馴れ合いを前にして、「コンテンツ」は添え物に過ぎないのか。2008年03月28日 01時44分03秒

。。。やっぱりブログタイトルに「さま」をつけるのは不自然な気がしてきたw

で、この記事のはてブでの反応に目を通す限りでも、「面白いのはコミュニケーションであって…」みたいな意見が多数であるように見受けられた。

おいらも考えとしては結構近いんだけど (もちろん、ネットでもオリジナルを作って公開している人は居ないわけではないし、プロの作家や音楽家やアーティストが自分の商売の宣伝の枠を超えて何らかの企画や世界観を展開してるケースも無いわけじゃないけど)、一方でそういう楽しみ方が理解できない面もあるなぁとか思ったりもするわけです。

ニコニコに上がっているものを例に挙げるよりも、昔話をした方が個人的にはしっくりくるのでその話をするのですが、インターネットがまだそれほど使われ始めていなかったパソコン通信末期ぐらいの話。とある J-Pops の曲の、メロディーラインだけを耳コピして SMF 化 (MIDI データ化、って書いたほうが分かりやすいかな?) したファイルを、NIFTY のフォーラムに upload して喜んでいる人たちがいました。

で、それだけならまだしも (っていうか当時おいらは NIFTY には加入してなかった。そんな金なかったし)、そんなごみファイルを喜んで download した上に、わざわざ自分たちのローカルな草の根 BBS (個人がモデム経由で PC を待ち受け状態にして開設するパソコン通信) に upload して喜んでいる人がいました (この草の根 BBS には別の友人の伝で参加させてもらっていました)。

当時から自分でオリジナルの曲を作って SMF ファイルとかにしたりテープ (そうテープだよ、いい時代だったw あるいは MD とか) に録音したりして友達に聴かせたり、逆に友達が作ったオリジナルの曲を聴かせてもらったり、といったやりとりの楽しさ・面白さを体感していたおいらにとって、それはとっても不思議な光景で、何が面白くて、何がうれしくてそんなことをやっているのか、さっぱり理解できなかった。

で、それは今でもほとんど理解できていないんだけれども、結局のところ、ネット上で (あるいはリアルでも?)、オリジナルであれ二次創作であれ、あるいは単なるコピーやコピーしたものをちょっと編集しただけのものであれ、そういったコンテンツをおかずに添えたコミュニケーションの、「コミュニケーション」の部分の面白さばかりを追求した極端な例、といえるのかなと、今となっては思う。だってさ、本当に、再生してもメロディーラインしか流れないんだぜ? それもピアノを右手だけでおたまじゃくしなぞってみましたみたいなさ。抑揚も糞もねーし。作業用 BGM にすらなりゃしないんだよ。でも当時はそれをやってる連中は喜んでやってたし、わざわざ転載するやつもいた。あるいは当時は俺らもガキだったから、突き上げの激しい JASRAC に対する対抗心からの悪乗りだったのかもしれないし、そういう意味で盛り上がるとか思っちゃってたのかもしれないけどね。

その点、その後の圧縮技術の向上やらブロードバンド化の普及やらのおかげでリッピングしたものがまんまコピーできるようになったおかげで、今となっては単なる違法コピーでもそれなりに喜ばれるぐらいには「コンテンツ」自体が理解しやすいものになった。相変わらず共感はできないけどね。でも馴れ合いやりたい人たちにとっては便利な時代になったんだろうなーというのは理解できる。

そして、そこが理解されやすいだけに、そこを飛び越えてオリジナル作ろうって動機にまで至る確率は、かえって下がってしまうんじゃないかって言う危惧も、密かに抱いてる。杞憂に終わればいいんだけどね。