最近のお仕事2008年07月02日 07時24分49秒

最近起こった事件のこととか、はてな界隈その他で沸き上がってる話題とか、触れたいこと、書きたいことはいっぱいあるんだけど、書きたいことがたくさんありすぎると何もかけなくなると言うありがちなジレンマに陥ったままブログが手つかずになってしまうのもよくないと思ったので、その手の話題は簡単にかけるもの以外は触れずに、しょーもないことを日記的に少しずつ書くという方針でしばらく更新し続けてみようと思う。3日も続かない気もするけど。

で、最近のお仕事なんですが、某大手メーカーで携帯型のメディアプレーヤ (音楽プレーヤ?) のテストを手伝わせていただいております。内容的には組み込み系な訳ですが、それっぽいことと言えばテストに使うキットの事前設定とかで COM ポートから Linux 叩いたりするぐらいで、基本的にはひたすら弄ってバグだしするだけの簡単なお仕事です。

明らかに今までよりもお金になってるんだけどね。。。( -.-)~♪

本当はテスト設計の仕事でスクリプト組んだりテスト仕様考えたりといったもうちょっと技術的に踏み込んだ仕事を予定していたみたいなんだけど (だから「技術者としての経験が十分ある人」を求められたわけだが)、スケジュール的になかなかそういう段階に入れないのか、今んところはひたすらマニュアルテストが続いているんですが。。。契約した 3ヶ月間ひたすらこんな仕事が続くんであれば、さすがに他に変えてもらった方が良いかなぁ。。。まぁ楽だしいーんだけどね。

カジュアルにタイーホされる時代2008年07月03日 08時05分32秒

はい、宿題です。w

[あとで読む][2ちゃんねる][犯罪][けーさつ][宿題]誤字・当て字はたぶん重要ではなくて文脈が重要なんだと思う。何はともあれ、呼び掛ければ簡単にガンジーになれそうな気がしてきたwwww / TODO: subject="カジュアルにタイーホされる時代" で何か書く。CommentsAdd Starwelldefined23masayakato

けーさつ大不評なわけですがw、けーさつの言い分としては、重要なのは誤字・当て字ではなくて、書かれた文章全体の内容、文脈だと言うことなのでしょう。いつ、何処でするのかということと、「秋葉原のあの件を再現します」という文言からは、その文意は容易に汲み取れます。まぁー「事件」じゃなくて「件」なんですけどね。

けーさつが独自に発見したわけではなく、書き込みを見たさいたま市の2人の通報でわかったというのもポイントである気がします。通報された以上は動かざるを得ないだろうみたいな。

アキバでのあの事件以降、この手のいたずらや模倣犯的な犯行予告の表明というのは相次いでいるわけですが、

書き込み内容については、「今から大量の子供を殺す」というような、かなり漠然とした書き込みでも検挙されていることがわかる。

とあるように、けーさつ全体的に非常にナイーブにと言うか、敏感になっているというのがよく分かります。けーさつの仕事は逮捕することだけじゃなくて、被害を未然に防ぐために警備活動を行うと言うことも含まれるわけで、これにまともにつきあっていたらけーさつも結構疲弊してしまうんじゃないかとか思わなくもないわけですが。。。

ていうか、なにげにおいらが書こうと思っていたことが、すでにひろゆきさめのブログで書かれちゃってました。6/30 の段階で。

犯行予告やって捕まってる人のほとんどが無職かバイトか学生、ってのがポイントで、ひろゆきさめ曰く「無敵の人」というのは言い得て妙な気がします。なので政治家が目指すべきゴールは明白です。「無敵の人」を減らす。すなわち、こんな下らないことのために逮捕されちゃうのは損だと思えるぐらいの地位を、彼らに満遍なく持たせるようにすれば良いんです。であれば力を入れるべきが雇用と教育であることもまた明白なはずです。

でも実際には教育予算は削減が迫られ、独立行政法人 (国立大学とか) は潰しにかかられ、非正規雇用は増える一方。。。

こんなご時世で、ちょっとテンプレなんか用意しちゃって、2ちゃんねるとかで扇情的に呼びかけたりでもすれば、割と誰でも簡単に、ガンジーみたいになれちゃうのかもしれないなぁーとか、そんなことを思っちゃったりした訳なのでしたとさ。めでたしめでたし。

倫理観なんて男女以前に人それぞれな訳で…。2008年07月07日 08時16分04秒

finalvent 翁の回答がまたのらりくらりとして良い味出ていたりするわけですがそれはまぁいいとして、おいらも書いてみようと思う。

とりあえず回答

1,男の人の性欲は女よりもずっと強いと言うけれど、

実際、ムラムラしてるときはどのくらい切実ですか。

半日、何も食べてなくてお腹がすいたときみたいな感じ?

それとも、二日ほど食べてなくてフラフラって感じ?

  • 男の人の性欲は女よりもずっと強い < そうなの?
  • 食欲で言い表せるもんではない。食欲は満たさないと確実に死ぬが、性欲は満たさなくても死ぬ訳じゃない。
  • それでも強いて食欲で言い表すならどっちにもなる。人間、定期的におなかがすく時間があるのと同じように、割と定期的に性的な欲求不満が発露する。これがそうした時間を超えて空腹が極限を超えると、逆に感覚が麻痺して脱力し、様々な意欲が削がれて体を動かすのも声を出すのも物を見るのも億劫になり、何となく死が近づいている感覚を味わったりもするものだが、性欲の場合は麻痺と言うよりも本当に欲求自体が減衰してきてしまって、虚無感よりも不安感の方が募ってくる。俺、男として大丈夫なんだろうか、みたいな。で、そこを超えると男としてもどうでもよくなってくるらしい (かつての禁オナ仲間が書いてた) んだが、そこまで体験したくない罠。

2,なんで自分で処理できるのに、風俗に行くんですか。

風俗でやるって不潔とか病気怖いとかお金の無駄とか思いませんか?

  • とりあえず、おいらは行かない。行ったことないし行きたいとも思わん。
  • ただ、自分で処理するのと、女性と交わるのとでは、性欲以外の部分であまりにも差がありすぎる。で、その差を少しでも埋めたい人たちが、とりあえず愛とかは横に置いておいて、ピンサロやらソープやらを利用するんだと思う。
  • あと、「自分で処理する」ってあるけど、自慰の場合でも一人じゃない場合は結構あるんだよね。つか、中学生とかでもない限り、完全一人自慰の方がマイノリティなんじゃないかと思う (中学生だってクラスのかわいい女の子を妄想に利用したりする)。そういう意味では、AV女優もエロ漫画家もとんでもなく偉大だと思う。

3,ついムラムラして痴漢とか、果てはレイプや殺人したり、

犯罪になるとわかってても、自分の衝動が抑えきれないのって、

同性としてどう思うんですか。少しでも同情しますか。

  • 同姓として、という思いはない。世の中には痴女ってのもいるし、中学生男子をたぶらかす女教師が事件として報道されたりもする。パートナーのケツにお玉突っ込んで死なせちゃったのは誰の妹だっけか?
  • 人としては、まぁ、最低だと思う。
  • 同情するかどうかは、程度や状況にもよる。すべての事件を一括りにはできない。すべての男性やすべての女性を一括りにすべきではないのと同じように。

4,性欲はスポーツや趣味や仕事にうちこめば、昇華できるんですか。

  • 性欲処理はストレス発散としても行われたりする。おいらもよくやる。
  • 個人差があるし、実際おいらの周りでも「疲れちゃってそれどころじゃない」という人はいる。でもその一方で、疲れを理由に結果論的な禁オナしていた人が、2~3週間で夢精してしまったという話も聞く。
  • 個人的には、中学生の頃は体育系の部活やりながら土日は剣友会 (剣道の道場じみたサークルみたいなもん) に通っていたりもして、体力的にはかなり発散させまくる日々を送っていた筈なんだが、体はぼろぼろで筋肉痛でひぃひぃ言っててもあっちはやっぱり元気だったなぁ。。。

5,女性を見てドキドキするとき、その人に愛情をもってるのか、

ただ性衝動につき動かされてるだけなのか、区別できますか?

区別してたら、その人に対する態度も変わりますか?

  • これは区別できると言うべきなんだろうね。でも、正直自信がないこともある。自信がないのはたぶんおいらがいろいろと未熟だからなんだと思う。
  • 正直に告白するならば、愛情を持って接する相手にも、性的にムラムラする。その性的なムラムラは、愛情を抱いていないはずの相手であっても、状況次第では抱く物なんじゃないかと思う。一方で、性的にムラムラするのとは違った感情としての何かっていうのはある。
  • しかしそれにしたって「ドキドキ」と言い表すほどのコーフンってのは、若いうちだけなのかも知れんが (歳食うとむしろコーフンよりも安心感を求めるようになるような気はする)。

6,女からみればわからないけれど、普段澄ました顔をしてても、

実はエッチなこと考えてるんだろうなぁ、こいつ、って男同士では

わかるんですか?

  • 知らん。亀仙人か。女でも見抜けない男の内心のエロ感情が男に分かってたまるか。
  • まぁおいらは男にも女にもそういう感情が見抜かれやすいタイプではあるんだがな。orz

7,男の友達同士で、彼女とか風俗嬢としたことって、どれくらい詳しく

話すんですか。それ、恥ずかしくないんですか。

  • 男女差があるのかどうかは知らんが、男同士でも童貞が必死にでっち上げの経験話を繰り広げて周りに話を合わせるという光景は、少なからずある。おいらもそういう経験はある。
  • 一方で色めいた、浮ついた話が盛り上がる集団と、そういう話が全くと言っていいほど出てこない集団とで見事に分かれがちなのも、男女差どれほどあるのかおいらにはよー分からん。
  • おいらはがきの頃は下ネタ・猥談は喜んでしたが、大人になって自身の性体験を喜んでぶちまけあうと言うことはあまりしなかった。しても嘘言って話し合わせてただけだ (大抵は)。
  • ただ、おいら自身は話を合わせていただけにしても、実際に性風俗にお世話になったという話をいろいろ聞かせてくれる友達というのがいた時期はあった。彼がその話を、恥じらいを伴って話してくれていたかどうかは分からんが、聞いていたおいらの方は恥ずかしいと言うよりはどちらかというと苦笑いするより他ないという感じだった。
  • 性風俗とのつきあい方は人それぞれなんだろうが、何人かからの風俗体験話を聞く限りにおいては、それは単純な性欲処理のための手段と言うよりは、もうちょっとだけ高等なコミュニケーションのための手段として対価を支払う、と言う位置づけであるように感じた。従ってソープはランクが低めに見られがちだったように思う。あれはどうしても性欲処理という部分が重視されがちで、なかなかどうして流れ作業的なんだそうだ。まぁ店にも依るんだろうけどな。

8,エッチあまり好きじゃない彼女とか奥さんって嫌ですか。

あたしはスキンシップは好きだけど、あれは二週間に一回くらいで

いいんです。そんなのって愛がないって思いますか?

たんに欲求が少ないだけなんですけど……

  • 愛と性欲に相関性はない。だからこの点においてパートナーと何らかの不安を抱いているのであれば、全く気にする必要はないと思う。
  • そして、相関性がないからこそ、男女間でお互いに譲り合い、あるいは主張しあって線を引くべき部分でもあるとも思う。異性と同居する場所で安心して自慰行為に耽られる人間は男性にも女性にも少ないんじゃないかと思うので (知らんけど、おいらは嫌だ)、sex しないということはその分欲求不満が募ると言うことだ。それを知っていて、でもそれにしょっちゅう付き合わされるのは嫌だと突き放してしまうのは、男性にしてみれば確かにつらい話だ。
  • 一方で女性だって嫌な人は嫌なんだろうし、嫌なことなのに仕方なく相手するって言うのもつらいだろう。そこは今度は男性の側が理解してあげるべきことだ。でもどちらにしたって限度って物があるだろう。
  • だから、この部分についてはお互いによく話し合って、しっかりルールを作るべきだと思う。で、お互いの主張の中で、愛がどうだの、世間体がどうだのといった要素は一切排除すべきだ。日々の集中力であるとか、体調面であるとか、気持ちの問題であるとか、そういうテクニカルな部分を惜しげもなく出し合った上で、お互いに納得のいくルールを設ければいい。
  • そういうガチ喧嘩的なコミュニケーションができもしないでなぁにが愛情だ糞食らえ、とは思うぞ。

性別のレッテル

まぁなんつーか、こういう質問は匿名だからこそできるもんだ罠。よっぽど仲良くなった相手でもない限り、男性に対して滅多に聞くべきではないと思う。特に 2 と 3 と 7 は、人によっては聞かれてあまりいい気分はしないだろう。「男」という枠の中で一括りにされた上で、ただそれだけの属性で偏見を持たれているんじゃないか、と思うからだ。

「何で女性は宝石とかに目がないんだ? あんな糞の役に立たんもん、金の無駄だと思わんのか?」とか聞かれても、実際宝石とかに興味のない女性は「知らねーよ」としか言い返せないだろうし、「何で女はどいつもこいつもスイーツなんだ」とか聞かれても、そうじゃない女性にしてみりゃ「一緒にすんなヽ(#`Д´)ノ=3」って感じだろうし、ましてや「女って何でみんなテニプリとかであーいうイタい妄想ができるんだ」とか聞かれても、コミケどころか少年誌系のマンガにも興味のない女性にして見りゃそもそも言葉が通じないだろう。

人生いろいろ、男も女もえろえろいろいろなのですよ。

sex そのものが愛情表現ってわけじゃないです

とはいえ、健康な若い男性が、女性には考えにくい程度には短いスパンで自制しにくい性衝動に駆られるのは事実で、その欲求を満たすためにパートナーにあの手この手を尽くしてそれを要求してしまうという光景は非常によく見られます。そうした場合に、男性の方から「愛」という概念を理由に行為を求めると言うことがままあるかも知れませんが、そうしたときに男性の口から出る「愛」という言葉は 100% 詭弁であると解釈してほぼ間違いないだろうとは思います。もしそうでないなら多分その男性は愛と性欲を混同しているだけだと思うので (恋愛経験・性交渉経験の乏しい男性であればありがちな症状です)、そういう場合は「そういうのは愛とは言わないんだよ」と優しく教えてあげてください。

sex は子供を産むための行為ですが、コミュニケーションの一形態としても用いられている物です。しかし正式 (?) なつがい以外との性交渉は、多くの社会において倫理に反する行為であるとされているため、「性交渉には愛を伴わなければならない」という考え方が、そのままひっくり返って「愛しているなら性交しなければならない」に誤解されてしまうと言うことが多いんではないかと思います。おいらは後者が間違っている以前に前者もそれほど真実だとは思っていないのですが…。

特に何も考えていない男性であれば、このことについては非常に素直に健康的に、「気持ちいいことをしたい」としか思っていません。これが少し大人になると、家庭を築くと言うことも考慮に入れていたりはします。なので男性でもこういう考え方に気づいている人はもしかしたら少ないんじゃないかとも思うのですが、実際には男性は、必要に駆られて sex や自慰をしています。そしてその「必要」の頻度は、その人のそれまでの生活習慣に深く依存しています。これは憶測ですが、女性の言う性交渉の適切だと思う頻度、今回の質問の 8 に示される二週間に一回くらいというのは、実は特に根拠はなく、何となく設定しているに過ぎないのではないかと思います。その一方で、男性の体では常に性欲を促す分泌物が蓄積し、それを吐き出す「必要に迫られ」ているのです。

現状一緒に暮らしているわけではないのであればそれほど深く配慮する必要はないのですが (心理的影響は一旦横に置きます…後述)、同棲しているのであればこのことは非常に切実な問題ですので、どうか相手の男性としっかり話し合ってあげてください。回答の中でも書きましたが、少なくともおいらは同棲していてオナニーする気にはなれないです。でも欲求を溜め込みながら日々を暮らすのは健康上よろしくありません。

で、sex と愛情の関係について振り返るならば、必要とされる性交渉の中で、その中での一つ一つの接触、言葉、行為の中に愛情を込めればいい、という話なんじゃないかと思います。「必要なんだから、せめて愛情を込めてやれ」って感じです。これはどちらかというと男性が肝に銘じておくべきことであるように思います。

sex と「自信」の相関

これは先ほどの話と前後すると矛盾するようにも見えなくはないのですが、必要かどうかとは別に、sex するのに他に障害がありそうにないような場面において、女性に性交渉の要求を断られる場合、個人差はありますが、深く自信を喪失する可能性があります。性的接触は非常に生理的なコミュニケーションですので、それを拒まれると言うことは、すなわち「生理的に敬遠されているのでは」と感じるわけです。こうした疑念は男性を非常に不安にさせます。

これは一方で男性の側にも配慮は必要であるようにも思います。「今日は気分的に嫌だ」というのも立派な理由です。そこは飲むべきです。でもその一方で、女性が sex を拒む理由として、何らかの事情があるのであれば、それはなるべく説明してあげるべきだと思います。それで納得してもらえないのであれば。。。まぁ、お互いのためにも別れておいた方がいいんじゃないでしょうか。

「ニコニコ現実」よりも「ニコニコテレビ」の方が現実的かな。2008年07月07日 23時52分27秒

ブログ界隈の文脈を追うのはしんどいのう。

まぁ、最後の記事がだいたい総括的に書かれているので、大抵の人は最後の記事だけ通して読めば出来事に対する理解としてはだいたい十分なんじゃないかと思うし、おいらの言及も基本的にはそこに絞りたいと思う。ただ、一連の話の流れの中で、ニコニコ大会議とやらで行われた試みとそれらに対する会場内での反応が、いじめの構図を表す物なんでないか、そしてそうした光景を、まるで新時代の幕開けであるかのように歓迎し、分からないけどきっと、笑われてしまった人達も、よしとしている気がする、などといういい加減すぎる感想が、一部の愛すべきナイーブな方々を刺激し、そうした感情に乗っかるような形で、避難と罵倒の嵐をブ米で矢の雨のように降り注がせる光景ってのは、まぁなんつーか、今時のセンシティブな痛い Web 社会の現実をさらけ出しちゃったようで、個人的にも最初はどちらかというと y_arim さめとかに同情的だったおいらもなんだか冷めちゃったかしらんみたいなそんな気分にならざるを得なかったのですよ。どっちがいじめてるんだかーみたいな。

「ニコニコ現実」はまだ早計では?

で、それはまぁそれとして、問題にされている「ニコニコ現実」のプロトタイプとやらなんですが、引用するとこんな感じだったらしいんですわ。

  • ニコ動ユーザ1万人向けに、リアルタイムで会場の様子が実況中継放送されていた。その中継映像には、通常のニコ動と同じく、コメントをつけることができた。
  • 上の中継放送+コメント付きの映像が、今度はそのままイベント会場に中継されていた。具体的にいうと、ステージ両脇に大画面があって、そこにほぼリアルタイムで(数秒遅れで)、コメント付きの映像が投影されていた。いわば「二重中継」というか「再帰的中継」の状態だった。
  • そして会場の観客は、ほぼリアルタイムで、いま目の前体験している会場の様子を、「ニコ動」のフィルタを通して数秒遅れで追-体験していた
    • ちなみに会場からはけっこうな頻度で、まさにニコ動的なツッコミや野次が飛んでおり、会場自体も「リアル・ニコ動状態」と化していた。いや、というか本来は「野次」のほうがもとから存在する現象であって、ニコ動がそれをネットサービス化した、というのが正しいんだけど、もはやその図式は完全に転倒していた。普通のイベントで、あれだけ野次が飛んでいたら、それは「異様」だと思うはずなのに、当日はけっこう「ライト」に受け入れられていたのは、それが普段から見ている「ニコ動」と同じようだ、と感じてしまっていたからに違いない。

まぁー要するにこの方は今回のこうした仕掛けを、ニコニコ大会議というイベントを盛り上げるための装置としての実験であると捉えていらっさるように見受けられたんだけれども、これって少なくとも現時点でのニコニコに対する推察としては正しいのかしら? とか思うのですよ。というのも、イベントにこの仕掛けを提供する、という話だけだと、どうしてもその機会というのは酷く限定的になってしまうし、商売としても成り立ちにくいんじゃないかと思う。少なくとも、そういう未来がくることを想定して今からリテラシーを重ねておきましょうみたいな話に持って行くのは、あまりにも早計なんじゃないかなぁ。

「ニコニコテレビ」ならあり得るかも

個人的には、今回の試みは、「ニコニコ現実」とやらのプロトタイプと見るよりは、むしろニコニコのコメントシステムとテレビ放送との融合を想定した実験であるように感じた。あえて名付けるなら「ニコニコテレビ」とでも言うべきだけど、個人的にはこの名称はあんまり好きになれないかな。まぁネーミングとかは非常にどーでもいーんだけど。

脳裏に浮かんだのはむしろこっちだ。イベントってのはたまにしか機会がないけれども、テレビ番組への採用という形であれば、この話はもっとぐっと現実的になるんじゃないかと思う。あのひろゆきさめのことだし、遠い夢を語るような人であるようには思えないんだよね。

ニコニコ動画では静的に保存された動画に対して、タイムラインにコメントを載せるという形をとっていた。この仕組みの特徴は、動画という時間の流れがある物に対して、その時間の流れにコメントを載せることで、動画を見ている間だけ感じられる仮想的なリアルタイム性を楽しめるっていう点、そして何より、コメントが割と長期間保存されるっていう点にあると思う。つまり、コンテンツ提供側のタイムスケジュールの都合に合わせて端末の前にいる必要はなく、いつでもそれを再生できるっていう点にあるってこと。

これがテレビ番組との連携という形になることでどう変わるかというと、そのテレビ番組が放送されているときに、端末の前にいなければいけないということになる。ということは、人気の番組を絶対に見逃せないということだ。しかも保存されているわけではないので (権利関係とかうまく調整できれば一定期間保存されたストリームを楽しめるようにはできるかも知れないけど)、瞬間瞬間を見逃しても、あとでそこをもう一度見直すということができない。そういうハンデがあると分かっていて、そんなサービスを何処まで盛り上げることができるのか? そこが課題になってくるんじゃないかと思う。

で、上記の GIGAZINE が紹介しているサービスの場合、その辺の課題に答えられている気があんまりしないんだな。むしろ、こざかしいアバターであるとかそういった流行物をちりばめることで、その辺の不安をテキトーに誤魔化しているような気さえする。

しかし今回のニコニコ大会議での「実験」が、運営的に成功裏に有意義なデータがとれた物であったとするならば、今回の出来事は割と重要な伏線になるんじゃないか、と、おいらの冴えない頭がちょっとだけ直感を働かせてくれた。

今回の舞台セットを用いた番組を作ってしまえ

よーするにこういうこと。今回のように、素人に参加させてコメントに弄らせる、という形態を毎回やるのはつらいだろうけど (萩本欽一がこんなにも嫌われるこのご時世ですし)、そうじゃなくて、ごくフツーのバラエティ番組的な物、あるいはすでに吉本から提供されているようなコント番組を、ニコニコ動画のフレームワーク上で生放送として放送する。で、その際、舞台セットとして、今回用いたような、スタジオ内にもコメントが表示されちゃうシステムを設置する。すると、ふざけたコメントを出演者が見つけて、そのコメントにわざと弄られてみたり、逆に突っ込みを入れてみたり、むしろコメントがつかないことに逆ギレして見せたりして、会場に足を運んだ観客の笑いをとる。みたいなことが可能になる。

お笑いだけではなくて、これがたとえば国会中継なんかだとどうなるだろう? ヤジは政治家だけの物ではなくなる。リアルタイムでコメントのバックラッシュが巻き起これば、それが民意であることを政治家たちは即座に知らしめされることとなるわけで、彼らの緊張感も非常に高まるのではないだろうか。

そういえば、ソフトバンクがホークスを買収するとき、オーナー審査 (だっけ?) で孫さんがいろいろとアイデアを披露していたわけだけれども、その中で、IT 技術を用いて、監督の采配に視聴者がいちゃもんをつけられる仕組みを作ったら面白いんじゃないか、みたいな話をしていたはずだけれど、あれってどうなったんだろう? そんなのも、今回のニコニコの仕組みを使えば、実現できちゃうはずだ。実況のモニターにも表示されて、解説が即座に受け答えできたりすると、それもまた面白いんじゃないかな。

そんな感じで、いきなり現実全般に適用しようというのではなくて、あくまでテレビ番組という枠内であれば、いくらでもおもしろおかしく応用可能なアイデアであると、おいらは思ったわけだ。

かつてテレビ番組においては、タレントが素人を弄ることで、番組を盛り上げようとする文化が横行していた。その時代に生きていた人々は、そうした文化を受け入れ、ともに楽しんでいた。しかし時は流れ、社会の同調圧力に疲れた人々は、次第にそうしたいじり文化を標榜するバラエティ番組の古い慣習に、憤りを覚えるようになってきた。もっとも、憤りを感じているのはまだまだ「一部の人々」なんだろうけれども。

しかしニコニコは、もしかしたらこの文化を、全く逆転した楽しみに変えてしまうかも知れない。今度は視聴者が、バラエティ番組を、はたまたその他の様々な番組を、いじり倒してやるターンなのだ。ならば存分に楽しんでやろうじゃあありませんか。

なーんつって煽ってみたりして。むふ♥


2008年 7月 10日 木曜日 08:18:10 JST - 追記

まあ過去の歴史的事件にあてはめて、というよりもむしろ一般名称としてのファッショ的事態といったほうがふさわしいだろうか。ニコニコがファッショと親和性があるというのは初音ミクの話をしたときに一度指摘したのだが、今回のニコニコ大会議はまさにそのような事態であろう。

ベンヤミンはファシズムの本質を「政治の耽美化」であるという。ニコニコ動画においてそれは「おもしろ化」である。まさに「ニコニコ」がスローガンなのである。あらゆるものをおもしろくすることこそが「ニコニコ的現実」に他ならない。たとえば、国会中継をニコニコ化すべきだという意見がある。なるほど、国会中継をみんな見るようになるかもしれない。しかしそれはおもしろ化された国会中継であって、政治が行われている場としての国会中継ではない。それは何をもたらすか?単純である。つまり、郵政選挙なんかよりもっと酷い事態だ。

なるほどねー。だとすると国会中継とかへの応用って案は難しいね。リアルタイムだとモデレーションする間もないしね。ちと軽率だったかもな。

ニコニコがいじめで酷いんならはてなも十分いじめで酷い2008年07月10日 06時41分45秒

とはいえ。

こうした状況は「ニコニコ大会議」が最初だったのでしょうか。

いいえ、違いますね。

誰かに向かって揶揄したり、誹謗したり中傷したりからかったりして「楽しむ」光景は幾らでもあります。

2ちゃんねるで、はてなブックマークで、twitterで、ウエブログで、ウエブ全体で、いいえ、社会全体で。

右を見ても左を見ても嘲笑、誹謗、中傷、差別、憎悪がどす黒く渦巻いているではありませんか。

日本の動画サイトでは顔出しで出ている人が少ないが、それはこうしたことを恐れているからというのも一つにあるだろう。誰だって無闇に自分の外観をネタにされたくはない。せっかく作ったネタを外見ネタで浸食されたくない。

それは突きつめると、我々日本国民の民度の低さに行きつく。作品よりも演じてる人間の外見が気になってついつい「ハゲw」だとか「ピザw」だとか書き込んでしまうのだろう。それで笑えてしまうというのは、精神レベルが小学生並みだということを示してる。

外見をネタにせず作品を楽しめるまでに、我々日本人は文化的に成熟していないのだ。

民度とはなんだろうか。一般的には、市民の社会成熟度のことを言う。社会的に成熟している状態とは、すなわち、自分が所属する社会を構成する人々と、ともに社会を取り持つことを、その社会に所属する個々人がどれほど意識しているか、っていうこと。

この意識が高ければ、自分とは大きく異なる人間、たとえば生まれながらにしてやたらと髪が薄い or 天パであるとか、ずば抜けて背が高い or 低いであるとか、障害で下半身がないであるとか、いわゆる精神遅滞であるとか、はたまたガイジンであるとか趣味がアレであるとか倫理観の違いであるとか発育がとか家が金持ちとか、まぁそういうことの一つ一つを嫌悪するでも無視するでもなく、直視した上で受け入れられるはずだ、なんていう風に言われていたりするわけだ。同性愛者をとりまく環境は社会の成熟度を示すバロメーターだなんて言われてみたりな。

まぁ、現実問題として、こいつらと社会をともにし、こいつらと主権を分かち合い、こいつらと利害を共有しなければならないと言うことに目を向けられるならば、偏見抱いて嫌悪してたって始まらないわけで、境遇やら事情やらはどうあれ対等に向き合って対話ができなきゃならない。でもまともに対話するには相手のことを理解できていなければ、話題によってはそれで文脈を捉え損ねて平行線をたどったまま議論が何も進まなくなってしまうと言うことがありがちになってしまう。だから、民主主義的な社会においては、とりわけ民度、社会成熟度と言うことが重要視されるわけだ。

総芸人社会が KoshianX さめによって「民度が低い」と断じられているのは、そうした態度が上で書いた「まともに対話」することを受け入れられる態度であるようには見えないから、ということなのだと思う。従って、ブ米で「民度って言いたいだけちゃうんか」みたいなことを書いている人は、おそらく自分こそ「民度」って言葉の意味を理解していないんじゃないかと思うし、「ニコ厨と日本社会を結びつけんな」とか書いちゃっている人は、KoshianX さめや ululun さめが今回のニコニコ大会議での出来事をあくまで「象徴的な出来事」としてしか捉えていないという点について読み誤っているとしか思えない。

まぁ確かに、日本人全員が民度が低いとまで言い切ってしまうのであれば、それはまぁくくりすぎだろうなとは思う。でも「ニコ厨がやることですから」とか言って無関係装ってたらあなた、アキバ通り魔事件でアキバだネットだオタクだなんて部分ばっかりなぞっていたマスゴミの皆さんよろしく「切断操作だ」なんつって詰られても文句いえまへんえ。これはあくまで日本人は日本人でも、「総芸人化社会に与する日本人」への警告、ぐらいには広げて認識すべきなんじゃないかな。そうすればもう少し、これらの記事から学べることってのは大きくなるんじゃないかと思う。

おいらは民度の高い社会ってのは、向上心の高い社会だと思ってる。お互いの個性、境遇、思想、倫理観を直視し、尊重しあった上で、ガチでの対話が繰り返されれば、お互いの意識も知性もどんどん高まっていけるはずだ。それこそ梅田望夫の理想とし、多くのはてなーが賞揚すべき「オプティミズム」ってやつなんでねーの? 批判精神の重要さが指摘される中で誤解している人もたくさんいらっさるようだけど、細かい過ちや過去の過ちや、ましてや議論とは全く関係のないところで揚げ足とることしかできないんだったらそりゃ批判精神以前の問題じゃん。そんなじゃあ夏目漱石の小説に出てくる頸動脈斬って自殺しちゃった人に「おまえは馬鹿だ」言われたってしゃーない言う話やで。

なぁんてことを、ITpro のアホ記事についたはてブの米を読みあさり、げらげら笑いつつ星を飛ばしたあとになって気がついた。

眉毛がどうとか顔がどうとか、これだって立派ないじめじゃないの。ってね。しかもおいらも星とばしちゃったよ、その手のコメントに。

なのでこれは、自戒を込めたエントリーなのです。反省。orz

元ニートだけど皮膚科に行ったら 4時間待ちって言われた。あと世界を変えるって何?2008年07月12日 12時17分11秒

暇つぶしにブログでも書くかー。

最後の質問が本当にうざかったのでぶちギレ米書いてみたら☆がひとつもつかんかった。。。牛丼換算とか、ギャグとしては定番過ぎですね。はい。

で、それはまぁどうでもいいんだけど、ふろむださめの糞つまらんブ米に☆がいっぱいついているのを見て、さすがにいらっときたのでそこだけ詰っておこうかなみたいな。

なんでたった2兆円なのよ!2兆円でできることなど、たかが知れてるよ!オレに1000兆円くれれば、世界を変えてみせるよ!><CommentsAdd Starmotoneet16taroike

まぁーなんつーか、ふろむださんのことだから分かっててやっていらっさるんだろうなという気が激しくするわけですが、はてなーにスルー力が足りないのは仕方がないにしても、ここはやっぱり突っ込むべきところだと思うのですよ。

そもそも実際に「世界を変えた」と言えるような過去の偉人たちって、だいたいはお金をかけるどころか、むしろお金を稼ぐことでそれを実現してきたものなんじゃないの? とか思うわけですよ。お金を出しているのはいつだって、変わっていく世界について行こうとするその他大勢じゃないの。でっかいビルやら工場やらだってそれら自体が世界を変えるんじゃなくて、世界の変化に合わせて建てられてきたんじゃないの。

金額がでかいからなんだかでかいこと言っているように見えちゃうかも知れないけど、裏を返せば「おいら程度の実力では、1000兆円ぐらい元手がないと世界を変えることもできないんです」って言ってるよーなもんじゃん。ふーん、その金でアレですか? ダムでも造るですか? 海埋め立てて島でも作りますか? 小市民のおいらが情けないとまで言うつもりはないけど、つまんねーこと言ってんなーぐらいにしか思えなかったよ。

でもまぁ、元の質問がつまらんもんだから回答も得てしてつまらなくなるってのはある程度仕方がないことだとは思うけどね。「大金があれば何か面白いことができるんじゃないか」なんて、そもそも発想が貧困すぎるのよ。まず先にやりたいことがあって、でもそれをやり通すのにこれだけの元手が必要、っていうんなら話は別だけど、その「やりたいこと」を自分で決めることもできないで、自分の想像に及ぶ限りのでかい金額を出してみて周りにアイデアを求めてみたところで、リタイア欲丸出しの回答かふざけた回答しか得られないに決まってるじゃないですかっていう。それこそ一番人を頼っちゃいけないことなんじゃないの? って、おいらは思うのですよ。

ネタにマジレスキタコレ

始めてみようプログラミング - その12008年07月16日 08時52分53秒

amachang が悪戦苦闘しているのを見て面白そうだったので、真似してみる。とりあえず、言語がどうとか言うのは意識せずに、小学生とか相手にプログラミングたいけ~んみたいなノリで書いてみようかな。

コンピュータを知ろう

コンピュータは、いろんな機械にくっついて、その機械を動かすことができます。洗濯機にも、湯沸かしポットにも、テレビやビデオデッキやケータイや iPod にも、コンピュータがくっついています。

コンピュータを使うのは、人がその機械を直接使うよりも、使い方をコンピュータに教えて、お仕事をまかせてしまった方が、楽ちんだからです。スイッチひとつで洗濯から脱水、乾燥まで全部やってくれる洗濯機ですが、コンピュータが使われる前までは、自分で洗剤の量を量り、自分で水の量を量り、洗う時間はタイマーで計り、水を何回か入れ替えながらすすぎをし、脱水機に手で入れ替え、脱水時間もタイマーで計り、ちゃんと絞り切れたのを確認してから干す、ということを全部お母さんが手でやっていたんです。昔のお母さんは偉大ですね! 今のお母さんも十分偉大ですけどね!!

パソコン (パーソナルコンピュータ) には、大きなテレビ画面 (ディスプレイ) やスピーカー、キーボードにマウス、それからプリンターやスキャナー、電子楽器など、いろんな物をくっつけることができます。洗濯機にくっついているコンピュータは、洗濯機を動かすことしかできませんが、パソコンには、いろんな物をくっつけて、いろんな事をさせることができるのです。

さらに、パソコンはネットワークにつながることができます。ネットワークには世界中のパソコンや、サーバーと呼ばれるネットワーク専用のコンピュータがつながっていて、インターネットと呼ばれる世界を作り出しています。ネットワークを介して、お友達にメールを送ったり、サーバーに日記などの情報を置いて、ホームページやブログを開くこともできるのです。みんなの大好きなモバゲーも、もとはパソコンを使って作られているんですよ。

プログラミングってなんだ?

洗濯機にくっついているコンピュータは、洗濯機の動かしかたを知っています。では、洗濯機の動かしかたをコンピュータに教えたのは、誰でしょう? それは、その洗濯機にコンピュータをくっつけた、洗濯機工場のおじさんです。(嘘ですw 本当は工場の人じゃなくて、ビルで働いているおじさんですw)

じゃあ、そのおじさんは、洗濯機のコンピュータに、どうやって洗濯機の動かしかたを教えたのでしょうか?

実は、それこそが、プログラミングと呼ばれるお仕事なのです。人は、プログラミングを行うことによって、コンピュータに、機械の動かしかたを教えることができるんです。

では、プログラミングとは、いったいどんなことをやるのでしょうか?

(...たぶんつづく)

石垣ボーヤ2008年07月25日 08時20分02秒

やっとチームの一員になれた、って感じでよかったよかった。

つか、昨日の試合の殊勲はどう見たって小宮山さんでしょ。オサーンすげーよオサーンwwww

自称「非モテ」の病理と対策2008年07月30日 01時13分19秒

主にはてな村民用。

端を発してたのがどの辺だったかいまいち覚えてないんだけど。。。

この辺のやりとりが発端だったんだっけかなぁ。これ以降、自称リア充っぽい人が増田でこーすりゃ彼女できるぜ発言書き散らしては、はてブで Dis られまくるという光景が繰り返されていたんだけんども。

ちなみに一応おいらのスタンスを軽く表明しておくと、前者的な「非モテ脱出」を謳う方々のモラリズムには共感できないが、目的はどうあれそこに行動を伴わせることを良しとするバイタリティには大いに見習うべき物があるんじゃないかなぁと言う感じ。モラリズムというのは上であげた後者の記事から引用するならば

ただ、「下手な鉄砲数撃て」「ナンパできない奴は、要は、勇気がないんでしょ?」とかいう奴に、この一言だけは言っておきたい。

言っとくがな、相手は生身の女の子なんだぞ!

とかいう台詞で代弁されるような代物のことで、要するに相手のいることなんだから誠意ぐらいもてっちゅー話。その一方でその誠意だって出会いを通じて相手に示さなきゃ恋のひとつも成就できんわけで、何でもいいからとにかく相手を探せ、箸なり棒なり引っかかるように身なりぐらいはどうにかしろ、ってのはごもっともなアドバイス何じゃねーの? ってあたりで落ち着く話なのにまぁ毎度毎度本当にこの話題ばかりで盛り上がりますよなぁアハハウフフと生暖かく眺めておったわけなのでございますですよ。

ところが、以下の二つの記事のおかげで、おいらの気持ちもちょっとぐらついた。

結論から言うと、少なからず愛すべき存在だと思っていた自称非モテというのは、実際のところ最も侮蔑すべき存在なんじゃないかと思い始めるに至ったと言うこと。

驚愕すべきはブックマークでの反応だ。

前者の記事はオタクコミュに所属する女性が、タイトル通りオタク男性と肉体関係を含む付き合いをしまくっているという話で、「友達はみんな彼氏がいて羨ましい、私はちょっと苦手…」「ごめん、○○さんが2次元の方が好きなのは分かってるけど、私じゃダメかなぁ…?」で堕とします。申し訳ないけれど、失敗したことがない。だの、この子、普通に彼氏いそうなのにオタクだからいないんだな、彼女を理解出来るのは俺だけ!という心理状態にまで持って行ければ成功だの、基本的に釣った魚に餌をやらないので長続きはしませんが。毎週セクロス、毎週デートしようとする恋愛至上主義の男はうざいだの、いや、本音を言えば結構共感できる部分もあるんだがw、書いていることは何気に結構酷いことばかりで、自称非モテ連中がそれまで見せていたモラリズムに照らし合わせるならば、叩かれて当然の内容だと思っていたわけですよ。でも実際には歓迎するコメントで溢れかえっている。ノリでやってるネタだとしてもこの豹変ぶりは非常に気持ち悪い。

後者はモテなくたっていーじゃない、むしろ無我の境地を切り開いて恋愛とかとは関係ないところで意欲と好奇心を持って生きようぜ、というスタンスの人間がその方法論を示すという内容だ。まぁ人生セクロスがすべてじゃないよ、楽しいことは他にいくらでもあるよ、って考え自体は悪くないんだけれども、方法論として書かれている内容はどう見たって明らかにネタだし本気だとしたらちょっと酷い内容だ。でもはてブを覗いてみると割と本気で感心しちゃってるっぽい感じのコメントが結構な数で見受けられる。それどころか無言ブクマでタグに「これはすごい」だの「人生」だの「哲学」だのとつけている人までいる。真似しようとする人も出てくるんじゃないか? はっきり言って有害だ。

後者については念のため付け加えておくが、実際のところ知的・文化的な好奇心と、性欲やそこに由来する劣等感やバイタリティは、意図的に絡ませようとでもしない限り必ずしも直行する物ではない (「意図的に絡ませる」とは、よーするにそれを商売にすると言うこと。恋愛小説の執筆とか、ポルノの制作とか)。もちろん知的活動に自信を抱き、さらにそれによる生活リズムに忙殺されるようになれば、確かに恋愛どころではなくなり、自身の心に占めるその手の劣等感というのがかなり押さえられるのは事実だ。だがそのような状態に至るために、

  1. もはやわかりきっている自身の (恐らくは) 不細工な顔をまじまじと鏡で見つめて自虐的になる必要性はからっきし無いし、
  2. 親と縁を切る意味もまるでないし、
  3. 彼女なんてイランぜーなどと公言する暇があるなら夢中になれる物を見つけられるようにさっさと手なり足なり動かし始めるべきだ。
  4. 友だちづきあいったって元より友だちなんてさしておらんのやろ?
  5. オナ禁 1年どころか 1ヶ月でも続くと確かに性欲って衰えるらしいが、その代わり自信も失うことになるぞ。劣等感に基づくそれまでの自信喪失とはまた違った種類のそれだ。それに苛まれないでいられる自信があるって言うんだったらオナ禁なんてまどろっこしい事してないで股にぶら下げてる物をさっさと切り落としてしまえばいい。
  6. 勉強や読書で気を紛らわせられるなら元よりえろーげになんか手を出してないだろう。
  7. その上痩せろって、その体型に非モテである理由を求めていた連中を愚弄する気か? 誰でも岡田のおっさんになれると思ったら大間違いだ。まぁおいらは痩せるけどな。
  8. 酒は、まぁ、どうでもいい。

とにかく非モテ的な劣等感から逃れるために何かに夢中になりたいってのは、それ自体が不純な動機であると言うことをまずは自覚することだ。そんな不純な動機で仙人になれるのは、後に開き直ってしまう亀仙人様ぐらいのもんだ。仙人ってのはその素質のある人間がなるべくしてなる物なんだよ。

しかもそういう人々が、たったひとつのことだけに興味を持って生きているんだと思ったら大間違いだ。

コンピュータにしか興味を抱かない人間が、まともなプログラムをかけるようになると思うか? そんな奴、コンピュータに興味を抱いている人間にしか理解できないソフトウェアしか作れねーよ。リアルで何かの不便に困っている人がいるのを見つけて、それをどうにか手助けできないかと考えて初めて人の役に立つソフトウェアってのはできるんじゃねーか。

アニメにしか興味ない奴はアニメ好きじゃなきゃ受けない作品しか作れないが、リアルで心を揺さぶられた経験を持つ人間なら、その揺さぶりのほんの一部でも作品を通じて表現しようとするものなんじゃねーのか?

著作権について語られるときだってそうだ。すべての作品は究極的には何かの二次著作なんだとかって、したり顔で書く奴がいるがな。一般論振りかざして何が楽しい? 他人の物まねみたいなつまんねぇ作品ばかりが溢れかえってる J-POP ばかり聴いてるからそんな風に思うんじゃねぇのか? ジャンルなんて言葉に縛られて専門学校で勉強した音楽理論とやらでいい曲書いてる気でいるおまえら。独特の優しい、誰の脳みそにもこびりつく旋律を書いたモーツァルトは、スイングのリズムを発明したグレン・ミラーは、マンボなんてクレイジーな世界を作り出したペレス・プラードは、なぜそうやって独自の世界を作り出せたと思う? 単に一途だったからじゃねぇ。リアルで心を奮わせる何かがなきゃ、そんなもんを作り出せるような化学変化は起こせねぇんだよ。菅野よう子さんを見ろ、彼女だってそのカテゴライズもよく分からないしとか、堂々と公言しちゃってるじゃないか!!w つか、あんなに作り手の「色」がはっきりしているのに (そのくせバリエーションは豊富だったりするのに)、実際出してるアルバムは「Song to fly」以外全部何かのサントラじゃないか。イマジネーションを外部に依存しているにもかかわらず、それらの音楽のすべてに作り手の「色」が練り込まれている。曲を聴けば、それが初めて聴いた曲でも、好きな人なら「あ、もしかしてこれ、菅野センセー?」って気づいてしまう。個性とかオリジナリティとかって、本来そういうものなんじゃないのか?

いーかげん話がそれまくってきたので戻すけど、要は話し手の立ち位置が違うだけでモラリズムの論理性から掌を返したり、方法の理論も検証せずにそこにすがろうとして見せたりというのでは、結局のところ自称「非モテ」というのはコンプレックスに端を発した内向的劣等感に基づく精神性であり、オタクやロリコンと同様、完治すべき「心の病」であると結論づけざるを得ない。そうした精神性は社会から疎外されて当然だ。悔しかったら下らん屁理屈捏ねて反論することを考える前に、現状を打破するために必要な行動の To Do list でも書いてみやがれってんだ。

レッテルに対する差別と、特定の精神性に対する侮蔑とを区別しよう。そして再び「オタク」論2008年07月31日 08時09分11秒

先日のブログ記事に対して、はてブでいくらかのコメントを頂きました。多くは冷静かつ聡明なご指摘でした。思えば先日の記事は冷静さを非常に欠いた、感情的というか感傷的というかそんな感じのものでした。めちゃめちゃ反省至極です。

で、そんな中で、しかし一つだけ、ある程度予想はしていたのですがやっぱり気になるコメントを頂きました。

lakehill , 「オタクやロリコンと同様、完治すべき「心の病」であると結論づけざるを得ない」>これはひどい。オタクやロリコンは病気ではなく趣味趣向の一種。CommentsAdd Star

これはもう完全においらの言葉の使い方が悪いが故に生じた誤解で、これについては弁面が必要だと感じました。見苦しい言い訳ですが書かせていただきたいと思います。

「心の病」は言葉の綾

心の病」という言葉についてまず説明する必要があると思います。一般的には、この言葉はうつ病などの精神疾患を指して使われています。そして、おいらはその意味でこの言葉を使うことは、ニュアンスに誤解を生じさせるため、非常に不適切なのではないかと感じています。

つまり、「心の病」という言葉は、非常にファンタジックな印象を持たせてしまう表現だと思うのです。うつ病の知識のない小学生に対し、不登校になってしまった児童について教師が説明する言葉として、

  • ○○くんは「心の病」にかかってしまったので、しばらくの間、学校をお休みすることになりました。

と言うのと、

  • ○○くんは脳と神経にとても辛い病気にかかってしまったので、学校をお休みして治療に専念することになりました。

と言うのと、どちらが適切か、という話です。あれは立派な「体の病気」であり、精神論や民間療法で容易に矯正できる・治せるものではありませんし、逆に医者にかかって医学的に適切なプロセスでじっくり治療を続ければ、確実に (ある程度は) 治癒できる病気なのだ、ということを啓蒙するに当たって、「心の病気」という表現は、極力避けるべきなのではないかと常々思っておりました。

おいらにとって「心の病」という言葉は、ファンタジックな印象が適切である文脈に使われるべきものだという思いがあるため、実際には病気でも何でもない、人の精神性を揶揄する言葉の類、すなわち「オタク」、「ロリコン」、「非モテ」、さらに付け加えれば「ヤンキー」、「DQN」、「ゲーム脳」などといった言葉に対してこそふさわしいのでは、ということで勢いで使ってしまいましたが、説明不足であった上にいささか乱暴な表現でした。

「オタク」も「ロリコン」も、趣味や嗜好を指す言葉ではないよ

まず説明しやすい「ロリコン」という言葉についてですが、ロリコンとは幼女・少女趣味のことではありません。ロリータ・コンプレックスというからには、その情動の背景に何らかのトラウマや嫌悪感が存在することが前提となります。

ロリコンという言葉が使われる文脈に、子どもに対する性暴力・虐待というイメージが見え隠れすることが多いのはそれが理由です。ていうか、そういう文脈で使われてこそ正しい言葉です。そうでないものはあくまで「ロリータ趣味」と書かれるべきです。もっとも、コンプレックスなくして幼女・少女に性的に興奮するようなことがあり得るのかどうかは別の議論ですが、社会問題として捉えた場合には少女の定義としての法における年齢設定に無理があるとかなんとかで変なところに理論的・定量的であろうとするが故にかえってややこしい話になっていたりはしています。閑話休題。

もっと慎重に説明すべきは「オタク」という言葉でしょう。おいらがこの言葉を使う場合、岡田斗司夫的なポジティブな使われ方に端を発する文化カテゴリの特定性を、敢えて排除していることが多いです。従って、おいら的には「オタク趣味」という言葉は有り得ないことになっています

世の中にはアニメやマンガ、ゲームのオタクにのみならず、様々なオタクが存在するのです。鉄道やカメラ、パソコンといった文化系な物から、アイドルや映画などのマスに絡んでくるもの、果ては野球やサッカー、バレーボールといったスポーツに至るまで、あらゆる分野に「オタク」は少なからず存在するのです。

元来オタクが「差別」の対象となるに至った背景には、元よりこの言葉が侮蔑的なニュアンスとして使われ始めたことに由来します。元はネクラ・ネアカという区別だったのですが、オタクはネクラから派生し、自分の趣味にしか興味を持てない人々を総称するレッテルとして機能しました。おれらが厨房ぐらいのころはそのニュアンスがまだ支配的で、多くのその気のある人々が、「俺はオタクじゃねえ、○○マニアだ」と、今の若い子には (いや、当時の若い子たちでさえ) 理解できない釈明を口にしていたのです。

その後、一時期「オタク=趣味人」という解釈でそれを肯定的に賞揚する言論がマスメディアを中心に一部で普及したことがありましたが、それでも若い人たちの間で「オタク差別」が根強く蔓延り続けていたその根底に、「オタク」とそれ以外との間でその精神性に決定的な差異があったことに原因は求められるべきです。結局のところ、個別の経験における、精神性に基づく侮蔑が、レッテルとしての「オタク」という言葉を通して差別へと転化していた、というのがその実態なのではないでしょうか。

であれば本当はラベルでしかない「オタク」という「便利な言葉」自体、使用を控えるよう啓蒙するのが実は最も正しいのではないかという思いもあるのですが、これだけ普及し定着してしまった言葉を今更「使うな」というのも戦略としては無理があると思います。ただ、個人的に今最も心配しているのは、この言葉がアニメ・マンガやゲームなどのいわゆる「2次元カルチャー」の代名詞として使われているという点です。

元々この言葉が特定の精神性を指す物として使われている限りにおいてはあまり心配する必要のなかった、特定のカルチャーに対する弾圧が、「オタク」という用語の意味の変遷によって強まる可能性が強くなってきました。「オタク道」などと称し、「オタク」であることに矜持を持つ人が増えてきていますが、その一方で「オタク」に対する差別意識が薄らいできたということは全然無さそうですし、今後もそれは有り得ないでしょう。

もしも今後も、「オタク=アキバ系」のようなニュアンスでこの言葉を使い続けるのであれば、オタク差別がいずれ二次元カルチャーの衰退を促すこととなるでしょう。否、既にそうなりつつあるとも言えるのではないでしょうか。侮蔑されるべきはあくまでその精神性なのであり、これに依ってある特定のカルチャーそのものが犠牲になるようなことがあってはならないはずです。

差別と侮蔑を区別しよう。侮蔑するならレッテルの使用は控えよう。

以下は自戒も込めて。

で、拙者がいいたいのは、このおばさんの「ブラクがいてよかったわ!!」というセリフの「ブラク」の部分を、「韓国・朝鮮人」とか「ニート」とか「おたく」とか「非モテ」とかに入れ替えたような意見が、どうも最近*6Webで多いようで悩んでいるということなのである。

この記事で語られている内容については、基本的には賛同するのですが、その一方で、「オタクや非モテに対するそれは、差別というより侮蔑なのではないか」という疑念を抱きました。どちらも似たようなものだと捉えられがちなのですが、侮蔑が個別案件に基づくものであるならば、差別に比べて著しく論理性が高い可能性はあるのです。

しかし、例え個別案件について語っているつもりなのだとしても、そこに「オタク」や「非モテ」といったレッテルを用い、そのレッテルに括られる集合全体を攻撃するような内容で語られてしまう限り、それはやはり差別として捉えられるべきなのでしょう。その差別の結果、思考は省略され、議論は煮詰まらず、言論は地に落ち、民度は下がるのです。

おいらは感情としての差別はある程度致し方ない物なのだとは思っているのですが、その一方で、自身の感情を解体して思考できない人間・社会は成長しないだろうな、という思いもあります。30超えたおいらですが、あー…、まだまだ成長したいです (←なんだこの間はw)。なので、今後はこの手のレッテルの使用は、なるべく控えていきたい。特に、真剣に物事を考えなければならない局面においてはね。