女子社会考2007年11月11日 11時50分14秒

軽く。

「男子のほうが女子よりも理論的」は誤解

経験的にもそうなんだけど、そうじゃなくても例えば徳光さんやみのもんたが理論的な思考の持ち主であるとは到底思えないのよね。

「理系のほうが文系よりも理論的」は誤解

これはさすがに言いすぎか(笑)。でも英語や古文や日本史や世界史がどうしても苦手で理系に進む奴は結構いたし、数学的思考なんてちっとも身につかないけど公式覚えるのは得意で問題は解けちゃうってのも結構いた気もするなぁ。学校での教え方・教わり方の問題、ってのもある気はする。

個人的にはこの傾向の差異は文系・理系よりも文科系・体育会系のほうが色濃く出ていた気がする。まぁ理論的にスポーツできる奴の方が伸びるんだけどな。。。

「理論的に考える=真剣にものを考える」??

んで、思い至ったのがこういうこと。もちろんこれは正しくないんだけど、誤解して使っちゃってる人は結構多いんじゃないかと思う。もっと言うと、これは正しくないながらも、結果としては傾向として割りと的を射ている。

よーするにありがちな女子社会に所属する女子って言うのは、物事を真剣に考えることを放棄してしまった人たちなんだな。物事を真剣に考えるとシリアスになって雰囲気悪くなって気分悪くなるってのもあるし、考えるのが面倒くさいってのもあるんだろうし。

んで、そうやって物事を考える訓練を普段から積まない結果として、いざ何かしらの問題に突き当たったときに、その物事に対して理論を展開していくということが出来ず、当人は考えているつもりでも、それは単なる感情の発露か、他人の言葉の受け売りでしかない、ということになりがちになってしまう。

そもそも「考える」ってのは常に理論的であるべきであって、感情ってのは「考えた結果」の出力ではない。「理論的に考えられない」ってのは、よーするに「考えてない (物事を考える能力が無い)」ってのと同義だ。その対象が科学的なことであれ、社会的なことであれ、文学的、肉体的、ゲーム的なことであれ。

人間誰しも、大人になるにつれて、真剣にものを考える機会は増え、そして慣れてくるものだ。KASOKEN の人が 女性に苦手意識がなくなったのは、30歳過ぎてからでしょうか。話の合う女性だっていっぱいいるじゃないか、と。 などとおっさられているのも、多分そういうことなんだと思う。所謂「まじめじゃない話」であっても、割とまじめに物を言い合えるようになるんだな (お子様の「多く」はこれができない)。

で、この「大人になるにつれて、真剣にものを考えられるようになる」率ってのは、女性のほうが高いんじゃないかとおいらは見ている。中高生社会では女子社会のほうが頭悪そうに見えるけど、大人社会では男社会のほうが頭悪そうに見える。女子社会の「マジー?」 「ウケるー!」 「超わかる!」と、男社会の酒飲んで愚痴ってクダまいてってのとでは、人間的向上心としての会話レベルに大した差異はないからなんじゃないかな。

ダウンロード規制反対論者は児童買春規制にも反対すべきだ。2007年11月11日 21時19分49秒

思いつきで書いてみる。

津田大介氏は、ネット上での無断複製のバラまきは「送信可能化権」に基づいて規制すべきだと主張している。おいらもその通りだと思う。

しかし、実際問題として、児童買春への取締りが、児童への性搾取という社会問題を解決の方向へと向かわせているという実績があるというのであれば、話は別なのではないか。結果として効果があり、副作用も少ないのであれば、ダウンロード規制についても方法のひとつとして検討するのはありなのではないかと思う。

もちろん、おいらは今、ハッタリを言っているのであるが、実際のところどうなのよ? という興味もいくばくか持っている。個人的には、児童買春規制が成果を上げているという数字が無理やり捻出された上で、「女児を金で買う輩は投獄できて、児童ポルノを金で買う輩は投獄できないのはおかしい」とかいう話になり、児童ポルノ所持までもが規制の対象となるというシナリオの方がよっぽど怖かったりする。気に入らない奴が出てきたら、そいつのスーツのポケットに、裸の女児の写真でも忍ばせてやればよいのだ。麻薬や拳銃なんかよりもよっぽど入手しやすいしね。

有害情報考2007年11月11日 21時47分06秒

「有害情報」という言葉自体に、マスコミ的な悪意を感じている人は少なくないんじゃないかと思う。この言葉には普遍的な定義というものが存在せず、たいていの文脈においては本当に何らかの害をもたらすという意味ではなく、書き手、もしくはせいぜい書き手によって「想定される」読み手にとっての「都合の悪い情報」ぐらいの意味合いで使われることのほうが圧倒的に多いからだ。この言葉は、実は「うざい」「ヤバい」「フツーに○○」並みに、世の権力者にとっては「便利な言葉」なのである。

「有害情報」として扱われるものの筆頭は、やはりポルノだと思う。純粋に「ポルノは有害だ」とする思想は、ほんのひとつの価値観の表れであるに過ぎず、思想・信仰の自由を憲法にうたうこの国において、これを国家が規制するということは、本来はあってはならないことだ。しかしこれを「有害情報」という取り扱いの下に規制する理由があるとするならば、それは公共の利益に反するから、ということになる。ポルノは情報であり、表現であると同時に、嗜好品でもある (余談だが、児童の性を描いた漫画・イラストが児童ポルノの対象として規制されることに反対する人々のうち、表現の自由自体については実はそれほど思い入れが無いにもかかわらず、これを標榜することによって自分らの好きなロリエロ漫画を守ろうとする人たちは、ポルノが嗜好品であり、嗜好品は時として規制の対象となりうるという視点に欠けている気がする。酒やタバコが課税対象となりながらもこの国において一定の地位を確保していることについて、彼らはもっと思慮をめぐらせるべきだと思う)。ポルノが過剰に蔓延れば、国民の労働力の生産性が低下し、国益に反することとなる。また、非科学的且つ古い考えだが、過激なポルノが引き金となって、類似する性犯罪が引き起こされないとも限らない、という見方もある。ポルノが歴史的に規制されてきた事情があるとすれば、概ねこういったことであり、国家の利益という本音と、国民が抱く一縷の不安という思惑が重なった結果、性に対する強硬な倫理観を表向きの理由として、合意がもたらされたのである。

もちろん今の日本のポルノ規制はこんな露骨な思惑の下に敷かれているのではなく、単に近隣諸国への配慮という名の事なかれ主義的なものに過ぎないんじゃないかと見ている。そうでもなければアウトローな連中はもっと徹底的に叩かれ、潰されまくっているはずだし、精液入れる代わりにモザイク入れとけば ok みたいな不文律もまかり通らなかっただろう。「18禁」だって別に法的な根拠は (児童ポルノ規制法が施行されるまでは) 微塵も無くて、単なる自主規制で一般的に引かれたラインに過ぎなかった (恐らく男子の結婚が許される年齢に合わせたのだろうと思う。結婚できる歳の奴にエロビデオを見せないようにするのもナンセンスだし、みたいな)。

さて、今回の池田さんの記事では、「有害情報」という言葉が、ブログの「炎上」や「はてなブックマーク」などを使ったいやがらせ のことであると定義されている。

もちろん、おいらとしても、それが本当に「いやがらせ」であるならば、それは良くないことだなぁとは思う。もっと明白に、例えば恫喝といった類の言葉に至るのであれば、さすがにそれは法的にも処罰の対象とならざるを得ないものであるかもしれないとも思う。「これはひどい」程度ならまだしも、「ぶっ転がすぞ」「死ねばいいのに」はさすがに怖いとおいらも思う。

ただ、そういった行為を、「有害情報」だからどうにかしろ、と言うのであれば、それは違うだろう、とおいらは念を押したいところだ。行為については個別に罰するべきであり、恫喝の嫌疑にかけられるならば、それこそ警察に告発した上で、警察経由ではてなにログの提出を要請し、法に基づいてしっかり訴えてゆくべきことだとは思う。しかし、特定の言葉に対して「有害情報」認定し、それに基づいて特定の場を「有害情報が流通する場」と認定してしまうような法運用は、言論に対して国家が敷く強制力としては、あまりにも強すぎるのではないかと思うからだ。そこまでの強制力を国家に認めてしまえば、国民が本来権利として持つべき「表現の自由」は、まさに 公権力との関係で問題になる。そのような事態は、絶対に避けられなければならない。

Trac 微妙。。。2007年11月13日 00時47分47秒

職場で Trac というタスク管理ツールを使っているのですが、最近なんだかこいつが微妙だなぁと思えるようになってきた。

どういうことかというと、タスク管理って、出来るだけ細かく細かく再分化したほうが、仕事の能率は上がりやすいんだけれども、このツールはタスクを細かく管理するには機能が豪華すぎちゃって、細かくタスクを設定するだけでひと苦労な上に、そのメンテナンスにもひと苦労だったりするので、使い込めば使い込むほど使いにくくなってしまう感があるのだ。

おいらとしては、仕事内容について長々と説明するための欄も、ステータスの多くも省いてしまって、タイトルと、コンポーネントと、モジュールだけ入力できれば十分かな、とか思い始めている (強いて言えばそれらプラス 3段階程度の優先度かな)。タスクごとのメモ用掲示板も必須だけど、Wiki 文法使えるようなリッチなやつじゃなくて、一行コメント程度の軽いやつでいい。

コンポーネントの選択もコンボボックスから選ぶ感じじゃなくて、マイリストにコンポーネントのリストがまずありきで、その中から選んで付近の「追加」ボタンを押すとその場にすぐ入力欄がぽこっと出てきて、タイトル入力するともうタスク追加完了、残りのステータスは随時入れてね、みたいな。

でもそれだけシンプルながら、しっかり svn との連携が取れていたりして、付箋紙的な UI でちゃっかりコードレビューとか出来たりするといいかも。でもプラグインで機能追加みたいな仕掛けは要らない。

あと、Trac を BTS 代わりに使うのはやっぱり無理があると思う。BTS ともなると今度は逆に Trac ではステータスが足りなくて力不足なんだわ。そういう意味でも Trac ってなんか微妙。。。

タスク管理と Wiki とソース履歴管理の統合環境って強力だからとってもいいツールではあるんだけどね。。。作るか?

MS Office 2007 のサイトからオンライン登録しようとするとオレオレ証明書が表示される件2007年11月30日 15時48分03秒

Microsoft Office 2007 インストール後に表示されるこのサイトから、「無料のオンラインサービスへの登録」をクリックしたら、上図の画面が表示された。オレオレ証明書は信用するわけにはいかないので、これより先に進めませんっ><

品質と人気の関係、あるいは品質の価格破壊の可能性について2007年11月30日 22時00分45秒

興味深い。けどちょっと引っかかる点があったのでそれだけ。

僕の私見になるが、コンテンツにとっての品質という概念の価値は、「品質の高い商品はより多くの人間の注意を引く、興味を喚起する」という点にある。つまり、品質が高ければ高いほど、多くのユーザーがそのコンテンツを高く評価する可能性が高まるということだ。リーチ率に直結している。それが品質の機能であり価値。

全体を読んだ限りでは、ここでの「品質」というのが「製品としてのクオリティ」を指すんだろうなと読みました。例えば映像であれば、光の当て方やマイクの配置、カメラの動かし方などといった、プロの世界では「セオリー」として培われているノウハウに基づくもの。あるいは実際に撮影に使用する機材の良しあしとか、そういったこと。DTM 齧ったことがある人なら、録音した音が一般に売られている CD とかより小さくなりがちなのを、マスタリングの手法とかでどうにかする、みたいなこと、と言えば通じるかな。

で、ここではそういう意味での「品質」が、リーチ率に直結している という前提で続きが述べられているんだけれども、その前提ってそもそも正しいのかしら? とか思うわけですよ。

個人的には、コンテンツが注目を集めやすく、リーチ率が高くなるための要素として一番大きいのは、やはり直観的な「面白さ」だと思う。面白さと一口にいってもいろいろあって、一番大きそうなのはたぶん「新鮮な驚き」といったあたりだと思うんだけれども、それ以外にも知的好奇心を奮い起こすだとか、見ていて安心できる (癒し系/和み系/萌え系/etc...) だとか、とにかく笑えるとか泣けるとかかっこいいとか。

例えば (はてブでもちょっと触れたけど) 映像の品質が人気と必ずしも直結しない好例としては、加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを始めとした素人投稿映像で率が取れるという現実が挙げられると思う。世界まるみえ!テレビ特捜部なんかは世界中から引っ掻き集めたホームビデオを垂れ流すような番組だし、そうでなくても素人がたまたま撮影した矢ガモやアザラシや 9・11 などの事件・事故映像がセンセーショナルなニュースとしてワイドショーその他で繰り返し流されたりして数字を稼いでいたりする。

それに対していわゆる「品質」というのは、言ってみれば「プロの (最後の) 良心」として、強いて言えば視聴者に安心感を与えるための手段として用いられているにすぎないのではないかと思う。これは必ずしも「注目を集めるため」に用いられているのではないので、そういう意味では重要性が薄れているように見えるのかもしれないけれども、個人的にはプロの仕事としては非常に重要な要素であり続けるものだと思っている。究極的には、金を出して作品を鑑賞する、または CM が差し挟まることに視聴者が納得する上での、最低要件の一つというべきもの。テレビ番組で素人の投稿ビデオが許されるのも、それがあくまで素人映像であることを断っているからなのであって、例えばそういうクオリティでテレビドラマが撮影された場合、内容がどんなに面白くても、見る人は少なくなるだろうなということは、一部の深夜時間帯に放送されるドラマやテレビ東京で放送されるドラマらしき物の資料率の低さからも窺い知れるんじゃないかと思う。

某パンシャーヌみたいなのをスポンサー付けてテレビでやっても受けないけど、素人が似たような映像作品をニコニコにうpしたらそれなりにコメント賑わうんじゃねーの、みたいな。例えが悪すぎですね。すんません。

とにかく、ニコニコは面白いけど、ニコニコで流行っているようなものがテレビで延々流されたりしても、そしてたとえニコニコと同じような仕組みがテレビにも実装されたとしても、面白いかもしれないけど結構引くぞ、というお話。ニコニコみたいな場においては、作品の品質の低さ、より分かりやすい言葉で言うならば「素人臭さ」という部分については、かなり許されているような空気で満ちていると思うし、それはそれで良いことだとも思う。

もっとも、個人的には素人映像レベルでも今後は市井に出回るツールレベルで品質を向上するための補正ツールやフィルタが出回ったり素人向け雑誌やそこいらのサイトとかでライフハック的にノウハウが知識共有されたりしてどんどん向上していっちゃうんじゃないかと思う。そしてかつてのゲーム業界におけるゲームセンターの業務用基板とコンシューマー機と PC の追いかけっこと同じような現象が市場を巻き込む規模で起こって気が付いたら中身が PC になってたゲーセンマシンや XBOX と同じような状況がいずれはやってくるんじゃないかと妄想する。で、品質が高いのが当たり前になったころに、同じ議論を繰り返したならば、品質が高いのが当たり前という前提での話になるわけだから、もうちょっと違った見解が出てくるんじゃないかと思うよ。昨今だと音楽がそういう状況に近くて、アーティストたちの行動によってレコード会社の存在意義も揺らいできていたりするよね。映像に関してもそういうレベルにまで至れば、今度こそ著作権に関する議論ももっといい意味で白熱してくるんじゃないかとも思う。

現時点では技術が伴っていない以上、妄想に過ぎないお話だけどね。

Cygwin のインストールが終わらない。。。(´;ω;`)2007年11月30日 22時27分28秒

Vista で動作確認が必要な仕事が舞い込んできたんで開発環境構築しているわけなんですが、個人的にはぜひとも入れておきたいツールである Cygwin のインストールが一向に終わる気配がなく。。。ブログ記事一本書いちゃったよ。職場でブログ書くなんて久しぶりだわまったく。。。

帰るか。(*sigh*)

あ、Vista の愚痴についてはいずれ書くと思う(とかゆw