非モテは貝になりたい2008年08月07日 08時48分04秒

この話題は一旦待避するつもりでいたんですが、もうちょこっとだけ。

カルチャーの広まりとしては理解しました。

「好きになる」という言葉に、強いニュアンスを持っているように感じました。指摘された部分において、おいらが書いた人を好きになれない人は、人から好かれていることにも、なかなか気づけないの部分の「好きになる」は、前後の文脈とごっちゃになってヒジョーに分かりにくいのですが、告白衝動に繋がるという意味でのそれではなくて、例えば偏見を抱いている部分があるのだとすれば、自分が相手の何に偏見を抱いているのかを見つめ直すとか、相手の振る舞いに腹立たしい部分があるのだとすれば、その腹立たしい理由を自分でちゃんと理論立てて説明できるのかとか、そういう地道な自己分析を通じて、本来忌避する必要のない人を忌避してしまっている可能性を少しずつ潰していく、といった類の物です。

人を好きになるっていうのは、好かれることほどではないにせよ、何気に難しいことなんじゃないかと書いたのも、今書いたような「好きになる」をベースに、ある対象への興味や経緯、魅力などによって培われた感情を、その後も継続的に持続していく、あるいは持続できなかったことによるその後の生活、自身の行動をも受け入れるということも含めて想定しています。「自分の感情をコントロールするのは難しい」というテーマにも通じるもので、こちらは怒りっぽいとか笑い上戸とかを連想されがちですがそっちではなくて、むしろ「うまく怒れない」「うまく笑えない」という類の物です。ものすごく頭の悪い方法で要約してしまうと、加減が難しい、ということになります。

これは、「男女の友情」について指摘した以下のブログ記事においても説明されているような、友情と性愛の接続という概念にも通じるものではないかと思います。おいらはこの記事はあまり好きにはなれなかったのですが…、

この記事では女性はそれを理解しやすいのではないかとしていますが、個人的な経験談で言わせていただければ、少なくとも思春期周辺の内は女性でもそれを理解できない人がそれなりにいるんではないかと思います。で、そういう人に限って声が大きくて、自分が好きになれないタイプの男子 (子どもの内だと見た目もそうだけどそれ以上に清潔感とかの方が大きいんじゃないかな) に対しては強く忌避するものだから、学校のクラスみたいな閉じ込められた空間の中では同調圧力みたいなものが支配的になってしまい、結果としてみんなに避けられるような状態になってしまう。そういう経験はおいらにもあるので、自分が女性に好かれるなんてことは有り得ないんじゃないかという気持ちに限っては痛いほど理解できるんです (そういう意味ではおいらも十分「非モテ」でした) (「うざい」のようなネガティブなニュアンスの「便利な言葉」に嫌悪を覚える理由の一つでもあります)。

ただ、こうした傾向は大人になって行くに従って (少なくとも表面上は) 和らいでいくものであり、大学のサークルなんぞを覗いて見ますと、おまいら小中高校までなら絶対仲良くなること何て有り得なかっただろうって言うくらいかけ離れたタイプの男女がとりあえず一生懸命フツーに接せられるぐらいにはコミュニケーションを図ろうとしている光景を目にすることができたりします。

社会人の場合、戦略面で言えばとりあえず男女が常日頃顔をつきあわせなければならなくなるようなコミュニティに参加してみる (職場以外でね) という手があると思いますが (英会話スクールとかスポーツジムとか)、あんまりその辺まで突っ込んで書くと自己責任厨だのマッチョだのと叩かれそうな気がするのでそれはやめておきますw

で、しろくま先生の記事も読んだのですが、

いろいろとなるほどと思える部分はあったのですが、こちらもこちらでいきなり恋愛なんだなぁと…。ていうか「オーラ」というのは抽象的すぎて説明としてはうまくないような気がします。

実際のところ、よく訓練されたありふれた非モテは、男女混合のコミュニティに参加することになったとしても、基本的に恋愛を前提としたコミュニケーションは絶対とろうとしませんし、そこに発展しそうになったら概ね全力で逃げます。ソースは俺 (笑)。そのくらい、彼らは自信がないんです。そこは理解できる (理解できるだけに、一人でもいいから異性に好かれたいってのは理解できないんよ。おいらは表面上でも異性に好かれるのは刺激が強すぎて恐くて恐くて仕方がなかった)。だから女の子に「村山くんってモテるんでしょ~」なんて言われようものなら全力で否定してた。精神的な安定を求めようとする欲求ってのは誰しも割と自然に働くものなんですが、おいらの場合そのときには、「モテないおいら」というキャラクターを崩したくなかった。そこを崩してしまうことになんとなく恐怖を覚えていたんですな。

で、それが氷解して、「俺も恋をしてもいいのか」って思えるようになるには、割と長い時間をかけての矯正や、何らかのカンフル剤的な出来事が必要になるのだと思います。そういうのをすべての非モテ個人に期待するのは酷だと思うので、非モテが極力少なく済むような社会的な手当が可能なのであれば、それは推進すべきなのでしょうね。

とりあえずそんなところで。