曖昧なのは「死」という言葉の使い方の方なのでは…2015年06月29日 17時04分45秒

曖昧な言葉というのは存在します。その言葉が使われるようになった経緯上、はっきりとした意味合いが定義づけられていないような言葉のことです。インターネット関連の言葉でいうと、例えば「クラウド (コンピューティング)」は曖昧な言葉と言えるだろう。今でこそそれなりの共通認識を以って使われる言葉となりつつはあるようだが、その言葉が使われ始める前後を比較するような議論に、ビジネス上の宣伝文句以上の意味はないのではないかと思われる。

ところで、スマートフォンなどに代表されるモバイルデバイスの普及と、 Web アプリのクライアントがモバイルデバイス用に実装された個別の専用アプリに置き換えられてゆく現象 (あるいは、これまで Web アプリとしてリリースされてきたようなサービスがモバイルアプリとしてリリースされるようになってきている現象) を以って、「Web は死ぬ」のではないかとする議論が一部で持ち上がってきているらしい。へー。

リンク先記事の主張を要約すると以下のようになると思う。

  1. この議論において、「Web」という言葉が曖昧に扱われているので、「Web は死ぬ (or 死なない)」という時の「Web」という用語について、その定義を各々明確にしておくべきである。
  2. (モバイル) アプリによって Web は死ぬと思われる。但し、このとき著者が「Web」という言葉を持って指し示される概念は、以下の通りである。
    • Web サイト
    • Web ブラウザ
    • Web アプリ

記事中ではこれに対し、死ぬことはないだろうと思われる概念についても記述されている。詳しくは当該記事本文をご参照願いたい。

「Web」という言葉の曖昧性?

さて、のっけから前提事項を覆すようで申し訳ないのだが、そもそも Web という言葉自体はそこまで曖昧な言葉だろうか? 確かに、経済学者やビジネスコンサル、ネットビジネス評論家含むメディア関係者などに言わせればとたんに曖昧な言葉になってしまうものかもしれないが、クラウドみたいな命名経緯自体が曖昧な言葉に比べれば、ティム・バーナーズ=リーの発明品である Web はそれよりずっと明快な言葉であると言えるだろう。

一応おさらいしておくと、ここで言う Web とは World Wide Web の略称であり、以下の 3つの技術を柱として構成されるハイパーテキストシステムのことである。

  1. HTTP

    Hypertext Transfer Protocol の略。情報処理技術全般を学んだことのある人であれば「アプリケーション層のプロトコルの一種」という説明で通じるのだが… 要するに Web で扱われる通信上のやり取り (GET: (コンテンツの)取得、 POST: (フォームデータの)送信、等々…) を処理する通信方式の規格である。ポート番号が標準的に割り振られていて、通常、平文のものは 80番、 SSL を用いたセキュアなものは 443番を使用する。

  2. URI (URL)

    コンテンツを同定する場所を表す名前として定義された URL (Uniform Resource Locator) という概念は、そのままあらゆる固有概念を同定する名前として URI (Uniform Resource Identifier) という概念へと拡張された。スキーマ名、ドメイン・ホスト名 (または IP アドレス) (+ポート番号)、ロケーションパス、プラスアルファの情報を一行の文字列にぎゅっと押し込めたもので、通常 Web ブラウザのアドレスバーに表示されるアレのことである。

    この名前をメモっておく (ブックマークに入れておく) ことで同じコンテンツに何度でもアクセスできるし、この名前を指定して記事から記事へとリンクを貼ることもできる、と説明すれば、これが Web において如何に重要な概念であるかは理解できるだろう。

  3. HTML

    Hypertext Markup Language の略。通常、 Web ページはこれを使って書かれていて、 Web UA (User Agent) がこれを読み込んで画面表示をレンダリングする (UA は通常 Web ブラウザのことだが、 UA としての機能が組み込まれたものであれば良く、必ずしも Web ブラウザであるとは限らない)。

    Markup とある通り、マークアップ式の言語である。例えば、文中でこのように強調して表示したい箇所には、<strong></strong> というタグを、強調したい部分の前後に挿入して挟み込んでやる、といった要領で、文章にマークアップを加えていくことで整形したり、意味合いや機能を加えていったりするものである。また、 Hypertext と言われる所以は、 <a> タグによる Hyperlink にあり、この Hyperlink が文書から文書へ相互に参照を張り巡らす様が、まさに Web を Web (蜘蛛の巣) と言わしめる所以でもある。

…以上のうんちくは適当に読み流して頂いて構わないんですが(^o^;A、この辺の基礎知識を理解している方であれば、 Web という言葉を、少なくともインターネットそのものの意味で使っちゃうような事にはならないと思う。

ところで、言葉が曖昧に扱われる理由には、言葉自体が実際定義があやふやで曖昧である場合を除いても、他に以下のいずれかの場合がありうるのではないかと思う (他にもあるかもしれんけど)。

  • 話者がその言葉をよく理解していない場合。
  • 話者がその言葉を敢えて曖昧に用いたい意図がある場合。

結局のところ何が言いたいのかというと、よーするに「Web は死ぬのか?」というテーマで議論に参加している人々というのは、そもそも Web という言葉をあまり理解していないまま議論に参加しているだけなんでねーの? ということである。(うわーひどーい)

Web 技術を細分化して評価する

とはいえ、 Web の周辺技術はこれまでに様々な変遷を遂げ、多くの拡張や応用が施されており、そういう意味では、リンク先記事が試みた、 Web (周辺) 技術の切り分け評価は、本論においては意義のあるものだと思う。 Web 周辺のこの技術は今後も使われ続けるだろうし、この技術は今後は廃れていくだろう、みたいな話であればそれなりに興味深いとは思う。

なので、その辺の説明についても一応補足とか加えておきたかったりするのだが…、

4. Web アプリ

Web アプリという言葉も曖昧な言葉ですが、ここでは、

<meta name="mobile-web-app-capable" content="yes">

などに対応していて、Web サイトのアイコンをホーム画面に追加でき、起動するとアドレスバーなどはなく、その Web サイトがフルスクリーンで表示されるものを Web アプリと呼ぶことにしましょう。

どうやらリンク先記事の著者的には、モバイルアプリのように見えるものとして動作するものでなければ Web アプリとは呼ばないようである。 Web アプリという語感からこうした語弊が広がっている可能性はあるが、通常、 Web アプリケーションと言えば、 Web サーバーがユーザー操作に応じてプログラマブルに動作し、コンテンツを動的に生成したり蓄積したりするようなものの総称であって、古くは掲示板の CGI から、ブログや Wiki などのいわゆる CMS、データベース的なものから検索サイト、はては SNS やネット通販、地図や天気予報などに至るまで、 アプリケーションとして動作し Web UA でアクセスできるものであればすべて Web アプリケーションの一種である。

※ゲームの類を含めたがる人も多いと思うが、過去に Web 上で公開されたゲームであったり、あるいはいわゆる「ネットゲーム」「ソーシャルゲーム」の類なんかは、その実態が本質的には単に Web 上で「配布」されているだけだったり、通信はしているけど Web の要件を満たさなかったりすることが多かったようにも思うので、 Web アプリケーションとは分けて考えたほうが良いと思う。

特に、 CMS の類 (特に、例えばニュースサイトなど) なんかは、サイト来訪者から見れば単なる Web サイトのように見える一方、サイト制作管理者的には Web UA 上での操作のみでコンテンツを追加・編集することができるれっきとしたアプリケーションとして動作するものであり、このことは、 Web アプリケーションがすべてのユーザーに対して必ずしもアプリケーションっぽく振る舞う必要のないものであることさえ表すものである。

それ以外の用語の説明については概ね問題なさそう。

んで、「死ぬ」ってどういうこと?

そこで、それぞれの概念に対する、死ぬもの、死なないものとしての評価について検討してみるのですが、 Web アプリが App Store や Google Play などのアプリストアに登録できないことを以って死を宣告するという乱暴な論展開についてはそもそも Web アプリケーションそのものへの誤解があったっぽいことから目をつぶるにしても、 Web ブラウザが使われなくなるから Web サイトも衰退するとする議論についてもいささか横暴だと感じずにはいられない。

純然たる「Web ブラウザ」の利用がモバイルデバイスにおいてはそれほど多くないというのは恐らく事実なのだろう。そもそも Web ブラウザそのものを起動しようとする一番の目的は、検索サイトを介した調べものになる。 PC からの利用ではそういう形での調べものからよく利用するサイトをブックマークし、常に Web ブラウザからアクセスするような形を取ってきたが、モバイルデバイスではこれが一変して目的別にアプリとして細分化され、ニュースを読みたければニュースアプリ、お天気を調べたければお天気アプリ、場所へのアクセス方法を調べたければ鉄道路線情報アプリや地図アプリ、そして SNS にアクセスしたければ SNS 用の専用アプリと、目的に応じて個別のアプリを起動するのが普通になり、その分 Web ブラウザを敢えて起動する機会はぐんと減っていった。

ここまではいい。

問題は、 Web ブラウザそのものを起動しないことが、果たして Web ブラウザが使われなくなる理由となりうるのかという点。現状、 iOS にせよ Android にせよ、ハイパーリンクの URI に対する処理は、そのスキーマや MIME 情報、ものによってはドメインなんかも加味して、対応するアプリケーションを起動するというようなものになっている。 Android の場合だと、 Google Map にアクセスしようとした時点で Google Map アプリが起動しだしたり、 YouTube コンテンツにアクセスしようとした時点で YouTube アプリが起動し出したりするなど。

そうやって個別のアプリで処理できる場合には良いが、インストールされているアプリでは対応できないコンテンツ、要するに、単なる野良 Web ページだったり、かなり専門性の高い (よーするにマニアックな) サイトだったりすると、対応するアプリがないので、 OS としては Web ブラウザに任せざるを得ない。

Web というのはその名のとおり、サイトを横断的にリンクし合うものなので、利用者の端末にとって未知のアプリケーションにアクセスするようなリンクを踏んでしまった場合には、 Web ブラウザに頼らざるを得ない。 Web 通販を語る際に「ロングテール」という言葉がよく使われてきたが、モバイルユーザーにとっての興味のロングテールをカバーする存在として、 Web ブラウザは今後も使われ続けるだろう。

なお、こうした横断的リンクによって Web ブラウザを起動せざるを得ないケースにおけるユーザー体験の悪さを回避するために、 Facebook が Instant Articles を始めたのも、SmartNews が SmartView 機能を搭載しているのも、これらの理由からですといったような流れが出てきていることが指摘されているが、これはそのとおりだと思う。ただ、こうした動きはむしろ Web サイトを延命することになるのではないかと思う。 Instant Articles や SmartView、いや、古くは Yahoo News なんかでさえ本質的には同じものだったりするわけだが、こうしたものに賛同し、 RSS に乗せて記事を出稿する Web メディアが、それを理由に自社 Web サイトを潰してしまうとは (媒体のブランディングなどを考慮すれば) 考えにくいように思う (零細メディアが経営判断により潰してしまうケースがないとは言い切れないが…)。

以上のことからおいらの個人的な見解としては Web サイトも Web ブラウザも衰退というほどの状況には至らないだろうと思っているのだが、ここまで考えたところで、そもそも「Web は死ぬ」と言っている人と、「Web は死なない」と言っている人との間で、本質的には議論が噛み合っていない可能性があるのではないかと気がついた。

どういうことか。それは、「死ぬ」という言葉のニュアンスをどう解釈するかによって議論が割れるのではないか、ということだ。つまり、

  • 「死ぬ」という言葉がその概念そのものの衰退、すなわち「ほとんど使われなくなって、やがて廃止に追い込まれる」ぐらいの意味合いを指すのであれば、「そんなことはない」と反応する人が多数派になるだろう。
  • 「死ぬ」という言葉が、その概念に乗って行う商売が成り立たなくなる、という意味合いを指すのであれば、賛同する人は割と多くなるかもしれない。

Web をめぐる商売

Web 上で展開される商売にも様々なものがあるし、その関わり方も様々なので、結局は一様に言い切ることができるものではないとは思う。そもそもモバイルアプリ界隈がそこまで儲かっているのかというところも正直怪しいもので、結局は Web を使うかモバイルアプリという形を取るかは方法論でしかなく、むしろそこで提供されるサービスそのものの内容や質、そしてブランディングが勝敗を決めるのではないかとも思う。結局はね。

Web 界隈を周辺技術で切り分ける議論もそれなりに意義深いものであるとは思うのだが、それに加えて、業務 (サービス) 内容ごとに切り分ける議論もあっても良いんじゃないかと思う。そうすれば、今後、モバイルデバイス自体がどういう発展を遂げてゆくべきか、そして機能を補完するという視点からどんなアプリを作ったら受けるのか、なんて辺りも見えてくるんじゃないかな。しらんけど。