そして「病気」は理解されない2009年03月23日 20時29分04秒

「原因特定」は慎重に

人が感じる「心地よさ」というのは、あまりあてにならないものです。あなたが普段ストレス解消のために行っていることはなんですか? とあるうつ病患者はテレビゲームが大好きです。彼にとってテレビゲームはストレス発散にもなるのですが、実際のところ、視覚と聴覚に大きな刺激を与えるこのエンターテイメントはメンタルヘルスに有効なリラクゼーションたり得るのでしょうか?

精神疾患のことをメンヘルと呼ぶこと自体個人的には抵抗があるのですが(メンタルヘルスは「心の健康」の意なのですが…「メンヘル板」の愛称自体にもそんな悪気はなかった筈なんですけどね)まぁそれはともかく、うつ病などをはじめとした精神疾患は「体の病気」です。病気についての予防法を考えるのであれば、その理論は科学的に正当であることが望ましいでしょう。例えば風邪に対する予防ひとつとっても、季節毎に流行するウイルスの種類に応じた対策であったり、自身の抵抗力を高めるための対策であったりと、各種のアプローチが考えられます。手洗い、うがい等の衛生面への配慮、部屋の温度・湿度調整や換気への配慮、外出時であればマスクをつけるといった対策 (乾燥する関東平野の冬は睡眠時のマスクものど風邪対策に有効ですね)、ビタミン類を効率よく摂取するために果実や芋、根菜を食べるなど、どれも少なからず科学的な裏付けがあって推奨されているものです。

それから、病気にかかってしまったあとの対策は、予防策とはまた異なってくるのが普通です。風邪の予防にはタンパク質の摂取も重要ですが、風邪にかかってしまい、消化器官が弱っている人が、無理にタンパク質を摂取しようとするのはあまりよい対策ではありません (豆類も肉類も、基本的にはそれほど消化は良くありません)。胃に優しい炭水化物を十分に摂取しながら、豆腐などの消化が容易なタンパク質を選んで摂取することが大切です。

精神疾患についても同様のことが言えるはずです。精神疾患に「原因」があるならば、それは「科学的に」特定されるべきであり、その排除には慎重を期するべきなのです。そしてその「原因」は状況依存であり、単純ではありえません。夏風邪を引いた人が、クーラーの効かない部屋で窓を閉め切り、大量の布団にくるまって汗水垂らしてフーフーいわせても治りっこないのと同じことなのです。

しかし、うつ病にかかる方というのは、その「原因」の特定を急ぎすぎるケースが多いように思います。確かに、間違いなく明確な原因があるのであれば、それを早い内に改善することはよいことであるのは確かなのですが、早合点のために決断を急げば結果として大いなる損失を招く可能性もあります。特に、その原因を心理的「外部」に求める方は特に注意する必要があります。「私がうつになるのは旦那のせいだわ!!」と慌てて三行半を突きつけた結果、頼るべき人を失いますます追い詰められてしまうのでは洒落になりません。

「誰でもかかる可能性がある」の意味

どんなにしっかり予防をしているつもりの人でも、かかるときにはかかってしまうのが病気というものです。風邪でさえそうです。完璧に風邪を防ぎ続けるというのは案外難しいものです。一生の内に一度も風邪にかからない人というのはむしろ少数派であるはずです。

そういう意味では、精神疾患は風邪ほどにはかかりやすい病気ではないし、「誰でもかかる可能性がある」という言葉の意味合い、ニュアンスも人によっては受け止め方が違ってくるでしょう。「誰でもかかる可能性がある」と、頭では解っていても、「私は大丈夫」と心のどこかで思っている人は少なくありません。

id:xevra さめの今回の記事のようなものを読んだ結果、これを見習って「対策」をし、「私は (対策しているから) 大丈夫」と思う人が増えてしまうかも知れません。ご心配には及びません。多分、あんまり効果はないですから。

個人的には、精神疾患の類は境遇病であると認識しています。家庭環境、コミュニティ、学業の質、仕事環境、生活レベルや住んでいる場所、そういったいわゆる人生の「背景」に当たるものの影響が最も大きく、そうしたものから押し寄せられる「圧力」にじわりじわりと浸食されてゆく内に、じっくりと病巣を広げてゆく。精神疾患とはそういう類の病気であることが多いのです。

健康な生活を送るというのは、容易いことではありません。人には一人一人異なる「経緯」「文脈」といったものがあり、それらが個別の「境遇」を作り出すのですから、そういったものを一切合切無視して「健康であるべきだ」と言ってしまえばそれは暴論になるのです。バランスの良い食事を取ろうにも自炊する時間もなければうまい飯を食う金もない。運動したくても運動する時間や根気がない。スキンシップを取る相手が居ない。仕事柄画面ばかり見続けざるを得ない。休日も会社に出勤する。挨拶を交わしづらい職場だ。礼を言うような機会がない。音楽を聴く時間も踊る時間もない。うつ病の友人が頼れそうな人が自分意外に見当たらない(見限れとか距離を取れとか簡単に言ってのける人は少なくないけど、そういう人は自分の想像力が如何に貧困か気付くべきだと思うよ)。今日も明日も徹夜仕事だ。そういう人が、 id:xevra さめのオススメする予防法を、何故実践できましょうや?

そして、一度そんな病気にかかってしまった人に、そのような生活が送れるよう環境を変えるべきだと勧めるのは、愚かしいにも甚だしいという話なのですよ。そりゃあ、確かに今の仕事を辞めれば、そういう生活は一時的には送れるようになるかも知れない。お金が続く限りはね。しかし「将来への不安」を募らせる患者がそのような決断を容易に下せるものでしょうか? そして決断の後、貯金が尽きるまでに病気が治らなかったら? 生活保護給付が得られるという確証は? 実家に帰れない何らかの事情があるとしたら? 実家に帰ったことによって病気を悪化させる「境遇」もあり得ますよ。親・家族の不理解なんてこの種の病気を巡る問題の鉄板です。

それでも基本的なことをいくつか上げるのであれば

結局のところ、精神疾患を患う可能性が高くなるような「境遇」そのものを潰してゆくことが「社会に」求められるわけです。それを指摘せずして、精神疾患を社会問題として扱う意味はないでしょう。社会問題として扱われるぐらい、この病気は治すのが難しく、そしてかかってしまう人の社会的再起が難しい。簡単に治せる病気であったり、かかったところで社会的な扱いに支障がないようであれば、そもそも社会問題として扱われることはないのですよ。

この手の記事に飛びつく人がたくさんいるのは、それだけこの病気に皆がかかりたくないからです。「かかっちゃったら終わりだ」と、多くの人が思っているからです。そう思う人が多くいる限り、この病気は社会問題たり得るのです。ふざけるなという話です。

しかしそれらを承知でそれでも敢えて、敢えてこの病気に対する予防策、あるいはかかってしまってからの対策を考慮するのであれば、それはひとえに正しい知識を持つ精神科の医師に相談を仰ぐことなのではないでしょうか?

あと一般的に言われている限りで基本的な対策としては、頭を休めること、生活リズムを保ちつつ日光を浴びること、体を冷やさないこと、ぐらいでしょうか。食事とか運動とか音楽とかは、おいらには分かりませんが、うつ病にかかっちゃった人に運動を勧めてはいけない、とは聞いたことがあります。

そしてなにより、能動的になれない病気であるうつ病の人が、能動的であるべきとするいかなる言説も耳にするべきではありません。これは周囲が気をつけなければならないことです。「ダンスをするのがいいらしいよ」なんて絶対に勧めてはいけないのです。ダンスをしてみようとして、思うように体が動かせないしやる気も出ないということに、ますます自信を喪失するのがオチなのですから。