ただいま。2006年12月03日 09時33分06秒

うどんZ

昨日は喰いに行ったり飲みに行ったりで一日中出払っておりますた。ブログ月間はどうなったんだこのやろう>ヲレ。

写真は、昨日の昼に行ってきたうどん屋さん。名前ほど楽しいイベントは無かったwが、味はよかったよ。

便利な言葉と便利な辞書2006年12月03日 10時19分00秒

「普通においしい」って、便利な言葉よね。それが「どう」おいしいのかを具体的に説明することを巧妙に避けている感じ。別にその言葉が悪いとは思わないし、おいらも普通に使っているけど (←まさにこんな感じでなw)、場面や相手によっては、その言葉では気持ちが伝わらないかもしれない可能性ぐらいは、認識しておいた方がいいのではないかとは思う。まさに、「どう」おいしいのかを聞きたい人に対して、「普通においしいです」って説明しても、まぁそれで十分 (なんとなく) 伝わる場合もあるだろうけど、それじゃあわかんないよという人も当然いるだろうし、それどころかその表現自体が失礼に当たる場合もあるかもしれない (例えば自信を持って作った料理に対する感想として「普通においしい」と言われたら、怒る人もいるかもしれない)。

で、こういう便利な言葉って、あまりにも広い意味を持つし、解釈も人によって様々だったりする。さらには、かなり短いスパンで意味が変わったり広がったりする。おいらは言葉の専門家ではないので、この解釈が正しいのかどうかは微妙なんだけれども、例えば恐らくは味 (主に舌触り) を表す言葉として (確か「美味しんぼ」辺りで) 使われ始めた「まったり」という言葉は、いつのまにか、気持ちや雰囲気を表す言葉としても使われるようになった。それから、元々「鬱陶しい」という意味の「うざったい」が縮まってできた「うざい」という言葉も、今では「鬱陶しい」以外にも様々な意味 (全体として、人に対するネガティブな意味合い) で使われるようになってきている。こうした言葉を、例えば「現代用語の××」みたいな書籍で取り上げる分には、まぁいいんだろうけれど、Web 上で誰もが編集できる辞書として収録してしまうと、メンテナンスが大変だったり、解釈の相違で論争になったりして、結局はあんまり実用的ではなくなってしまうんではないかという気がどうしてもしてしまう。

一方で、こういった「便利な言葉」に対して、厳密な意味を定義する辞書が登場することによって、「便利な言葉」にたよったコミュニケーションの取り方しかできない人のコミュニケーション能力を矯正できるのではないかという期待もあるかもしれないけど、個人的には否定しておきたい。例えばそうやって「うざい」って言葉を封じられても、たぶんその手の人は「○○ってうざいし」って言う変わりに「○○ってアレだし」って言うようになるだけだろうし、そう言われて「あーあーあー」とか解ってないくせに納得した素振りを見せる奴も多分そのまんま。結局何にも変わらないと思う。

ただ、ネットを介して利用できる辞書システムの案は、面白いと思うし、それは「普通においしい」的な言葉でなくてもかなり便利なものだと思う。つか、Wikitionary なんてものが存在すること自体知らんかった \(^O^)/ 。