倫理観なんて男女以前に人それぞれな訳で…。2008年07月07日 08時16分04秒

finalvent 翁の回答がまたのらりくらりとして良い味出ていたりするわけですがそれはまぁいいとして、おいらも書いてみようと思う。

とりあえず回答

1,男の人の性欲は女よりもずっと強いと言うけれど、

実際、ムラムラしてるときはどのくらい切実ですか。

半日、何も食べてなくてお腹がすいたときみたいな感じ?

それとも、二日ほど食べてなくてフラフラって感じ?

  • 男の人の性欲は女よりもずっと強い < そうなの?
  • 食欲で言い表せるもんではない。食欲は満たさないと確実に死ぬが、性欲は満たさなくても死ぬ訳じゃない。
  • それでも強いて食欲で言い表すならどっちにもなる。人間、定期的におなかがすく時間があるのと同じように、割と定期的に性的な欲求不満が発露する。これがそうした時間を超えて空腹が極限を超えると、逆に感覚が麻痺して脱力し、様々な意欲が削がれて体を動かすのも声を出すのも物を見るのも億劫になり、何となく死が近づいている感覚を味わったりもするものだが、性欲の場合は麻痺と言うよりも本当に欲求自体が減衰してきてしまって、虚無感よりも不安感の方が募ってくる。俺、男として大丈夫なんだろうか、みたいな。で、そこを超えると男としてもどうでもよくなってくるらしい (かつての禁オナ仲間が書いてた) んだが、そこまで体験したくない罠。

2,なんで自分で処理できるのに、風俗に行くんですか。

風俗でやるって不潔とか病気怖いとかお金の無駄とか思いませんか?

  • とりあえず、おいらは行かない。行ったことないし行きたいとも思わん。
  • ただ、自分で処理するのと、女性と交わるのとでは、性欲以外の部分であまりにも差がありすぎる。で、その差を少しでも埋めたい人たちが、とりあえず愛とかは横に置いておいて、ピンサロやらソープやらを利用するんだと思う。
  • あと、「自分で処理する」ってあるけど、自慰の場合でも一人じゃない場合は結構あるんだよね。つか、中学生とかでもない限り、完全一人自慰の方がマイノリティなんじゃないかと思う (中学生だってクラスのかわいい女の子を妄想に利用したりする)。そういう意味では、AV女優もエロ漫画家もとんでもなく偉大だと思う。

3,ついムラムラして痴漢とか、果てはレイプや殺人したり、

犯罪になるとわかってても、自分の衝動が抑えきれないのって、

同性としてどう思うんですか。少しでも同情しますか。

  • 同姓として、という思いはない。世の中には痴女ってのもいるし、中学生男子をたぶらかす女教師が事件として報道されたりもする。パートナーのケツにお玉突っ込んで死なせちゃったのは誰の妹だっけか?
  • 人としては、まぁ、最低だと思う。
  • 同情するかどうかは、程度や状況にもよる。すべての事件を一括りにはできない。すべての男性やすべての女性を一括りにすべきではないのと同じように。

4,性欲はスポーツや趣味や仕事にうちこめば、昇華できるんですか。

  • 性欲処理はストレス発散としても行われたりする。おいらもよくやる。
  • 個人差があるし、実際おいらの周りでも「疲れちゃってそれどころじゃない」という人はいる。でもその一方で、疲れを理由に結果論的な禁オナしていた人が、2~3週間で夢精してしまったという話も聞く。
  • 個人的には、中学生の頃は体育系の部活やりながら土日は剣友会 (剣道の道場じみたサークルみたいなもん) に通っていたりもして、体力的にはかなり発散させまくる日々を送っていた筈なんだが、体はぼろぼろで筋肉痛でひぃひぃ言っててもあっちはやっぱり元気だったなぁ。。。

5,女性を見てドキドキするとき、その人に愛情をもってるのか、

ただ性衝動につき動かされてるだけなのか、区別できますか?

区別してたら、その人に対する態度も変わりますか?

  • これは区別できると言うべきなんだろうね。でも、正直自信がないこともある。自信がないのはたぶんおいらがいろいろと未熟だからなんだと思う。
  • 正直に告白するならば、愛情を持って接する相手にも、性的にムラムラする。その性的なムラムラは、愛情を抱いていないはずの相手であっても、状況次第では抱く物なんじゃないかと思う。一方で、性的にムラムラするのとは違った感情としての何かっていうのはある。
  • しかしそれにしたって「ドキドキ」と言い表すほどのコーフンってのは、若いうちだけなのかも知れんが (歳食うとむしろコーフンよりも安心感を求めるようになるような気はする)。

6,女からみればわからないけれど、普段澄ました顔をしてても、

実はエッチなこと考えてるんだろうなぁ、こいつ、って男同士では

わかるんですか?

  • 知らん。亀仙人か。女でも見抜けない男の内心のエロ感情が男に分かってたまるか。
  • まぁおいらは男にも女にもそういう感情が見抜かれやすいタイプではあるんだがな。orz

7,男の友達同士で、彼女とか風俗嬢としたことって、どれくらい詳しく

話すんですか。それ、恥ずかしくないんですか。

  • 男女差があるのかどうかは知らんが、男同士でも童貞が必死にでっち上げの経験話を繰り広げて周りに話を合わせるという光景は、少なからずある。おいらもそういう経験はある。
  • 一方で色めいた、浮ついた話が盛り上がる集団と、そういう話が全くと言っていいほど出てこない集団とで見事に分かれがちなのも、男女差どれほどあるのかおいらにはよー分からん。
  • おいらはがきの頃は下ネタ・猥談は喜んでしたが、大人になって自身の性体験を喜んでぶちまけあうと言うことはあまりしなかった。しても嘘言って話し合わせてただけだ (大抵は)。
  • ただ、おいら自身は話を合わせていただけにしても、実際に性風俗にお世話になったという話をいろいろ聞かせてくれる友達というのがいた時期はあった。彼がその話を、恥じらいを伴って話してくれていたかどうかは分からんが、聞いていたおいらの方は恥ずかしいと言うよりはどちらかというと苦笑いするより他ないという感じだった。
  • 性風俗とのつきあい方は人それぞれなんだろうが、何人かからの風俗体験話を聞く限りにおいては、それは単純な性欲処理のための手段と言うよりは、もうちょっとだけ高等なコミュニケーションのための手段として対価を支払う、と言う位置づけであるように感じた。従ってソープはランクが低めに見られがちだったように思う。あれはどうしても性欲処理という部分が重視されがちで、なかなかどうして流れ作業的なんだそうだ。まぁ店にも依るんだろうけどな。

8,エッチあまり好きじゃない彼女とか奥さんって嫌ですか。

あたしはスキンシップは好きだけど、あれは二週間に一回くらいで

いいんです。そんなのって愛がないって思いますか?

たんに欲求が少ないだけなんですけど……

  • 愛と性欲に相関性はない。だからこの点においてパートナーと何らかの不安を抱いているのであれば、全く気にする必要はないと思う。
  • そして、相関性がないからこそ、男女間でお互いに譲り合い、あるいは主張しあって線を引くべき部分でもあるとも思う。異性と同居する場所で安心して自慰行為に耽られる人間は男性にも女性にも少ないんじゃないかと思うので (知らんけど、おいらは嫌だ)、sex しないということはその分欲求不満が募ると言うことだ。それを知っていて、でもそれにしょっちゅう付き合わされるのは嫌だと突き放してしまうのは、男性にしてみれば確かにつらい話だ。
  • 一方で女性だって嫌な人は嫌なんだろうし、嫌なことなのに仕方なく相手するって言うのもつらいだろう。そこは今度は男性の側が理解してあげるべきことだ。でもどちらにしたって限度って物があるだろう。
  • だから、この部分についてはお互いによく話し合って、しっかりルールを作るべきだと思う。で、お互いの主張の中で、愛がどうだの、世間体がどうだのといった要素は一切排除すべきだ。日々の集中力であるとか、体調面であるとか、気持ちの問題であるとか、そういうテクニカルな部分を惜しげもなく出し合った上で、お互いに納得のいくルールを設ければいい。
  • そういうガチ喧嘩的なコミュニケーションができもしないでなぁにが愛情だ糞食らえ、とは思うぞ。

性別のレッテル

まぁなんつーか、こういう質問は匿名だからこそできるもんだ罠。よっぽど仲良くなった相手でもない限り、男性に対して滅多に聞くべきではないと思う。特に 2 と 3 と 7 は、人によっては聞かれてあまりいい気分はしないだろう。「男」という枠の中で一括りにされた上で、ただそれだけの属性で偏見を持たれているんじゃないか、と思うからだ。

「何で女性は宝石とかに目がないんだ? あんな糞の役に立たんもん、金の無駄だと思わんのか?」とか聞かれても、実際宝石とかに興味のない女性は「知らねーよ」としか言い返せないだろうし、「何で女はどいつもこいつもスイーツなんだ」とか聞かれても、そうじゃない女性にしてみりゃ「一緒にすんなヽ(#`Д´)ノ=3」って感じだろうし、ましてや「女って何でみんなテニプリとかであーいうイタい妄想ができるんだ」とか聞かれても、コミケどころか少年誌系のマンガにも興味のない女性にして見りゃそもそも言葉が通じないだろう。

人生いろいろ、男も女もえろえろいろいろなのですよ。

sex そのものが愛情表現ってわけじゃないです

とはいえ、健康な若い男性が、女性には考えにくい程度には短いスパンで自制しにくい性衝動に駆られるのは事実で、その欲求を満たすためにパートナーにあの手この手を尽くしてそれを要求してしまうという光景は非常によく見られます。そうした場合に、男性の方から「愛」という概念を理由に行為を求めると言うことがままあるかも知れませんが、そうしたときに男性の口から出る「愛」という言葉は 100% 詭弁であると解釈してほぼ間違いないだろうとは思います。もしそうでないなら多分その男性は愛と性欲を混同しているだけだと思うので (恋愛経験・性交渉経験の乏しい男性であればありがちな症状です)、そういう場合は「そういうのは愛とは言わないんだよ」と優しく教えてあげてください。

sex は子供を産むための行為ですが、コミュニケーションの一形態としても用いられている物です。しかし正式 (?) なつがい以外との性交渉は、多くの社会において倫理に反する行為であるとされているため、「性交渉には愛を伴わなければならない」という考え方が、そのままひっくり返って「愛しているなら性交しなければならない」に誤解されてしまうと言うことが多いんではないかと思います。おいらは後者が間違っている以前に前者もそれほど真実だとは思っていないのですが…。

特に何も考えていない男性であれば、このことについては非常に素直に健康的に、「気持ちいいことをしたい」としか思っていません。これが少し大人になると、家庭を築くと言うことも考慮に入れていたりはします。なので男性でもこういう考え方に気づいている人はもしかしたら少ないんじゃないかとも思うのですが、実際には男性は、必要に駆られて sex や自慰をしています。そしてその「必要」の頻度は、その人のそれまでの生活習慣に深く依存しています。これは憶測ですが、女性の言う性交渉の適切だと思う頻度、今回の質問の 8 に示される二週間に一回くらいというのは、実は特に根拠はなく、何となく設定しているに過ぎないのではないかと思います。その一方で、男性の体では常に性欲を促す分泌物が蓄積し、それを吐き出す「必要に迫られ」ているのです。

現状一緒に暮らしているわけではないのであればそれほど深く配慮する必要はないのですが (心理的影響は一旦横に置きます…後述)、同棲しているのであればこのことは非常に切実な問題ですので、どうか相手の男性としっかり話し合ってあげてください。回答の中でも書きましたが、少なくともおいらは同棲していてオナニーする気にはなれないです。でも欲求を溜め込みながら日々を暮らすのは健康上よろしくありません。

で、sex と愛情の関係について振り返るならば、必要とされる性交渉の中で、その中での一つ一つの接触、言葉、行為の中に愛情を込めればいい、という話なんじゃないかと思います。「必要なんだから、せめて愛情を込めてやれ」って感じです。これはどちらかというと男性が肝に銘じておくべきことであるように思います。

sex と「自信」の相関

これは先ほどの話と前後すると矛盾するようにも見えなくはないのですが、必要かどうかとは別に、sex するのに他に障害がありそうにないような場面において、女性に性交渉の要求を断られる場合、個人差はありますが、深く自信を喪失する可能性があります。性的接触は非常に生理的なコミュニケーションですので、それを拒まれると言うことは、すなわち「生理的に敬遠されているのでは」と感じるわけです。こうした疑念は男性を非常に不安にさせます。

これは一方で男性の側にも配慮は必要であるようにも思います。「今日は気分的に嫌だ」というのも立派な理由です。そこは飲むべきです。でもその一方で、女性が sex を拒む理由として、何らかの事情があるのであれば、それはなるべく説明してあげるべきだと思います。それで納得してもらえないのであれば。。。まぁ、お互いのためにも別れておいた方がいいんじゃないでしょうか。

「ニコニコ現実」よりも「ニコニコテレビ」の方が現実的かな。2008年07月07日 23時52分27秒

ブログ界隈の文脈を追うのはしんどいのう。

まぁ、最後の記事がだいたい総括的に書かれているので、大抵の人は最後の記事だけ通して読めば出来事に対する理解としてはだいたい十分なんじゃないかと思うし、おいらの言及も基本的にはそこに絞りたいと思う。ただ、一連の話の流れの中で、ニコニコ大会議とやらで行われた試みとそれらに対する会場内での反応が、いじめの構図を表す物なんでないか、そしてそうした光景を、まるで新時代の幕開けであるかのように歓迎し、分からないけどきっと、笑われてしまった人達も、よしとしている気がする、などといういい加減すぎる感想が、一部の愛すべきナイーブな方々を刺激し、そうした感情に乗っかるような形で、避難と罵倒の嵐をブ米で矢の雨のように降り注がせる光景ってのは、まぁなんつーか、今時のセンシティブな痛い Web 社会の現実をさらけ出しちゃったようで、個人的にも最初はどちらかというと y_arim さめとかに同情的だったおいらもなんだか冷めちゃったかしらんみたいなそんな気分にならざるを得なかったのですよ。どっちがいじめてるんだかーみたいな。

「ニコニコ現実」はまだ早計では?

で、それはまぁそれとして、問題にされている「ニコニコ現実」のプロトタイプとやらなんですが、引用するとこんな感じだったらしいんですわ。

  • ニコ動ユーザ1万人向けに、リアルタイムで会場の様子が実況中継放送されていた。その中継映像には、通常のニコ動と同じく、コメントをつけることができた。
  • 上の中継放送+コメント付きの映像が、今度はそのままイベント会場に中継されていた。具体的にいうと、ステージ両脇に大画面があって、そこにほぼリアルタイムで(数秒遅れで)、コメント付きの映像が投影されていた。いわば「二重中継」というか「再帰的中継」の状態だった。
  • そして会場の観客は、ほぼリアルタイムで、いま目の前体験している会場の様子を、「ニコ動」のフィルタを通して数秒遅れで追-体験していた
    • ちなみに会場からはけっこうな頻度で、まさにニコ動的なツッコミや野次が飛んでおり、会場自体も「リアル・ニコ動状態」と化していた。いや、というか本来は「野次」のほうがもとから存在する現象であって、ニコ動がそれをネットサービス化した、というのが正しいんだけど、もはやその図式は完全に転倒していた。普通のイベントで、あれだけ野次が飛んでいたら、それは「異様」だと思うはずなのに、当日はけっこう「ライト」に受け入れられていたのは、それが普段から見ている「ニコ動」と同じようだ、と感じてしまっていたからに違いない。

まぁー要するにこの方は今回のこうした仕掛けを、ニコニコ大会議というイベントを盛り上げるための装置としての実験であると捉えていらっさるように見受けられたんだけれども、これって少なくとも現時点でのニコニコに対する推察としては正しいのかしら? とか思うのですよ。というのも、イベントにこの仕掛けを提供する、という話だけだと、どうしてもその機会というのは酷く限定的になってしまうし、商売としても成り立ちにくいんじゃないかと思う。少なくとも、そういう未来がくることを想定して今からリテラシーを重ねておきましょうみたいな話に持って行くのは、あまりにも早計なんじゃないかなぁ。

「ニコニコテレビ」ならあり得るかも

個人的には、今回の試みは、「ニコニコ現実」とやらのプロトタイプと見るよりは、むしろニコニコのコメントシステムとテレビ放送との融合を想定した実験であるように感じた。あえて名付けるなら「ニコニコテレビ」とでも言うべきだけど、個人的にはこの名称はあんまり好きになれないかな。まぁネーミングとかは非常にどーでもいーんだけど。

脳裏に浮かんだのはむしろこっちだ。イベントってのはたまにしか機会がないけれども、テレビ番組への採用という形であれば、この話はもっとぐっと現実的になるんじゃないかと思う。あのひろゆきさめのことだし、遠い夢を語るような人であるようには思えないんだよね。

ニコニコ動画では静的に保存された動画に対して、タイムラインにコメントを載せるという形をとっていた。この仕組みの特徴は、動画という時間の流れがある物に対して、その時間の流れにコメントを載せることで、動画を見ている間だけ感じられる仮想的なリアルタイム性を楽しめるっていう点、そして何より、コメントが割と長期間保存されるっていう点にあると思う。つまり、コンテンツ提供側のタイムスケジュールの都合に合わせて端末の前にいる必要はなく、いつでもそれを再生できるっていう点にあるってこと。

これがテレビ番組との連携という形になることでどう変わるかというと、そのテレビ番組が放送されているときに、端末の前にいなければいけないということになる。ということは、人気の番組を絶対に見逃せないということだ。しかも保存されているわけではないので (権利関係とかうまく調整できれば一定期間保存されたストリームを楽しめるようにはできるかも知れないけど)、瞬間瞬間を見逃しても、あとでそこをもう一度見直すということができない。そういうハンデがあると分かっていて、そんなサービスを何処まで盛り上げることができるのか? そこが課題になってくるんじゃないかと思う。

で、上記の GIGAZINE が紹介しているサービスの場合、その辺の課題に答えられている気があんまりしないんだな。むしろ、こざかしいアバターであるとかそういった流行物をちりばめることで、その辺の不安をテキトーに誤魔化しているような気さえする。

しかし今回のニコニコ大会議での「実験」が、運営的に成功裏に有意義なデータがとれた物であったとするならば、今回の出来事は割と重要な伏線になるんじゃないか、と、おいらの冴えない頭がちょっとだけ直感を働かせてくれた。

今回の舞台セットを用いた番組を作ってしまえ

よーするにこういうこと。今回のように、素人に参加させてコメントに弄らせる、という形態を毎回やるのはつらいだろうけど (萩本欽一がこんなにも嫌われるこのご時世ですし)、そうじゃなくて、ごくフツーのバラエティ番組的な物、あるいはすでに吉本から提供されているようなコント番組を、ニコニコ動画のフレームワーク上で生放送として放送する。で、その際、舞台セットとして、今回用いたような、スタジオ内にもコメントが表示されちゃうシステムを設置する。すると、ふざけたコメントを出演者が見つけて、そのコメントにわざと弄られてみたり、逆に突っ込みを入れてみたり、むしろコメントがつかないことに逆ギレして見せたりして、会場に足を運んだ観客の笑いをとる。みたいなことが可能になる。

お笑いだけではなくて、これがたとえば国会中継なんかだとどうなるだろう? ヤジは政治家だけの物ではなくなる。リアルタイムでコメントのバックラッシュが巻き起これば、それが民意であることを政治家たちは即座に知らしめされることとなるわけで、彼らの緊張感も非常に高まるのではないだろうか。

そういえば、ソフトバンクがホークスを買収するとき、オーナー審査 (だっけ?) で孫さんがいろいろとアイデアを披露していたわけだけれども、その中で、IT 技術を用いて、監督の采配に視聴者がいちゃもんをつけられる仕組みを作ったら面白いんじゃないか、みたいな話をしていたはずだけれど、あれってどうなったんだろう? そんなのも、今回のニコニコの仕組みを使えば、実現できちゃうはずだ。実況のモニターにも表示されて、解説が即座に受け答えできたりすると、それもまた面白いんじゃないかな。

そんな感じで、いきなり現実全般に適用しようというのではなくて、あくまでテレビ番組という枠内であれば、いくらでもおもしろおかしく応用可能なアイデアであると、おいらは思ったわけだ。

かつてテレビ番組においては、タレントが素人を弄ることで、番組を盛り上げようとする文化が横行していた。その時代に生きていた人々は、そうした文化を受け入れ、ともに楽しんでいた。しかし時は流れ、社会の同調圧力に疲れた人々は、次第にそうしたいじり文化を標榜するバラエティ番組の古い慣習に、憤りを覚えるようになってきた。もっとも、憤りを感じているのはまだまだ「一部の人々」なんだろうけれども。

しかしニコニコは、もしかしたらこの文化を、全く逆転した楽しみに変えてしまうかも知れない。今度は視聴者が、バラエティ番組を、はたまたその他の様々な番組を、いじり倒してやるターンなのだ。ならば存分に楽しんでやろうじゃあありませんか。

なーんつって煽ってみたりして。むふ♥


2008年 7月 10日 木曜日 08:18:10 JST - 追記

まあ過去の歴史的事件にあてはめて、というよりもむしろ一般名称としてのファッショ的事態といったほうがふさわしいだろうか。ニコニコがファッショと親和性があるというのは初音ミクの話をしたときに一度指摘したのだが、今回のニコニコ大会議はまさにそのような事態であろう。

ベンヤミンはファシズムの本質を「政治の耽美化」であるという。ニコニコ動画においてそれは「おもしろ化」である。まさに「ニコニコ」がスローガンなのである。あらゆるものをおもしろくすることこそが「ニコニコ的現実」に他ならない。たとえば、国会中継をニコニコ化すべきだという意見がある。なるほど、国会中継をみんな見るようになるかもしれない。しかしそれはおもしろ化された国会中継であって、政治が行われている場としての国会中継ではない。それは何をもたらすか?単純である。つまり、郵政選挙なんかよりもっと酷い事態だ。

なるほどねー。だとすると国会中継とかへの応用って案は難しいね。リアルタイムだとモデレーションする間もないしね。ちと軽率だったかもな。