社会問題アレルギーと「バカ」の定義 ― 2008年08月01日 08時07分07秒
どこに tb 飛ばすでもなく一言二言。。。
「個人で解決するべき問題を、社会の問題として他人に転嫁する奴はバカだ」という言説がある。なるほど、その通りの文脈で話が発生しているならば、それは確かに馬鹿馬鹿しい行動だと思う。
一方で、身近に起こっていること、あるいは自分自身の身に降りかかっていることであっても、目下彼らの (あるいは自身の) 災厄そのものを問題視する (あるいはその解決を目指す) のではなく (あるいはそれとは別に)、そうした物事に類似する問題が、ある枠内における社会全般に一定量以上共通して存在する問題なのではないかと仮説を出し、その仮説に基づいて調査・行動を深めていくという活動があり得る。それは学術研究レベルでは大いに行われている活動であり、あるいはジャーナリズムとして、あるいは個人・団体の活動家として、あるいは国家政府、シンクタンク、企業によるビジネスリサーチ等々、様々なレイヤーで行われている活動である。
そうした活動の鼻緒として書かれた仮説に対し、「それはあんたの問題なんだからあんたで解決しろ」ということしかできないのだとしたら、彼には決定的に社会学のセンスも、それどころか商売のセンスもないということになるのではないか。
プログラマーが、プライベートで書いたプログラムを一般に公開するのはなぜか。自分のために役に立ったプログラムが、世間の役に立つ可能性を鑑みるからなんじゃないのか? 自分のことを自分事として解決するのがスマートなら、そうやって配布されたプログラムを検索して拾ってインストールするという行為は「バカがやること」だということになるんじゃないのか? 金を出してまでソフトを買う奴は大馬鹿者だというのか? そもそもあなたが作ったプログラムは、他のどのコードにも依存しない物なのか? ライブラリは? 言語は? システムコールは? コンピュータで感じた問題は、すべてマシン語で書いて解決すべきなのか?
あなたが「バカ」だといった人々は、そうやって本来自分事として消化されるべき知識を、社会に還元するという活動だ。そしてそうした活動を通して、社会はお互いを支え合っているのだということに、今一度立ち返るべきではないか。そんなことにも気づけないようでは、あなたこそ「単なるバカ」に堕落することになる。
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