フレンドは役に立つが、それよりトラブルの元になるほうが多いのである。 --Scott Meyers2006年11月08日 11時54分59秒

以下、持論。

交友関係というものは、出会いと別れを繰り返すうちに増えたり減ったりするものだが、実際にはその原理は消極的なものだと思っている。あるいはおいらがモノグサで出不精な人間だから余計にそう感じるのかもしれないが、何らかのイベントによりいっぺんに増えた交友関係が、時間が経つに連れ、各自の社交的力量などに応じて洗練され、絞り込まれてゆく。長い付き合いとなりうる友達というのは、そうやってできたりできなかったりしてゆくものなんではないかと思う。

mixi のような招待制 SNS は、過去に交流のあった人間と再び交流を持つ為のツールとして優れているように思う。しかしながら、交流を持ちきれずに疎遠となった人間達に対して、再び交流の輪を広げようとする行為というのは、いかんともしがたいほどのエネルギーを要するものなのではないかと想像してしまう限りなのである。

そして mixi の中にも社会は生まれ、秩序が育まれ、そして秩序を侵す輩が横行する。かつては mixi を通じて交流を広げることにのみ専念できていたのに、今では mixi をやるにもいろいろと考えなければならないことが多すぎるという不便を感じ始めている人も、実は結構多いのではないかと思う。

しかし、本来人との交流というものは、そのような数々の障害がある中で並行して (あるいは密接に関連して) 行われるべきことなのではないかと思うのである。そして、時には厳しく意見したり、時には一定以上の距離を置いたり、時にはしつこく突っついてみたりして、交流の輪というものはバランスを保たれるものなのではないかと思う。

かつてのインターネットには、繋がっている誰とでも友達になれるという「錯覚」があった。今でもそういう人は少なからずいるのかもしれないが、特に SNS 界隈には非常に多く残ってしまっている感覚であるように思う。

人を信用すること、フレンドリーであることは、悪いことではないと思う。しかし、信じるにせよ振舞うにせよ、そこに一定の「責任」が生じることぐらいは、肝に銘じておくべきである。

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