へ。
第一印象は、ていうか G 、太ったなぁ、だった。入院生活で過食が癖になってしまったんだそうな。株の話もした。「売ると値が上がるんだよね~」とか言うので、「それでも買う時よりは高い値段で売ってるんでしょ?」と聞いたら、「いやいや、損切り損切り」との事。。。値が下がり始めると怖くなってすぐ売ってしまうらしい。だからそんな精神状態で株なんかやるなっつーの。と助言しておいた。
N 駅に着くと、昼飯の相談の為に G が奥さんに電話 (つか、おいらが電話させた)。昼飯の準備はしていないとの事だったので、近くのスーパーでカップラーメンを買い、さらに道中のパン屋で菓子パンを人数分買って自宅へ向かう。パンを勧めたのはおいらの機転だったが、奥さんがこれが好きだから、と彼女の為にチョココルネを選んだのは G だった。
自宅に着くと、G は速攻で奥さんにティファニーオープンハートリングをプレゼント。奥さんは。。。正直困惑している様子だった。まぁ、そうだろうな、とは思ったが、おいらは敢えて黙っておいた。ちなみに、奥さんは風邪を引いていたようで、体調的にもちょっと辛そうだったようだ。
昼飯、カップラーメンは乾燥ねぎが分離できないものだったようで、ねぎ嫌いの奥さん激怒。まぁでもこの時は G は素直に平謝りだった。このときからおいらはすでに内心かなーりドキドキだったわけですが。。。
昼飯をおえると、おいらは上の部屋で ERK の鯖メンテを、G は下の部屋で自分のマシンの復旧作業を始めた。奥さんはこっちのほうが暖かいからと上の部屋に残り、iPod に音楽を入れるなどの作業をしていた。
お茶にしよう、と奥さんが G を呼び、2 階の部屋でお茶を始めた辺りから、話がだんだん、2 人の今後に関するコアな話になっていった。実は、おいらと奥さんは事前にこの日の事について打ち合わせをしていて (と、いうか、おいらが相談を受けていた)、とりあえず G が「これからもずっと一緒にいよう」というような話をし始めたら、G の精神状態を不安定にしないためにも (そして、この奥さん自身の精神状態のためにも)、今回はとにかく (うそでもいいから) 素直にうなずいておくようにしたほうがいいだろう、ということで口裏を合わせていたのだが、話の流れ的になのか、あるいはすでに奥さん自身の精神状態が冷静さを欠いていたのか、打ち合わせどおりというわけにも行かなくなってしまっていたようで、ただ黙り込んで首を振るだけ、という状態になってしまっていった。
夫婦のことなので、おいらは横から口出しできる立場ではない。ノートパソコンを眺めるふりをしながら、2人のやりとりを注意深く静観していた。そのうち、G が奥さんのことを責めるような内容に変わっていった。曰く、会社を休職になった辺りからちっとも会いにこなくなった、入院している間も月に何回かしかお見舞いに来てくれなかった、電話とかもしれくれないし、こっちから電話しても出てくれないし、他の入院している患者さんとかはみんな、だんなさんとかがしょっちゅうお見舞いに来てくれるのに、等々。。。
そして、G が「病院で言われちゃったよ、貴方の奥さんは病気に対して理解が無いですね、って。」と言ったのを引き金に、奥さんは過呼吸を起こした。(— やっちまった) 、そう思いながら、慌てておいらは奥さんのほうへより、手を握ってほぐしながら、とにかく息を整えるよう、落ち着くように言葉をかける。その様子を見ながら G が一言ぽつり — 「こうなっちゃうともう、何も言えなくなっちゃうんだよね。」
そして、今度は突然、G が立ち上がった。おいらは直感的に台所のほうへ行くんだろうなとわかり、「どうした、G —」と声をかけながら G を追いかける。台所で、G は、 — おいらが予想した通り — 左手に包丁を握って、自分の右腕に向けようとしていた。
後ろから羽交い絞めにするように、G の両腕を掴んで押さえつけた。「切っちゃだめだ。それだけは絶対にだめだ。」 更においらは付け加える。「今、おまえは、奥さんに振り向いてほしくて、自分の腕を切ろうとしたんだよな? だけど、そういうことを繰り返しているから、奥さんもつらくなってしまったんじゃないのか?」と。そして、泣き崩れる G の手から、包丁を取り上げる。
G はこのとき、幼児帰りしていたと思う。泣き崩れて、座り込みながら、「どうしてこうなっちゃったの? ボク、悪いことした? ねぇ、ボク、何か悪いことした? もう、ボクわかんないよ—」と、叫び声を繰り返した。
善いか悪いか、では無いと思うのだ、おいらは。もはや、理屈では説明できないような状況になっている。もちろん、奥さんも病気なのではあると思う。でも、病院に通えば直るというような、そんな単純な話ではないだろう? 事実、G は会社に通いながら、心療内科に通院していた。半年以上もだ。それでどれだけよくなったというのか?
実は、G がリストカット (未遂) という行動に出た時点で、おいらはもう、G の親か、もしくは日影なすか@DRKあたりを呼んで、車で G の実家へ強制送還してもらうしかないかとも思った。しかし、それをやってしまえば、このことは確実に G の中で深い禍根として残ってしまうだろうし、なによりなすは出るつもりだった会社の打ち上げかなんかを欠席しなきゃならんほどお疲れだったようだし、@DRKも最近は土曜出勤が多いから仕事中だったら悪いし、ということもあって、結局やめておいた。
若干落ち着いてきた様子だったので、とりあえず G を抱き起こして台所から引き離し、頓服を一つ飲ませた。奥さんの側に座らせると、奥さんの側に擦り寄って、また懇願を始めてしまった。しかしそうしているうちに、今度は G が奥さんのことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになった。「ずっと一緒にいるって言ってよ、お姉ちゃん — !!」
おいらが思わず、「ん? お姉ちゃん?」と声に出してもらしてしまうと、奥さんはちょっと冷静さを取り戻したようで、笑顔で「ごめんね、私は、あなたのお姉さんじゃないよ。」と言った。それに対して G は、「あれ? そっかー、お姉ちゃんじゃないのかー。」と返した。結局、奥さん自身が機転を利かせて、「一休みすれば、お姉ちゃんのこと、思い出せるかもしれないよ。」と言って、G を下の部屋に寝かしつけ、それでとりあえずは事なきを得た。
こんなことが翌日の夕方まで続くのか — 。おいらはもうこの時点ですっかり疲れきってしまった。それ以上に、奥さんも疲れきってしまっていた。相談して、やっぱり友達に助けを請うことにした。なす、@DRK、HOLSTEIN の 3 人に、「助けてほしいけど、無理にとは言わない。ただ、助言してくれないか。」といった内容のメールを送った。個人的には、薬学出身で、この病気に対しても一定の知識と関心を持っていて、それでいて一番フラットなポジションを保っている@DRKの助言に期待していたのはヒミツ。
即座に返信をくれたのは HOLSTEIN だった。手も空いてるし、今からコンビニ弁当買ってそっち行くよ、ということだったので、奥さんはもう買い物やら夕食の準備やら出来る状態でもなさそうだったし、そいつはありがたい、ということで、来てもらうことに。
お茶にしたのが 14:30 頃、過呼吸、リストカット(未遂)があったのが 15:00 過ぎ、 G を寝かしつけたのが 16:00 前。奥さんも上の部屋のソワーに、倒れこむように眠ってしまった。G が再び目を覚ましたのが 17:00 頃だったかなぁ。日はすっかり暮れていた。G は正気を取り戻したようで、また、下の部屋で自分のマシンの復旧作業を再開していた。ハードディスクに不良クラスタが見つかったとか何とか。んで、そうやってまたーりと時間を過ごしているうちに、HOLSTEIN がやってきたのが 19:00 頃。奥さんを起こして、コンビニ弁当で夕食を済ませた。このあたりは、ずいぶんと和やかな空気が流れていたと思う。
@DRK、なすからも相次いで連絡があった。なすは、G のストレスを気遣いながらも、明日、早いうちに帰したほうがいい、と助言してくれた。自分が行ってもいいが、逆効果にもなりかねない、ということも書いていた(ただいま G となすはけんか中、ということになってる)。それでも、どうにもならん時には行くよ、とも書いてくれた。@DRKからは、とりあえず明日人手が必要なら行くよ、ということだった。また、おいらがメールで書いた出来事の概要を見て、今、G とその奥さんの 2 人を一緒にいさせるのは危険だ、とも書いていた。
晩飯後、人が多くなってしまって風呂を回すのも大変なので、銭湯へ行こうということになって、銭湯へ行ってきた。そこで、G に、今日あったことを覚えているか聞いてみたら、やっぱり「覚えていない」、と答えた。幼児帰りしていて、奥さんのことを「お姉ちゃん」と呼んでいたことなどを話した。覚えていないんだとすれば、解離性同一障害の疑いもある。一応医師には相談しておいたほうがいいかもしれない、といったことなど。
風呂上りに、今後のことについても提案してみた。今日、おいらが見ていた限り、今の G と奥さんの二人の状態で、二人一緒に住まわせておくことは、非常に危険だ、ということ。もし、今日、おいらが同席していなかったら、何が起こっていたかわからなかった、ということ。自宅帰宅はリハビリのため、ということだったが、奥さんも一緒に、ということになれば、これは G 一人の問題ではなくなる、ということ。少なくとも、奥さんは、今は G との生活に慣らすリハビリをするべきときではない、G が仕事を休んで静養しなければいけないのと同様に、奥さんも、G との生活を休んで静養させなければならないだろう。ただ、G が帰宅リハビリをする場合、G 一人を自宅にいさせるのもそれはそれで危険だとも思う。だから、自宅に帰宅する時には、あらかじめおいらか他の誰かに連絡して欲しい、おいらとかなら、用事さえなければいくらでも付き合えるから、というようなことを。G 自身も、とにかく自宅に戻れるようになりたいんだ、ということを強調していたので、いきなり自宅に戻って奥さんとも一緒になって仕事も、と焦るのではなく、リハビリなんだから、一つ一つゆっくりこなしていけばいいんじゃないか、と意見した。G は、完全には納得していない様子だった。
あんまり話し込んでもまた G や奥さんに負担をかけるだけだと思ったので、この話は早めに切り上げて、銭湯を出て自宅へ戻った。道中、@DRKから、「役立つかどうかわからんが、今向かっています」との連絡を受けた。なんにせよ、こうしてピンチの時に、助けを求めた友人に来てもらえたり、助言してもらえるというのは、本当にありがたいことだ。
@DRKはツーリングの後だったということで、相当お疲れだった模様。無理してきてもらったけど、その日は結局することも無く、挨拶だけ交わして帰っていった。その後、程なくして、2階の部屋に布団を敷き、4 人一緒に、床に入った。
翌朝、目を覚ましたのが 10:00 頃。布団を片付け、ちゃぶ台を出し、昨夜、銭湯の帰りにおのおの買っていた朝食を食べた。朝食後、おいらと G がふざけてエクササイズ用のゴムまりを投げて遊んでいたら、G が誤ってボールをちゃぶ台の上のものにぶつけてしまい、それを見た奥さんが激怒。その激怒っぷりがいくらなんでもおかしいんじゃないか、と、今度は G が逆切れし、睨み合いを始めてしまった。さすがに今度は慌てて二人を静止し、何とか宥めたが、それが引き金か、G はその日は一日中うつむきかげんだったように思う。
この出来事を速攻で@DRKに伝えると、とりあえず昼飯時に合わせて来てくれるということになった。
昼時まで時間もあるし、最近出来た近くの美術館へ寄っていこう、ということになり、某美術館へ。1時間半近く時間をつぶし、それから、ちょっと歩いたところにあるお蕎麦屋さんへと向かった。@DRKとはこの蕎麦屋で合流。
蕎麦を食した後、市民楽団の練習があるから、ということで、ここで HOLSTEIN とはお別れ。そして、ジャパンカップの馬券を買うため、最寄の競馬場へ (さすがにここまで書くとどこに住んでるんだかわかっちゃいそうな気もするなぁ ^_^;;)。
G と奥さんはゼンノロブロイを軸にいくつかを合計 1000 円とかで賭けていた模様。おいらだけ一人、まぁせっかくやるならおもしろくなきゃ、とか言いつつ、馬連でゼンノロブロイとタップダンスシチーの 1000 円一点買い。この買い方に、他の 3 人は驚いていたようで、特に、これのおかげで G が余計に興奮してしまった。今考えると、正直やめときゃ良かったと思う。。。
結果はまぁ、みんな大外れだったわけですが、自宅のテレビで競馬観戦後、それじゃあ、そろそろみんな解散しようか、ということになり、みんな帰り支度を始めて、正にこれから家を出よう、というところで、再び G のうつ状態が出てきてしまった。このときの時刻が 16:00 頃だったかな。ジャパンカップで興奮した分、精神状態の波が引いて、逆に深く落ち込んでしまったのだ。
下の部屋で、G と奥さんがやり取りをしていた。おいらと@DRKはその時すでに玄関で靴を履いていたのだが、様子がおかしかったので部屋の入り口に立って様子を見てみた。G は、いつのまにか、はさみを手に持っていた。奥さんがなだめながら、そのはさみを取り上げた。G は、「だって○○ちゃん、まるでボクのお嫁さんじゃないみたいなんだもん。」と言った。そこから、幼児帰りが始まり、また、奥さんのことを「お姉ちゃん」と呼びながら、泣き叫び始めた。もっとも、G の顔を覗き込んでみると、涙は流れていないようだったが。
演技ではない。これは確実だと思う。涙を流していなかったのは、別に嘘泣きだからというわけではないと思う。ただ、G が幼少の頃より送ってきた家庭生活の中で、自分を保ちながら生き抜くための処方術として、身に染み付いていたものが、こういう形で表に出てきているのだと思う。
このときの奥さんは意外にも冷静で、G をなだめすかしながら、「上の温かい部屋で少し休んでから行こうね」と言って、G を 2 階へと促した。このとき、おいらと@DRKは玄関先で、G の親に頼んで車で来てもらった方がいいだろう、と言うことを小声で確認しあった。うえの部屋に上がると、G に頓服を飲ませ、毛布をかけて寝かしつけてから、奥さんにこっそりと G の実家の電話番号を聞きだし、おいらが下に降りていって G の父親に車で迎えに来てくれるよう頼んだ。
結局、待つこと 2 時間半、18:30 頃になって、G の父親が車で到着、2日間の状況を軽く説明したあと、G を車に乗せてもらって、帰っていった。とても寒い夜だったので、調子を崩していた G のことを気遣うならば、間違った判断ではなかったと思う。
さて、この長い長い二日間は、これで終わったわけではなかった。このあと、残ったおいらと奥さんと@DRKの 3 人で、どこかで食事をしていこう、ということになり、@DRKに車を出してもらうべく、とりあえずおいらと奥さんは T 駅のデパートで時間を潰し、@DRKが車で迎えに来るのを待つことにした。
そこで、奥さんのケータイに、G から電話がかかってきた。無事、実家に着いたという連絡だった。G は最後の最後で調子を崩してしまったことを反省してか、電話口で謝っていたようだった。奥さんは、それは仕方がないことだとなだめながら、昨日、おいらが言った「一つ一つゆっくりこなしていけばいい」という言葉に倣って、「ゆっくり治して行こうよ」と言葉をかけた。
ところが、その一言が、後に彼女自身に重たくのしかかる結果となってしまった。@DRKの車に乗って、G 自宅から程なく近い場所にあるレストランで食事中、ふとしたときに、G のその後の様子が気になったのか、奥さんがケータイで G のブログを読み、更新されていた日記を読んで愕然としてしまった。さっきの「ゆっくり治して行こうよ」という言葉が、二人でゆっくり病気を治して、いつかまた一緒に暮らそう、と言うような意味に捉えられていたからだ。彼女は、この言葉に、そこまで深い意味を込めたつもりはなかった。ただ、G の気持ちを楽にさせたくて、出た言葉だった。G の日記を読み、G が奥さんとのよりが戻ってくることの期待を膨らませていることを知ったことによって、「やっぱり私は G やその家族の呪縛から逃れることはできない」と思ってしまった。その気持ちが、彼女の心を自分自身で追い詰めてしまった。
彼女が「これじゃあ私、自分で自分を追い詰めちゃってるよ…」と言うので、おいらもその場で自分のケータイで G のブログの内容を確認した。彼女の言葉の意味を悟り、ふと、彼女の方を見やると、思いつめたような表情でうつむき、半握りでこわばらせた手を胸元に当てていた。過呼吸を起こす前兆に、決まって見せるポーズだった。おいらが彼女の手を取り、手や腕を軽く揉み解しながら声をかけると、彼女は止まらない涙を落とし始めた。
その日は彼女は G 自宅に帰る予定だったが、抑うつ状態を繰り返して明らかに疲弊している彼女を G 自宅に一人にしておくのは危険だろうとおいらと@DRKは判断し、結局、彼女の実家までそのまま車で送り届けた。
こうして、長い長い二日間は、ようやく幕を下ろした。
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