曖昧なのは「死」という言葉の使い方の方なのでは…2015年06月29日 17時04分45秒

曖昧な言葉というのは存在します。その言葉が使われるようになった経緯上、はっきりとした意味合いが定義づけられていないような言葉のことです。インターネット関連の言葉でいうと、例えば「クラウド (コンピューティング)」は曖昧な言葉と言えるだろう。今でこそそれなりの共通認識を以って使われる言葉となりつつはあるようだが、その言葉が使われ始める前後を比較するような議論に、ビジネス上の宣伝文句以上の意味はないのではないかと思われる。

ところで、スマートフォンなどに代表されるモバイルデバイスの普及と、 Web アプリのクライアントがモバイルデバイス用に実装された個別の専用アプリに置き換えられてゆく現象 (あるいは、これまで Web アプリとしてリリースされてきたようなサービスがモバイルアプリとしてリリースされるようになってきている現象) を以って、「Web は死ぬ」のではないかとする議論が一部で持ち上がってきているらしい。へー。

リンク先記事の主張を要約すると以下のようになると思う。

  1. この議論において、「Web」という言葉が曖昧に扱われているので、「Web は死ぬ (or 死なない)」という時の「Web」という用語について、その定義を各々明確にしておくべきである。
  2. (モバイル) アプリによって Web は死ぬと思われる。但し、このとき著者が「Web」という言葉を持って指し示される概念は、以下の通りである。
    • Web サイト
    • Web ブラウザ
    • Web アプリ

記事中ではこれに対し、死ぬことはないだろうと思われる概念についても記述されている。詳しくは当該記事本文をご参照願いたい。

「Web」という言葉の曖昧性?

さて、のっけから前提事項を覆すようで申し訳ないのだが、そもそも Web という言葉自体はそこまで曖昧な言葉だろうか? 確かに、経済学者やビジネスコンサル、ネットビジネス評論家含むメディア関係者などに言わせればとたんに曖昧な言葉になってしまうものかもしれないが、クラウドみたいな命名経緯自体が曖昧な言葉に比べれば、ティム・バーナーズ=リーの発明品である Web はそれよりずっと明快な言葉であると言えるだろう。

一応おさらいしておくと、ここで言う Web とは World Wide Web の略称であり、以下の 3つの技術を柱として構成されるハイパーテキストシステムのことである。

  1. HTTP

    Hypertext Transfer Protocol の略。情報処理技術全般を学んだことのある人であれば「アプリケーション層のプロトコルの一種」という説明で通じるのだが… 要するに Web で扱われる通信上のやり取り (GET: (コンテンツの)取得、 POST: (フォームデータの)送信、等々…) を処理する通信方式の規格である。ポート番号が標準的に割り振られていて、通常、平文のものは 80番、 SSL を用いたセキュアなものは 443番を使用する。

  2. URI (URL)

    コンテンツを同定する場所を表す名前として定義された URL (Uniform Resource Locator) という概念は、そのままあらゆる固有概念を同定する名前として URI (Uniform Resource Identifier) という概念へと拡張された。スキーマ名、ドメイン・ホスト名 (または IP アドレス) (+ポート番号)、ロケーションパス、プラスアルファの情報を一行の文字列にぎゅっと押し込めたもので、通常 Web ブラウザのアドレスバーに表示されるアレのことである。

    この名前をメモっておく (ブックマークに入れておく) ことで同じコンテンツに何度でもアクセスできるし、この名前を指定して記事から記事へとリンクを貼ることもできる、と説明すれば、これが Web において如何に重要な概念であるかは理解できるだろう。

  3. HTML

    Hypertext Markup Language の略。通常、 Web ページはこれを使って書かれていて、 Web UA (User Agent) がこれを読み込んで画面表示をレンダリングする (UA は通常 Web ブラウザのことだが、 UA としての機能が組み込まれたものであれば良く、必ずしも Web ブラウザであるとは限らない)。

    Markup とある通り、マークアップ式の言語である。例えば、文中でこのように強調して表示したい箇所には、<strong></strong> というタグを、強調したい部分の前後に挿入して挟み込んでやる、といった要領で、文章にマークアップを加えていくことで整形したり、意味合いや機能を加えていったりするものである。また、 Hypertext と言われる所以は、 <a> タグによる Hyperlink にあり、この Hyperlink が文書から文書へ相互に参照を張り巡らす様が、まさに Web を Web (蜘蛛の巣) と言わしめる所以でもある。

…以上のうんちくは適当に読み流して頂いて構わないんですが(^o^;A、この辺の基礎知識を理解している方であれば、 Web という言葉を、少なくともインターネットそのものの意味で使っちゃうような事にはならないと思う。

ところで、言葉が曖昧に扱われる理由には、言葉自体が実際定義があやふやで曖昧である場合を除いても、他に以下のいずれかの場合がありうるのではないかと思う (他にもあるかもしれんけど)。

  • 話者がその言葉をよく理解していない場合。
  • 話者がその言葉を敢えて曖昧に用いたい意図がある場合。

結局のところ何が言いたいのかというと、よーするに「Web は死ぬのか?」というテーマで議論に参加している人々というのは、そもそも Web という言葉をあまり理解していないまま議論に参加しているだけなんでねーの? ということである。(うわーひどーい)

Web 技術を細分化して評価する

とはいえ、 Web の周辺技術はこれまでに様々な変遷を遂げ、多くの拡張や応用が施されており、そういう意味では、リンク先記事が試みた、 Web (周辺) 技術の切り分け評価は、本論においては意義のあるものだと思う。 Web 周辺のこの技術は今後も使われ続けるだろうし、この技術は今後は廃れていくだろう、みたいな話であればそれなりに興味深いとは思う。

なので、その辺の説明についても一応補足とか加えておきたかったりするのだが…、

4. Web アプリ

Web アプリという言葉も曖昧な言葉ですが、ここでは、

<meta name="mobile-web-app-capable" content="yes">

などに対応していて、Web サイトのアイコンをホーム画面に追加でき、起動するとアドレスバーなどはなく、その Web サイトがフルスクリーンで表示されるものを Web アプリと呼ぶことにしましょう。

どうやらリンク先記事の著者的には、モバイルアプリのように見えるものとして動作するものでなければ Web アプリとは呼ばないようである。 Web アプリという語感からこうした語弊が広がっている可能性はあるが、通常、 Web アプリケーションと言えば、 Web サーバーがユーザー操作に応じてプログラマブルに動作し、コンテンツを動的に生成したり蓄積したりするようなものの総称であって、古くは掲示板の CGI から、ブログや Wiki などのいわゆる CMS、データベース的なものから検索サイト、はては SNS やネット通販、地図や天気予報などに至るまで、 アプリケーションとして動作し Web UA でアクセスできるものであればすべて Web アプリケーションの一種である。

※ゲームの類を含めたがる人も多いと思うが、過去に Web 上で公開されたゲームであったり、あるいはいわゆる「ネットゲーム」「ソーシャルゲーム」の類なんかは、その実態が本質的には単に Web 上で「配布」されているだけだったり、通信はしているけど Web の要件を満たさなかったりすることが多かったようにも思うので、 Web アプリケーションとは分けて考えたほうが良いと思う。

特に、 CMS の類 (特に、例えばニュースサイトなど) なんかは、サイト来訪者から見れば単なる Web サイトのように見える一方、サイト制作管理者的には Web UA 上での操作のみでコンテンツを追加・編集することができるれっきとしたアプリケーションとして動作するものであり、このことは、 Web アプリケーションがすべてのユーザーに対して必ずしもアプリケーションっぽく振る舞う必要のないものであることさえ表すものである。

それ以外の用語の説明については概ね問題なさそう。

んで、「死ぬ」ってどういうこと?

そこで、それぞれの概念に対する、死ぬもの、死なないものとしての評価について検討してみるのですが、 Web アプリが App Store や Google Play などのアプリストアに登録できないことを以って死を宣告するという乱暴な論展開についてはそもそも Web アプリケーションそのものへの誤解があったっぽいことから目をつぶるにしても、 Web ブラウザが使われなくなるから Web サイトも衰退するとする議論についてもいささか横暴だと感じずにはいられない。

純然たる「Web ブラウザ」の利用がモバイルデバイスにおいてはそれほど多くないというのは恐らく事実なのだろう。そもそも Web ブラウザそのものを起動しようとする一番の目的は、検索サイトを介した調べものになる。 PC からの利用ではそういう形での調べものからよく利用するサイトをブックマークし、常に Web ブラウザからアクセスするような形を取ってきたが、モバイルデバイスではこれが一変して目的別にアプリとして細分化され、ニュースを読みたければニュースアプリ、お天気を調べたければお天気アプリ、場所へのアクセス方法を調べたければ鉄道路線情報アプリや地図アプリ、そして SNS にアクセスしたければ SNS 用の専用アプリと、目的に応じて個別のアプリを起動するのが普通になり、その分 Web ブラウザを敢えて起動する機会はぐんと減っていった。

ここまではいい。

問題は、 Web ブラウザそのものを起動しないことが、果たして Web ブラウザが使われなくなる理由となりうるのかという点。現状、 iOS にせよ Android にせよ、ハイパーリンクの URI に対する処理は、そのスキーマや MIME 情報、ものによってはドメインなんかも加味して、対応するアプリケーションを起動するというようなものになっている。 Android の場合だと、 Google Map にアクセスしようとした時点で Google Map アプリが起動しだしたり、 YouTube コンテンツにアクセスしようとした時点で YouTube アプリが起動し出したりするなど。

そうやって個別のアプリで処理できる場合には良いが、インストールされているアプリでは対応できないコンテンツ、要するに、単なる野良 Web ページだったり、かなり専門性の高い (よーするにマニアックな) サイトだったりすると、対応するアプリがないので、 OS としては Web ブラウザに任せざるを得ない。

Web というのはその名のとおり、サイトを横断的にリンクし合うものなので、利用者の端末にとって未知のアプリケーションにアクセスするようなリンクを踏んでしまった場合には、 Web ブラウザに頼らざるを得ない。 Web 通販を語る際に「ロングテール」という言葉がよく使われてきたが、モバイルユーザーにとっての興味のロングテールをカバーする存在として、 Web ブラウザは今後も使われ続けるだろう。

なお、こうした横断的リンクによって Web ブラウザを起動せざるを得ないケースにおけるユーザー体験の悪さを回避するために、 Facebook が Instant Articles を始めたのも、SmartNews が SmartView 機能を搭載しているのも、これらの理由からですといったような流れが出てきていることが指摘されているが、これはそのとおりだと思う。ただ、こうした動きはむしろ Web サイトを延命することになるのではないかと思う。 Instant Articles や SmartView、いや、古くは Yahoo News なんかでさえ本質的には同じものだったりするわけだが、こうしたものに賛同し、 RSS に乗せて記事を出稿する Web メディアが、それを理由に自社 Web サイトを潰してしまうとは (媒体のブランディングなどを考慮すれば) 考えにくいように思う (零細メディアが経営判断により潰してしまうケースがないとは言い切れないが…)。

以上のことからおいらの個人的な見解としては Web サイトも Web ブラウザも衰退というほどの状況には至らないだろうと思っているのだが、ここまで考えたところで、そもそも「Web は死ぬ」と言っている人と、「Web は死なない」と言っている人との間で、本質的には議論が噛み合っていない可能性があるのではないかと気がついた。

どういうことか。それは、「死ぬ」という言葉のニュアンスをどう解釈するかによって議論が割れるのではないか、ということだ。つまり、

  • 「死ぬ」という言葉がその概念そのものの衰退、すなわち「ほとんど使われなくなって、やがて廃止に追い込まれる」ぐらいの意味合いを指すのであれば、「そんなことはない」と反応する人が多数派になるだろう。
  • 「死ぬ」という言葉が、その概念に乗って行う商売が成り立たなくなる、という意味合いを指すのであれば、賛同する人は割と多くなるかもしれない。

Web をめぐる商売

Web 上で展開される商売にも様々なものがあるし、その関わり方も様々なので、結局は一様に言い切ることができるものではないとは思う。そもそもモバイルアプリ界隈がそこまで儲かっているのかというところも正直怪しいもので、結局は Web を使うかモバイルアプリという形を取るかは方法論でしかなく、むしろそこで提供されるサービスそのものの内容や質、そしてブランディングが勝敗を決めるのではないかとも思う。結局はね。

Web 界隈を周辺技術で切り分ける議論もそれなりに意義深いものであるとは思うのだが、それに加えて、業務 (サービス) 内容ごとに切り分ける議論もあっても良いんじゃないかと思う。そうすれば、今後、モバイルデバイス自体がどういう発展を遂げてゆくべきか、そして機能を補完するという視点からどんなアプリを作ったら受けるのか、なんて辺りも見えてくるんじゃないかな。しらんけど。

Ikena Copyright2007年03月16日 09時22分50秒

こちらのコメントが興味深い。「どの程度の利用であれば容認するか」といったコントロールも可能であるとのこと。もっともこの技術によって、国境を越えて作品をお目にかけられない地域の人間が幸せになれるわけでは無いし、特に日本のコンテンツホルダーはこういうものがあっても単純に「20秒でも許さん」という運用で倒してしまいそうな気もする。そもそもフェアユースって概念が日本の著作権法には存在しないからなぁー。

韓国では液晶ディスプレーが売れまくってるらすぃ2007年02月08日 13時29分54秒

まぁ、どうでもいいんだけど。

以下、引用の強調は T.MURACHI による。

パソコンメーカーが必死になるのも仕方がない。2006年末からパソコンメーカーは「今購入してもWindows Vista無償アップグレードお付けします!」と騒ぎ、韓国人の最大の弱みである「みんな買い換えているのに古いパソコンのままではあなたの子供が恥をかく、仲間はずれにされる」と口説いているが、どうもぱっとしないのだ。

韓国では何でも「プレミアム」、「子供の教育のため」というと売れる。他人の目に映る自分をとても意識しているうえに、少子化を背景とした教育熱が重なり、子供のためなら多少の出費は惜しまないからだ。現に、いまや一般の家庭でも、子供の数だけパソコンを持つのが当たり前になってきている。

さすがは儒教の国。

その理由は、マイクロソフトがVistaは22インチ以上の液晶ディスプレイに最適化されていると発表したことにある。

そんなこと言ってたっけ? それとも韓国マイクロソフトがかってにそう吹聴していらっさるのかしら? 確かに、以前のバージョンに比べれば、より高い解像度のディスプレーじゃないと使いにくいようではあるけれども、はっきりと「22インチ以上」なんて言ってた記事とか、あったっけかなぁ?

一部中小メーカーではWindows Vista認定ロゴの取得を急ぐ一方、20インチモニターを19インチモニターより安く販売しているほどだ。22インチ、24インチも同じように大幅の値下げが行われ、20インチは20万ウォン台(約2万4千円台)、22インチは40万ウォン台(約5万円台)にまで落ちた。

で、ここまで読んだ時点では、むぅ、確かに安いなぁ、とか思ったわけなのですが、

低価格攻勢にさらされているサムスン電子は20、22、24インチそれぞれの大型液晶ディスプレイのプレミアムモデルを2006年12月と2007年1月に発売し、性能はもちろんデザインも優れた製品であることをアピール、Vistaにはサムスン電子のモニターが最も相性がいいと宣伝している。LG電子も19、20、22、24インチLCDモニターの新モデルを一挙発売し、コントラスト比3000:1、応答速度2ミリ秒と、群を抜く高性能をアピールしている。そのほか、大手ではHPのタッチスクリーンや回転できるモニターも注目されている。

マテ、それ、明らかに TN パネルですから。つか、20 インチ超の大型液晶で TN パネルの製品とか、使いたくないんですが。画面の下のほうとかやたらと白っぽくなったりするし。テレビ観るときみたいに画面から 2~3m 離れて使うならいいかも知れんけど、デスクワークで使う PC 用ディスプレーでそれは無理。

つか、まぢかと思って LG のサイト見に行ったら、本当にそんな感じのスペックなのね。ちゃんと「TFTパネル: TN」って書いてあるしw。

GoogleAdSense/AdWords を利用した薬事法違反?2007年02月04日 22時30分41秒

これ、AdSense/AdWords に表示される宣伝文句を書いているのは広告主本人なわけだから、思いっきり薬事法その他の法律に抵触しそうな気がするんだけど、どうなんだろう?

ただ、記事内容によっては AdSense を設置しているサイト主にも刑事責任が発生しうる、という話なんだとすると、ちょっと困るなぁ (((((;゚Д゚)))))

Google AdSense ブラックリストを適用してみた2007年01月25日 10時00分16秒

これの、「MFA」、「LCPC」、「情報商材」を適用してみますた。これらに入らないんであれば安くてもいいやっていうスタンス。

以前はこっちを適用していたんですが、全部混ぜると 200 件越えちゃうので (Google AdSense のフィルター設定は 200 件までしか登録できない。。。件数制限とかやめようよ、てゆか、せめてワイルドカードぐらいには対応してよ、とか思うわけですが。。。)、ブラックリストの方だけにしてしまいました。あーるえむてぃ広告があんまり目立つようならまたちょっと検討しないといけないかもしれません (てゆか、いいかげん、AdSense 自体やめようかなぁ)。

アーティストにこそ行動を起こしてもらいたい。2007年01月24日 00時32分47秒

でもまぁ、なかなかこういうシステムは変わらない。だから、こういう事件に対して怒りを覚える人はJASRACが本気で「焦る」ように、怒りを露わにしていけばいいんじゃないかな。

今回のニュースで、っていうか、毎度の手口なんだけど、相変わらず違和感が大きいというかもっとも許せないのはこの部分だ (強調は T.MURACHI による)。

JASRAC側は、その後の説得にも豊田被告が応じなかったため、2001年、東京地裁に演奏禁止の仮処分を申請、認められた。JASRACによると、カラオケや生演奏での使用料は、客席数や演奏時間などを基準に算定。同店には33席あり、1曲当たり90円。仮処分の時点では、過去10年分の未払い使用料は約840万円とされた。

だが「計算方法が納得できない。負債を抱え、支払いはできない」と拒み、演奏を続けた。JASRACは同法違反容疑で警視庁に訴え、豊田被告は昨年11月に逮捕された。

何故、開店当初からの年数で換算するのか? 証拠能力があるのは発覚当時からであり、そこから換算するのが妥当なのではないか?

個人的には、銀河のほとりのケースは、未だ以って、絶対に許せないし、だからこそ、JASRAC という団体は、信用に値しないと思っている。著作権料が発生しないはずの楽曲のみを演奏していても、根拠のない言いがかりを付けられて大金を徴収されるのは、どう考えたっておかしいだろう。

しかし、一番許せないのは、こういうことがこれだけいろいろと話題になって、騒がれているのに、未だにそんな JASRAC に著作権管理を委譲するという、犯罪的な怠惰を犯しているミュージシャン達だ。JASRAC にガンジー的行動が通用しない以上、飲食店等の利用者は著作権弱者である。彼らがいくら「生」の、筋の通った怒りを示してみせたところで、恐らく何の進展も無いだろう。ミュージシャンが JASRAC から離れること。これ以外に、今の JASRAC に痛手を負わせる有効な手段は存在しない。だからこそ、ミュージシャンがこの現状を知り、率先して行動を起こすべきだ。

それができないのであれば、少なくともおいらは JASRAC の息吹のかかった日本の音楽シーンにお金を落とす気には到底なれないし、同じように日本の音楽シーンに失望する人間は増えてゆくのではないかと思う。つか、同人とかネットとかで盛り上がってりゃいいじゃん。志半ばのプロならもう要らんよ。はっきり言って。

「Winny特別調査員」の pod を書いて HTML にしてみた。2007年01月19日 22時00分25秒

PAR だって。おもしろそうだからソース解析してドキュメントを pod にしたためて HTML 化はてブ参照数しちゃった。www

まぁ、既にあちこちで報告されている以上の情報は得られなかったけど。。。

ちなみにこのプログラム自体に対するおいらの感想というか見解というかは控えさせて頂きますよ。まぁ、もうちっとマシなアプローチがあるだろとか主な漏洩経路はむしろ持ち帰った家の PC に入ってる ny だろとかいろいろ言われてるけど、この程度の仕事でも商売になるんだなぁなんてのは個人的にはとおぉぉっても参考になったし、まさかあっちゃこっちゃの IT 系ニュースサイトやらなんやらでかっこよさげに露出しまくってたネットエージェントさんがこれをねぇなんて感慨もなくはないけど、それでもこんな程度のものが商売になるぐらい、仕事の現場では職員達がカジュアル感覚で使っちゃってるってのが事実なんだとしたらそれはそれで微妙っつか同情の余地もないし、「ファイル名変えれば回避できんじゃん」とか言っちゃって喜んでるような馬鹿はさっさと解雇にでもなんでもなればいいってかなり本気で思うし、まぁ情報漏洩防止のためにこれを買うのは流石に馬鹿だと思うけどそれでも社内ネットワークの帯域確保ぐらいの役には立つだろうし、似たようなもんを誰かに作らせるぐらいなら 1 クライアント辺り 200 円でこいつ買ったほうが安上がりってのも確かにその通りではあると思うよ。

っていろいろ書きまくってますな>ヲレw まぁいいか。

Google AdSence はやっぱり儲からんのか。2007年01月08日 01時28分40秒

Top 50 Blogs にも入っている A-Lister 中の A-Lister にしてベンチャーキャピタルの雄、Guy Kawasaki の How to Change the World が一年間に稼いだ AdSense の額はたったの $3,350 だった!

(中略)

しかし、1日平均6,200のページビューがあって、Feedburner の購読者は21,000人いて、って blog でもそうなのね。

うっわー、やたらとリアルな金額だ ((((((((((((/;^^)/ 。

やっぱり儲からんのかなー>Google AdSence 。うちもしょっちゅう公共広告になるばっかりだし、誰もクリックせぇへんし、Amazon 一本に絞ることにしてもうやめちまおうかなぁ。はっきり言って邪魔だもんなぁ。ぐちぐち。

まつもとれーじだいかつやく2006年12月20日 09時05分09秒

また激しく乗り遅れなのですが。。。(^_^;

著作権保護期間の延長問題を考える国民会議の第一回が開催された模様。

「賛成派の生の声」として興味深いものをいくつか上げてみようと思う。まずは三田氏の以下のコメント。

それでも延長しないと創作意欲が減退するのだと三田さんは言う。「ヨーロッパで死後70年保護されると聞くと『同じような物を作っているのになぜ日本だけ50年なんだ』と思う。『日本も70年にして下さい』と訴えても『お前の作品はもうかっていないから50年でいいんだ』と言われると、わたしも意欲をなくす」(三田さん)

あははははなるほど。「日本人クリエイターは輸入超過で儲かってないんだから延長したって国益にならん」って意見の対論にもなります罠。

しかし一般的な作家にしてみれば、「お前の作品は売っても儲からんから印税は 4% しかやらん」って言われるよりは遥かにマシだと思うだろうけどね。

それに二次利用したい者からしてみれば、儲かっている作品だからこそ期間を短くして欲しいと思うわけで。

「太宰治さんの作品は、妻子の存命中に著作権が切れた。生きている間に著作権が切れるのは、奥さんや娘さんにとっても寂しいことではないか」――三田さんはこう訴える。「娘さんは残りの人生、父親の著作権が切れたまま生きなくてはならない」(三田さん)

零士さんも、若死にした作家の遺族を引き合いに出す。「若くして亡くなった作家の妻に『あと数年で主人の著作権が切れるんです』と涙ながらに訴えられた時にどう思うか。作家は一生浪人、生涯孤独な存在。創作のために心血を注ぎ、自分のため、家族のために頑張る。頑張った成果はせめて子孫の代まで残したいもの。年若くして亡くなった友人の子どもを見るたび胸が痛む。70年でも短いぐらいだ」(零士さん)

「著作権が切れる」のは財産権のみで、名誉まで剥奪されるわけではありません。親の著作の財産権が切れて悲しむ理由があるとすれば、それは収入の手立てが無くなることぐらいなのではないでしょうか?

財産権と言ったってそれはあくまで収入源ぐらいの意味でしかなくて、作品自体がご家族の持ち物から失われるわけではないわけですし。

松本氏は、、、なんだろ。やっぱりおじいちゃんになると人間こうなっちゃうものなんすかね、とか思ってしまったりもするのですが。。。いや、いいおじいちゃんだと思いますよ(なんだそりゃ)。おいらは芸術家は収入を継ぐものではなく芸を (あるいは職人ならば技を) 継ぐものであるべきと思っているので、意見にはまったく賛成できないわけですが。

零士さんはこの意見に対して「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」と反論した。

そば屋、うどん屋は偉大です。彼らは職人です。様々な形で、技を引き継いでゆきました。これぞまさしく文化です。そしてそれこそが彼らの、そしてその文化の中で生きる我々にとっての、最大の財産です。文化とは、作品を (家族の収入源として) 残すことではなく、芸や技を遺すことによってのみ、受け継がれるものなのです。

松本氏の上記の発言からは、職業に貴賤を感じているように思えてなりません。

賛成派として登壇した2人にはそれぞれ子どもがおり、反対派として登壇した3人には全員子どもがいない、と指摘する声も会場から出た。

なんで妻子持ちで反対派の小寺たんは登壇しなかったんやろ(とかゆw)。

こういった問題点を指摘しながらも三田さんは、著作者から許諾を取りやすくするシステムを構築すればよく、そういったシステムがあれば延長も問題ないはずと語る。

「古い著作物の2次利用が面倒なのは、保護期間が50年でも70年でも同じこと。簡単に2次利用できるシステムを作ったり、文化庁の裁定手続き(著作者不明の場合に文化庁に供託金を預け、2次利用する制度)を簡素化するなどといった対策をすればいい」(三田さん)

システム作成、および裁定手続きの簡素化については賛成。ただし JASRAC みたいな団体として作られるのはまっぴらごめんだけどね。あくまで行政機関の機能の一つとして、それもごくごく機械的なシステムであることが必須要件。

この意見に対して零士さんは、古典の名作の2次利用と、近現代の作品の2次利用は異なると指摘する。「古典と現代を混ぜてはいけない。近現代にあるものを改変したりパロディー化することは作品への侮辱。先人に学ぶというのは事実だが、学んだだけの敬意を払うべき」(零士さん)

まぁ、世の中には、そんな侮辱行為が行われることを狙って作品を作る人間が存在することも確かなわけですが。。。エロパロにしやすい作品はその筋には売れるからなぁ~。

んで、おいらとしては、著作権の名の下に、敬意の押し付けが行われるのは如何なものかと思うわけですよ。作品への侮辱に対して訴えたいのであれば、侮辱罪の適用範囲について議論すべき。実際には侮辱でもなんでもないものを盗作だの何だのと言いがかりをつけて訴える行為に、もとより名誉は感じられません。

延長賛成派の三田さんは、個人と国家の関係にまで話を発展させる。「日本は、著作物の輸出量よりも輸入量の方が多いから、国全体として見れば保護期間が短い方が経済的に得だ、という議論がある。だが国家のために個人を犠牲にする議論はとうてい民主主義的とは言えない。日本はいつから社会主義国になったのか」(三田さん)

一部の儲かってる著作権者の為に、二次利用したい個人の懐を犠牲にする議論は到底資本主義的とはいえない。日本はいつから共産主義国になったのか。

そういえば著作権者の懐を暖めることが結果として著作者の利益になるって言ってた人もいたけど、まさに共産主義的よね。作家は私財を投げ打って創作という名の労働に励めと。

ちなみにマジレスすれば、日本はかなり、社会主義国的だと思うし、多くの民衆もその現実に甘えているように思う。ってまぁ、ここで書くことじゃないか。

「日本で出版されている翻訳本のほとんどが、保護期間70年の欧米のもの。欧米の作家の20年分の権利を日本国内でははく奪し、踏みにじっている。海外の作家と胸を張って付き合うためにも延長は必要」(三田さん)

一方で三田さんは、「星の王子様の恋愛論」という本を書いた際、原文の著作権が切れていなかっため、現地のエージェントにお金を支払って翻訳許可を取ったエピソードを披露。「正直言って『保護期間は短い方がいいな』と思ったこともある」(三田さん)とも語った。

だからこそ、日本こそ率先して短くしようぜ、って議論もあるわけよね。

平田さんは1つの“落としどころ”として「日本は弱腰外交だから、アメリカの圧力に屈して70年に延長されるかもしれない。そうなった場合、20年分の延長で得た利益を、半分は若手クリエイターの育成に、残り半分はユニセフにでも寄付してしまえば、この場にいる全員が納得するのでは。そうすればアメリカの鼻も明かせる」とユニークな考えを提案する。

おもしろいけど、その為に財団を作って、その財団に天下りしてくる元官僚とかが出てくる可能性を考えると、どうにも腰が引けちゃうのよねぇ。。。

大体、「著作権者」の中心的存在である出版社やレコード会社や放送局、それから管理団体の JASRAC やらレコ協やらがこういう話に乗ってくれるとも思えんし。。。

零士さんは「作家全員が70年を希望していないことは知っている。だから法律では70年と定め、70年の保護を必要としない人は遺書などで『保護は50年でいい』などと書けばいい」という折衷案を提案した。

これはいい提案だと思う。だからこそ、それが可能であるように著作権法を調整して欲しい。よーするに著作者人格権の強化だ罠。遺書によって、譲渡していた財産権を引き上げる権利が著作者人格権として認められるのであれば、これは非常に大きいように思う (まさか遺書さえ書けば著作権者は納得するとは思ってないよね?)。もちろん、遺書を書けないうちに死んじゃう場合もあるわけで、万全な方法とはとても思えないけど、手段の一つとしてはアリだと思う。

「文筆家や作家は、明日路傍に迷うことも覚悟の上で日々苦闘している。誰も助けてくれない壮烈な世界だと改めて言っておきたい。けんか腰の議論はしたくない。和気あいあいとおだやかに進めたい」

最後は松本氏の言葉より。だからこそ、著作権の延長なんて方法じゃなくて、今、生きて活動している作家を支援するって方向に進むべきだと思うんだけどね。。。

おいらもそうだった。2006年12月10日 14時06分14秒

新しい DVD ドライブ。。。買う気沸かんです (T-T) 。ちうわけで、うちの HD/DVD レコーダーは、一時録画専用 (見たら消しちゃう)。DVD に焼いても画質落ちるし。。。

しかし、

でもテレビを見てるとたまに流れる「よつばと♪」の音楽。 あれ、使われても栗コーダーさんには1円も入ってないです。使ってるのを発見して、こちらから申告すればお金くれるらしいですけど。

栗原さんて、JASRAC 会員じゃないんだっけ? 一部のゲーム音楽と同様の扱い (著作権違反) を受けてるってこと? それとも JASRAC ってそもそもそういう怠慢な組織なんだっけ?

著作権ってむずかしいなー。