死刑執行の実態とか2006年10月01日 13時18分14秒

あんまりしつこく引き伸ばすようなネタでも無いんだけどね。

これ、なかなか興味深い記事です。まずはご一読を。

ポイントは、ずばりここ。

杉浦正健前法相が死刑執行命令書の署名を拒んだまま退任したことが、“波紋”を残している。本人が退任後も沈黙を守る中、歴代法相では異例の「在任中の執行ゼロ」がもたらす影響について関係者がさまざまな思いをめぐらせる状態だ。

異例なんだそうです。つまり、慣例だった、ということですね。

死刑執行の実態について興味深い記事を見つけたのでそちらのポイントも示してみましょう。

かなり古い記事ですが。。。注目すべきは 2000 年 12 月 1 日執筆の以下の部分。

今回の執行は、その情報を事前に得た死刑廃止議員連盟の所属議員が、松尾邦弘法務事務次官らに直接面会し、同人らに対し、死刑執行の中止を申し入れているさなかに、これをあえて無視して強行したものです。

さらに今回の執行は、本年6月9日に死刑執行ができなかったこと、内閣改造が直前に迫っており、このままでは、死刑執行をしないまま法務大臣が交代してしまうことになることをふまえて、死刑執行ゼロの年を作らないために、また死刑執行をしない法務大臣をつくらないために、あえて行われたものであって、極めて恣意的にして政治的なものです。

1993年に執行が再開されて以来、8年の間に39人が執行されましたが、再開前の8年間には、10人の執行であり、実に4倍もの大量執行となっています。しかも、93年の執行時には、死刑確定から執行までの期間は12~13年であったものが、執行のたびごとに短くなり、今回はそれぞれ6年10ヶ月、6年8ヶ月、5年7ヶ月と、ほぼ2分の1にまで短縮されており、死刑をめぐる法務当局の対応は、暴走というほかありません。

ポイントは 2 つ。

死刑執行のきっかけは、「慣例」によって成立する。

別に刑務所の空きがなくなったからとか死刑確定時に何らかの基準で保留期間が設けられるとかそういう政治的に合理的な理由によるきっかけがあるわけではなく、どちらかというと慣例的・儀式的な理由によって行われている、というのが現状のようです。だから、冒頭で紹介したような話題が、わざわざニュースとして取り上げられるというわけですね。

被害者感情への配慮、というわけでも必ずしもなさそうです。上記の記事の発信元である「死刑執行抗議集会」とやらでぐぐってみると、以下のような記事を見つけることができます。

これまた相当古い記事だったりするんですが。。。てゆか亀井のシズカちゃんとかいるのねw 彼が本気の死刑反対論者なのだとすれば、彼の行動は所謂死刑反対論弁護士たちよりよっぽど合理的ではある。

で、まぁ、この記事をだらだら読んでてもイマイチ話のピントが合ってこないので、この話のネタになっている「長谷川死刑囚」でぐぐってみっけた↓の記事を代わりにご参照くだちゃい。

よーするに被害者遺族の一人が死刑執行の停止を求めていたにもかかわらず、法務大臣の引継ぎでその意思が引き継がれなかったんだか何だかよーわからんけれども、結局死刑は執行されちゃったっていうお話。もちろん、被害者は一人ではなかったわけで、原田さん一人の意思を以って被害者の総意とするわけにはいかないわけですが、それでも必ずしも被害者が常に死刑確定者に対して刑の執行を望むわけでは無いし、執行されたからといって感情的に報われるってわけでも無いという一例。そして、死刑執行側も、必ずしも被害者感情を汲んだ死刑執行のスケジューリングを行っているわけではなさそう、という実例なわけです。

結局、死刑囚の死刑執行がいつ行われるか、なんてのは、政府の腹持ち次第、というのが現状であり、仮に死刑が廃止されて終身刑制度となったときに考えられる「囚人脱獄の不安」と同じような不安が、現行制度下において払拭されているのかどうかは極めて疑問です。もっとも、凶悪犯罪者を同時に拘留する人数が少ないという意味では、確率論的により安全と言えるのかもしれませんが。。。

所詮 8 年間で 39 人である

もうひとつのポイントは、死刑執行人数実績。年間で平均してわずか 5 人です。刑務所の維持にかかる税金についての指摘はよく耳にするのですが、刑務所入りしてからの平均寿命をおおざっぱに 40 年として、最大で 200 人前後の極刑囚人を余計にかかえることになります。これを多いと見るか、少ないと見るか。

人数だけで見るならば、彼らに飯を食わせる費用は微々たる物です。ただし、200 人を収容するのに新たに施設がもうひとつ必要、ということになれば、一時的に、若干お金がかかることになります。そして、将来的に社会情勢が常に現状維持となるとは限らないため、この人数は増える可能性もあります。

しかし、いずれにせよ刑務所は増やす必要性に迫られています (まず職員が足りていないし、キャパが足りないからという理由で安易に仮釈放してしまうという実態もあったりするらしいし)。だからこそ部分的にせよ民営化を進めていったほうがええんでないのとは前回の記事でも書いた通り。

医療費については。。。はっきり言って、囚人だけ特別扱いしないでくれってのが本音。おれらだって自分で稼いだ金を払って医者に診てもらったり薬買ったりしているわけであります。囚人だって医療を受けて生き永らえたいならそれに見合った対価に相当するだけの労働を事前に (あるいは事後にせよ) 行うべきなんじゃないのかと。金がなくて結果医療が受けられなかったことを指して非人道的だとか言うんだったらホームレスはすべからく無償で医療を受けられなきゃおかしい。そんな道理が通るはずも無いでしょう。

とまぁだいたいそんなところでしょうかと。