Microsoft が「気にならない存在」になってしまっている件2007年04月10日 13時23分13秒

邦訳を読んだ後で /. での反応を見ると、いまどきここに集まってくるのは文盲か、あるいは昔を懐かしむことしかできないじじぃばかりなのか、と思えてしまう。そういう意味ではサプライズだった。マジびっくりした。

「死んだ」という表現が誤解を招いている、という意見が多いようだが、例えこれを「脅威ではなくなった」と読み替えたとしても、いまいち何のことを言っているのだかよくわからないという人は多いように思う。この辺のコメントがモデレーションで支持されているのを見るにつけ、つくづくそう思う。

その背景には、少なくともこの国では、今後、多くのアプリケーションが特定の OS のアーキテクチャ上で動作するスタンドアロンソフトウェアから Web サービスへ移行してゆくであろうという実感も危機感も非常に小さい、ということが挙げられるんじゃないかと思う。なんだかんだ言って、たいていの主要なアプリは Windows 上で動いているし、「それで十分だ」と思っている。MS-Office を捨てて OOoGoogle Docs を利用する「理由がない」し、Windows を捨てて Mac OS X や Linux を選択する理由もない。

しかし、Paul Graham はそもそもそんな趣旨のことは一言も言っていない。君たちは以下のセンテンスを理解することもできないのか?

マイクロソフトは80年代後半からおよそ20年にわたり、ソフトウェアの世界に影を落してきた。マイクロソフトの前には IBM がそうだったと言える。私はこの影をほとんど無視した。私はマイクロソフトのソフトウェアを決して使わなかったので、間接的にしか影響を受けなかった――例えば、ボットネットからスパムをもらうとか。つまり私はマイクロソフトに注意を払ってなかったので、その影が消え失せたのに気づかなかったのだ。

Microsoft のソフトウェアを使わずにいた Paul Graham にとって、そもそも Microsoft による脅威は間接的なものでしかなかったのだ。逆に言えば、Microsoft の脅威にさらされるべき人間とは、すなわち Microsoft のソフトウェアに依存する生活を送っている人間のことである

例えば、Windows ユーザーは、Windows に脆弱性があれば、その脆弱性をつく攻撃の脅威にさらされる。もちろんそれは、Windows じゃなくても同じことだが、一方で、そのユーザーにとって Windows 以外の選択肢がありえないのだとしたらどうか? 例えば Windows でしか稼動しないアプリケーションをどうしても使う必要があるならば、彼は Windows に脆弱性があることを知りながら、それでもなお、Windows を使い続けなければならない。

Windows はかつて、独占的な地位を保ち続けてきた。この状況は、少なくとも日本国内の事務処理シーンを見る限りにおいてはあんまり変わっていないようにも見える。しかし一方で、Windows 以外の、あるいは Office 以外の、IE 以外の選択肢が、さまざまに誕生した。Mac OS X が Microsoft を殺した要因のひとつとして数えられているのは、シェアの問題ではなく、Office が稼動し、他の多くの似たようなアプリケーションが稼動し、もちろん Web ブラウザも稼動し、UI もユーザーフレンドリーで、なおかつ UNIX ベースであることから開発者層も取り込んだ、といったことから、多くの人間にとって 「Windows 以外の選択肢」たりうる要件を備えているからなのではないのか?

つまり、実用面で言えば、PC の世界において Windows は多くの人々にとって「唯一の選択肢」であった状況が、崩れてきているということだ。

この状況は、アプリケーションの稼動領域が特定の OS のアーキテクチャから Web へと移行してゆく流れが追い討ちをかけている。Gmail は Outlook の領分を侵食し、Google Docs は将来的には Office の領分を侵食するかもしれない。もちろん、現在 Web でできていることが、デスクトップでできていることのすべてを侵食しているわけではないし、この点について実感がわきにくいのも無理はない。しかし、少なくともシリコンバレーに存在する多くの先鋭的な企業・技術者は、特定の OS アーキテクチャで稼動するアプリケーションを作ることへの関心を失っており、とっくの昔に Web へとその矛先を転換している。

そういう状況で、かつての Microsoft のような、独占的な地位による脅威を持ちうる企業があるとしたら、それは Google かもしれない、というのは納得できる。何故か。

API への依存だ。

もしも今後、多くの企業が Google の提供する多くのサービスや API へ依存してゆくことになれば、それらの仕様は Google の気分次第でどうとでもされてしまうことの危険性に晒されなければならないことになるだろう。

もっとも、個人的には、Google が脅威となる可能性については、あまり心配していなかったりする。インターネットがインターネット足りうる以上、インフラのすべてが Google のみに集約するということは考えにくいし、すでにインフラを持っている企業であれば、いくらでも Google が提供するサービスの代替を提供できるだろうし、Google とはまったく関係のないサービスも、いくらでも出てくるだろうと思う。かつて Windows という OS の上でシステムを組まなければならなかった時代に比べれば、Web への参入障壁は、決して高くはないのだから。

JIS2004問題2007年02月15日 20時33分49秒

知らんかった>JIS2004。Unicode との相互運用はどうなってるんだろう? 非常に気になる。あと、他の OS での対応は?

以下、参考情報。後者は情報がちと古いけど。

つか、そもそも JIS X 0213 自体 CP-932 には正式には含まれていなかったってこと? でも JIS X 0213 の 1面は NEC 機種依存文字と互換があるとか言われてるし。。。

Linux では対応しているっぽいことが書いてあるね。てことは Unicode との相互運用自体は既に解決されている話なのかな?

あとでじっくり見てみようかしら。。。

Vista 推奨スペック2007年02月08日 14時29分48秒

超~参考になります。いや、まだ当分は買わないけど<Vista。

●アップグレード版を利用した新規インストールを行なう抜け道

まぁ、DSP 版のほうが安いし、別にいいんだけど。でも体験版インストールってのは面白いかもね。

何よりも、まずはメモリが少ないと、Windows Vistaはずっとスワップしっぱなしで快適に利用することができない。Windows Vistaでは従来のXPに比べて初期状態でロードされている機能なども増えており、それらがメインメモリを圧迫することになる。そうしたことを勘案すると、1GBでは十分ではなく最低でも2GBにしておきたい。

強調は T.MURACHI による。おいおい初期ロードライブラリだけで 1GB 前後まで逝っちゃうのかよ (;´Д`)。

そのうち「初期ロードから外してもよさげな機能一覧」とか出回ったりするんだろうなぁ。。。w

Windows Vistaでは、GDIの描画はすべてソフトウェアベース、つまりCPU側で行なわれる。つまり、GPUが持つレガシーの2Dアクセラレーション機能は利用されない。このため、CPUの速度があまり十分ではない場合、2D描画もあまり高速ではない場合がある。とはいえ、今のCPUであれば処理能力が十分あるため体感するほど遅いというわけではないが、それでもベンチマークをとればGDIのハードウェアアクセラレーションが効いているWindows XPに比べて遅くなるだろう。

だが、Windows Aeroを有効にした場合、2Dも含めて描画はDirectX経由で行なわれるため、GPUのハードウェアの描画が可能になる。このため、描画性能さえあればWindows Aeroを有効にした方が明らかに上になるのだ(実際に体感できるだろう)。以上のような理由から、可能であればWindows Aeroを有効にした方がよいのだ。

Σ(;゚Д゚)GDI アクセラレーション使われなくなっちゃうのかーっ!!! だとすれば確かに Home Basic 版はオススメできねぇ(;´Д`)ァゥァゥ。

こうした条件を満たすGPUがPCに搭載されている必要がある。単体GPUでいえば、DirectX 9に対応したGPUということになるので、AMDで言えばRadeon 9500以上、NVIDIAで言えばGeForce FXシリーズ以降ということになる。

これ以下に示される表がまぢ参考になる。つか、単体のグラフィックカードを積んだ自作機とかなら数年前ぐらいに作ったマシンでもとりあえず大体大丈夫そうだわね。マザボ統合型でも今出回っているものであればわりと大丈夫そう。

。。。と思ったら、

こうしたことからもわかるように、表6~8にあげられた統合型GPUを内蔵したチップセットを利用していても、メインメモリがシングルチャネルで動作していたりなど、メモリの帯域幅が十分ではない場合にはWindows Aeroで動作しない場合があるので、どうしても統合型GPUで使いたいと考えている場合には、できるだけ高速なメモリを利用し、かつデュアルチャネルで利用することを前提にした方がいいだろう。

だって。なんだかいろいろとめんどくさいんじゃのう。

しかしメモリー 2GB が最低要件ってのは、痛いなぁ。やっぱり時代は 64bits なのかなぁ。でも Windows で 64bits の恩恵っていまいち感じられないんだよなぁ。。。

「Winny特別調査員」の pod を書いて HTML にしてみた。2007年01月19日 22時00分25秒

PAR だって。おもしろそうだからソース解析してドキュメントを pod にしたためて HTML 化はてブ参照数しちゃった。www

まぁ、既にあちこちで報告されている以上の情報は得られなかったけど。。。

ちなみにこのプログラム自体に対するおいらの感想というか見解というかは控えさせて頂きますよ。まぁ、もうちっとマシなアプローチがあるだろとか主な漏洩経路はむしろ持ち帰った家の PC に入ってる ny だろとかいろいろ言われてるけど、この程度の仕事でも商売になるんだなぁなんてのは個人的にはとおぉぉっても参考になったし、まさかあっちゃこっちゃの IT 系ニュースサイトやらなんやらでかっこよさげに露出しまくってたネットエージェントさんがこれをねぇなんて感慨もなくはないけど、それでもこんな程度のものが商売になるぐらい、仕事の現場では職員達がカジュアル感覚で使っちゃってるってのが事実なんだとしたらそれはそれで微妙っつか同情の余地もないし、「ファイル名変えれば回避できんじゃん」とか言っちゃって喜んでるような馬鹿はさっさと解雇にでもなんでもなればいいってかなり本気で思うし、まぁ情報漏洩防止のためにこれを買うのは流石に馬鹿だと思うけどそれでも社内ネットワークの帯域確保ぐらいの役には立つだろうし、似たようなもんを誰かに作らせるぐらいなら 1 クライアント辺り 200 円でこいつ買ったほうが安上がりってのも確かにその通りではあると思うよ。

っていろいろ書きまくってますな>ヲレw まぁいいか。

初めて?2007年01月18日 09時18分38秒

マイクロソフトは1月17日、Webデザインツールのスイート製品「Microsoft Expression Studio」を発表した。同社がWebクリエーター向けに製品を発表するのは初めて。2007年第3四半期に出荷する。

(強調は T.MURACHI による) ん? 初めて? FrontPage は Web クリエイター向けの製品じゃなかったの?

「2006年度約50億円の市場規模であるWebデザイン市場が2009年には80億円に拡大する」とマイクロソフト デベロッパービジネス本部 業務執行役員 本部長 市橋暢哉氏は予測、「そのうち40%のトップシェアを獲得する。これは希望ではなく、事実だ」と宣言した。

。。。ていうか、まぁ、素材を作るためのツールってのはあってもいいと思うけど、CMS が高機能化・柔軟化していくなかで、未だにスタンドアロンの Web ページ作成ツールで大きなシェアを確保できると思っている辺りがおめでたいよなーとか思わなくもなく。

Vista は普及するか?2007年01月11日 21時11分01秒

ネタ提供元は、言及リンクなしに tb 飛ばしてきた某記事。

なるほど、SpotK とかいう人が根拠のないいい加減なことを吹聴していらっさいますね。Server 2003 R2 は Server 2003 の機能追加版だべ。

言ってみりゃあ 95 に USB 対応と FAT32 を追加した OSR2 とか、XP にメディアセンター機能を追加した XP Media Center Edition とか、そう言う位置づけだべ? まぁ、そもそもカーネル以外のありとあらゆる複合機能を全部ひっくるめて「OS」と称するような製品だからそもそも根幹をなす機能の更新というべきか否かの線引きなんて到底無理な話なワケだけんども、いくらなんだって、

致命的な不具合などクリティカルエラーがあった場合SP1の発表とは別に
Vista R2として別製品の発売の可能性は大いにありますよ。

なんていい加減な基準で別製品送り出すほどコンプライアンスのない会社じゃないよ MS は。今迄だってクリティカルエラーは散々発見されているし、そのいずれもが月例なり緊急なりのパッチで修正されてきているじゃないの。Mac OS X でさえ 10.2 → 10.3 で同じようなことやろうとしてユーザーが沸騰したのを受けて慌ててパッチ提供しているじゃないの。まして旧バージョン OS のサポートを割と長い期間の糊代を設けてやっている Microsoft でそういうヤクザ的なアップデート商法はありえないよ。

もちろん、Fiji をリリースするぐらいのタイミングで、エディションのラインナップを追加する可能性はある (イマドキの Microsoft 的な商法がそのまま受け継がれるのであれば可能性としてはこっちの方が大きい)。でもまぁ、それは Vista が普及するかどうかの話題とはあんまり関係ない気がする。

個人的な観測としては、ポイントになるのはズバリ、Home Basic Edition の扱われ方なのではないかと思う。こいつは恐らく Dell を始めとするプリインストール PC ベンダーへの便宜なのではないかと思うのだ。

未だに誤解している人は多いように思うが、Vista のスペック上の一番のネックである Aero Glass は「選択可能な機能」である。そして最下位エディションである Home Basic Edition では、この機能は搭載すらされない。このことが何を意味するか。

現行の各社の民生向け PC のラインナップを見てみると、最上位機種とされるマシン以外ではかなり安価なビデオカードが搭載されていたり、そもそも売れ線の省スペース PC やノート PC の類ではオンボードのしょぼいグラフィックチップが使われていたりする。それに対し、CPU においてはかつて繰り広げられていた高クロック合戦は既に頓挫しており、省電力化や 64 bits 対応、マルチコア化などを売りにしたりしてはいるものの、一般ウケとしてはイマイチよろしくないという状況が続いている。HDD もメモリーも速度・容量ともに需要は既に飽和状態となっており、グラフィック性能以外の基本性能において市場におけるこれ以上の飛躍的な性能転換はあんまり期待できないというのが実情だ。

よーするに CPU も HDD もメモリーも、かつては上位機種への「乗り換え」が購入動機のひとつとなっていた時代は終焉し、これらが純粋に「消耗品」として捉えられるような時代がとうの昔から迎えられているということである。いまどきテラバイトクラスの HDD 容量を求める個人ユーザーなんて、Winny を意固地に使い続けてるアフォどもぐらいなんじゃね?

で、基本的には Microsoft としては、OS が売れればよいわけで、パーツ市場や PC 市場に「乗り換え」動機が復活して賑わうことを望んでいるわけでは必ずしもない。しかしながら、OS パッケージ単体が、かつての 95 のときみたいに飛ぶように売れるなんてことはありえないことも当然心得ていらっさるワケで、基本的には PC を買い換えてもらわなければ Vista も大して普及はしないだろうということぐらいは分かっているはずなんである。

乗り換え動機で PC が売れないとなれば、残る動機は純粋に「消耗品」としての買い替え動機、ということになる。こういう状況で最も売れる PC とは、よーするに、一通りのセットで 1000 ドル以下の「激安 PC」か、もしくは仕事用の (という理由で購入されることになる) ノート PC ということになる。

しかし、Aero Glass の動作を前提として考えた場合、このモデルは破綻することになる。当然だろう。激安 PC に高性能なビデオカードは無煙だし、ノート PC は構造上内蔵チップしかありえない。そして日本市場では家が狭いという特殊事情もあいまって、やはりオンボードの内蔵チップを用いた省スペース PC しか売れない。こういう状況で、高いグラフィック性能を求めるような機能を売りにした OS が、歓迎されるわけがないのである。

そこで、登場するのが、Home Basic Edition だ。こいつには Aero Glass 機能はない。デフォルトで、2D の、軽い (といっても今まで通りの重たい GDI ベースの) GUI を使うことができる。これはすなわち、高性能のビデオカードを必要とはしないという事を意味する。

予想だが、恐らく Vista がリリースされてから、少なくとも最初の 1 年間は、プリインストール PC に搭載されるエディションはそのほとんどが Home Basic Edition となるだろう。そして、今まで通りの低価格路線でこれらの PC が販売されることにより、Vista はやんわりと、緩やかに普及してゆくことになるのではないかと思う。

また、Inter のチップセット G965 がVertex Shaderを内蔵しているなど、Vista を意識した製品になっていることから (GeForce 6150 はどうなんだろう? ていうか nVidia その他の陣営の今後の動きがちょっと気になる)、省スペース PC でメディアセンタータイプのもの (大型テレビモニターとセットになってるやつとか) なんかには Home Premium Edition が搭載されるんじゃないかと思う。そして Business Edition その他は店頭にすら並ばないようなワークステーション需要向けかな。

結局のところ結論を言うならば、普及するか否かではなくて、心配せんでも勝手に、そしてそれなりに普及しちゃうだろう、って感じ。まぁ、XP 並みに緩やかではあるだろうけれども。

擁護にならない擁護を並べてみるテスト2007年01月07日 05時08分01秒

なんか、Aero や UI の事ばかり触れてるね。セキュリティ機能の強化とか、ファイル検索の際に利用されるファイルへのキーワード設定とか、柔軟なユーザーアカウント設定 (保護者による制限機能など) とか、SuperFetch、ReadyBoost、ReadyDrive とか、USB 機器へのバックアップとか、新機能としてみるべき機能はたくさんあるはずなのに、相変わらずグラフィック性能がネックだーみたいな素人でも言えるような批判記事が大量生産されているのは何故なんだろう? まぁ、それだけボータルに書かれてる内容が理解されにくいものだってことなんだろうけんども (こっちの記事もリンクしておこうかしら)。

Aero と PC 性能

Aero は選択可能な機能だ。使いたくなければ使わないようにも設定できるし、実際 Home Basic Edition には搭載すらされていない (古いマシンをそのまま使いまわす家庭用 PC 向けと解釈できる)。Aero が高いマシンスペックを要求する機能であることは確かだが、それがすなわち「Windows Vista は高いマシンスペックを要求する」ことにはならない。

要は、Aero 以外に追加されるいくつかの機能が、現行の旧バージョン Windows 利用者にとって価値のあるものか否か、が購入を判断する一つの基準である。そう言う意味で、「Aero 以外の新機能に魅力を感じない人であれば、Vista に乗り換えることに大した意義はないよ」と言うのであれば、それは確かにそのとおりだと思う。ならば、それらの機能がどれほど価値の薄いものであるかを同時に説明しないことには、記事としての説得力に欠けるのではないか。

UI の作りこみの甘さについて

これは、まぁ、だいたい同意。

エディション分岐の複雑さ、不明瞭さ

この点についても、ほぼ同意。詳細な機能の差異についてはこちらの資料にまとめられているけど (Microsoft 公式サイト内ではこのページが参考になる←概要を知りたいだけの人はこっちの方がわかりやすいかも)、報じられている DSP 版の予想価格では Home Premium よりも Business の方が値段が高く設定されている割に、Business 版には MediaCenter 機能が無かったりと、高いの選んどけば機能は一通りそろってるって訳でもなさそうな辺りなど非常に分かりにくい。

個人的には、家庭向けエディションとビジネスユースエディションとをわざわざ分ける必要はないんじゃないかと思う。但し、Enterprise Edition にのみ搭載されるような機能を追加した上位バージョンは、別個にあってもいいかもしれない。

Mac OS X との比較

Mac OS X がより軽い UI の実装を必要としないのは、基本的に Apple が (唯一の) ハードウェアベンダーだからだ。もちろんパッケージ単体で販売もされているが、旧マシンで Mac OS X に乗り換えた結果、動作が重くて到底使えたものではないと、アメリカでは訴訟騒ぎにまで発展しそうになったこともあったはず (ソース失念)。そのような「文化」を持つ Machintosh と Windows との UI の違いについて比較論を展開する以上、文化の違いについて配慮した上で慎重に論展開が為されるべきではないか?

少なくとも、「Mac OS X の UI に見劣りする Vista に興味を持てない」なんて言いがかりが、既存の Windows ユーザーに通用すると本気で思っているのなら、「こいつは馬鹿だ」と断言せざるを得ない。大抵の Mac ユーザーは Windows が UI 面で Mac OS に敵ったことなど一度たりとてあり得ないって思ってるはずだよ。

官がソフトウェアの危険性を評価できるほど成熟していないのが問題?2007年01月01日 19時51分50秒

そもそもそんなことが可能なのかどうかよーワカランのですが。。。

問題なのは、その前段階。
被害が高確率で発生しうるソフトウェアの蔓延を防ぐための体制が整備されていない事が大問題だと思うわけです。

なるほど。しかし、それは実際のところ、どうやって実現すればいいのかしら?

それはシステム的な部分だけじゃなく、開発者に対する啓蒙活動など、包括的なものを指します。
被害の発生しうるソフトウェアを、作らない事。配布しない事。速やかに回収できる事など。

啓蒙活動は、正直難しいです。そもそも、ソフトウェアのあるべき姿とか、何が間違っていて何が正しいのかを、正しく評価できる人間が、技術者の中にしか存在しないというのが苦しい。

技術に明るくない人間に言わせれば、Winny も WinMX も peer to peer のファイル共有ソフトであり、どっちも「危険なツール」という認識が一般的という現状で、彼らに啓蒙活動を任せれば、「ファイル共有ソフトなんて作っちゃいかん」になるわけです。で、禁止されて、技術の芽が潰されているうちに、海外のファイル共有サービスが躍進し、国際的に Google 並みに一般化し、それはそれで便利な世界が構築された中で、日本だけが置いてきぼりにされる。それこそ digital devide であり、IT の後進化を推し進める悪政ということになります。

多くの技術者はこうした道義的な問題に対して、官に主導権を握らせたくはないと思っています。論理的ではなく感情的な帰結で物事が動かされてしまうことが多いから。これは政・官の現場に技術方面の専門家を置くという前提であっても同じです。おいらとしては、技術者連合みたいな第三者機関を作ったうえで、政・官と対等に議論できる場が作られるのが望ましいのではないかと思います。

ただ、いずれにせよ、どこまでがセーフで、どこからがアウトなのかというのは、実際に事件が起こってみないことにはなかなか分からない部分も多いんではないかという気もします。社会的に、情報処理、情報リテラシーに対する経験が浅いのです。だから、某社会学者風の言い方をするならば、今はまだ「軽い地獄を見る」時代。ひたすら経験を重ねながら、民度を醸成してゆくべきなのではないでしょうか。

以下、非常に個人的な感情の吐露。

DeCSS が DMCA (デジタルミレニアム著作権法) の名の下に米国内で違法ツールとして認定されてから久しいわけですが、この法律は果たして市民を幸せにしているのでしょうか? 著作権法について言えば、様々な利害関係者、当事者がいるはずなのに、そのうちの一部のみの権利ばかりが正当化され、公正な対話がなされないままにされているように思います。

Winny 事件はある意味サイバーテロリズムであり、手段として許されるものではありません。しかしながら、著作権のあり方に対する民衆のわだかまりが、この事件の原動力の一つになっていたとは、言えなくもないのではないかとも思うのです 。少なくとも、行為を正当化するための理由として、利用されていたのは事実でしょう。結果として、Winny を使ったこともない人間までもが、Winny を正当化したり金子氏を持ち上げたりするような言説に加担するようになっていったわけです (民度の低い表出によるバックラッシュ)。

そう考えるとおいらとしては、技術の規制範囲について議論を深めるより、現行の法の適用範囲について議論を深める方が先なのではないかと、思わずにはいられません。


ヘルプとかreadmeに関してですが、これは質問になってしまうけど、どのぐらい本腰入れて作っているのだろうか。

おいらが関わっていた某現場では、社内運用システムであったということもあって、検収先やユーザー様からの指摘を吸収して修正を加えることも多かったです。動作に関する不具合や不明点を指摘され、それがしようであることを説明すると、大抵の場合は「マニュアルにも書いておいてくれ」という話になります。

本来ならばそういうことは指摘されるまでもなく、マニュアルなどの「ユーザーの目に触れる文書」の中で記述を満たしていなければならない、というのがおいらの考え方であり、事実おいらが事実上のマニュアル整備担当者になってからは、テストや不具合管理と並行して、動作上キモイ部分についても積極的にマニュアルに取り入れるべきか否かを、事あるごとに上の人間に確認を取るなり、テストレビュー等において指摘を入れるなりして対応するようにしていました。

こうした認識が、多くの技術者の間で一般的であるかどうかは、正直不明です。が、一般的であって欲しい、とも思います。ただ一方で、そういう部分の記述ばかりが賑やかになるために、結果として煩雑な内容になってしまい、かえって分かりにくいマニュアルになってしまう可能性も否めないので、その辺の情報の整理はセンスに委ねられるんだろうなぁとも思います (技術畑の人間にこのセンスが欠如しちゃっている人間は多いです、っていうかそもそもドキュメント執筆全般に対して苦手意識を抱いちゃっている人間は非常に多い。ブログやるだけでも結構鍛えられるもんなんだけどねw)。

ドキュメントの重要性はフリーソフトウェアの世界においても同様に認識されてはいます。が、如何せん、嫌いな人、苦手な人が多く、プロジェクトによっては整備が手薄だったりすることも少なくないというのが現状のようです。いつだったか、Linux は kernel 2.6 以降、man コマンドによるマニュアル類の整備を怠っている、というネタが報じられて話題になったことがあったように思いますが (ネタ元失念…)、あの辺は今はどうなっているんでしょうかね? 邦訳なんてもう趣味ですらない完全なボランティアの領域になっちゃってたりもするわけで (これが遅々として進まない為に KDE の国際化対応から日本語が切り離されそうになったこともあったっけ)、従事されている方々には本当に頭が上がらないというか。。。

実際の仕事の現場の話に切り替えるならば、今はいわゆる「プログラマー」とか「SE」とか呼ばれる立場の人間が、要件定義も仕様策定も設計もプログラミングもテストもマニュアル作成もパッケージングも全部やっているというのが現状であり、全部が全部得意ってワケでもない人たちで頑張っちゃってますって感じで動いています。それもそれで問題なのかもしれません。それぞれの専門家がチームを作って連携してソフトウェアを作り上げる、というスタイルが確立してゆけば、もう少しマシになって行くのではないかという気もします。

「酷い邦訳」が多い現状については、これも単に英語を知っているだけではなくて、技術英語に精通している人間が現場にあんまりいないのが原因だったりするようです。そもそも自動翻訳に通しただけなんじゃねーの? って言いたくなるようなドキュメントも結構見受けられたりしますが。。。

免責事項は必ず読ませるようにしておく。

Windows の使用許諾契約書 (EULA) は、Windows のインストール時か、または (プリインストールマシンであれば) 最初の起動時に必ず表示されるわけですが、あれにちゃんと目を通している人間ってどれくらいいるのでしょうか。

そういえば、Windows Vista の EULA について、古川氏が突っ込みいれてたなぁ。。。(;´∀`)

EULA って、常人にはなかなか理解し難い文面且つ長ったらしいものが多いような気がする。もちろん、内容に無駄があるから長いわけではなくて、様々な観点で契約について考慮した結果、ああいう文書になってしまうわけなんだろうけれども (良心的に考えるならば)、それならばインストール時とか契約時とかに一回だけみせるだけじゃなくて、いつでも再確認できるようにしておくとか、ヘルプにも吸い上げてより詳しい解説を添えるとかした方がいいんでないかなぁとは常々思っていたりもする。

まぁ、それでも読まない人間って、多いんだけどね。


単純な意見として、直接の作用を有する時点で「製品」として扱ってよいのではないかと思いますよ。
悪い例ですが、毒ガスサリンの構造式だったらいくら書いてもいいけど、実際に作ったらアウト、それと似たようなものじゃないかと。
しかし実際には、コンピュータウィルスのソースコードを公開していたら、公安にマークされそうな気もしますが。。。

最後の緑色の字の部分は、実は結構重要だったりします。サリンの場合、実際に作るには製法に関する知識や技術、それから機材や材料をそろえる必要があるわけで、素人が容易に製造できるわけではないでしょう。しかしプログラムの場合、コンパイラさえ入手できればプログラムを実行可能化することができる。それどころか、MS Office 製品で駆動する VBA マクロウイルスなんかは実際に MS Office 製品を持っていれば動かせるようになるわけだし、バッチファイルなら Windows だっていうだけで既にそのままでも動くわけです。ブラウザがあれば駆動する Javascript も然り。

実際、Web サイトの XSS 脆弱性を説明する為に、HTML と Javascript で記述された exploit (脆弱性検証用コード) をブログなどにて記述し、公開している人は結構います。で、そういうのをコピペしてきては、いろんなサイトで試して回っている script kiddy (興味本位の不正アクセスを試みる輩ども) も結構いたりする。だとしたら、exploit を書いているブロガーは、摘発されなければならないのか?

この辺のことについては、倫理研において、白田氏が「表現的行為」という言葉を用いていろいろと指摘しています。結構興味深い内容になっているので読んでみて損はないと思う。つか、倫理研議事録、一度は一通り目を通しておかないとなぁ。。。

ソフトウェアの責任の所在2006年12月31日 12時26分56秒

ソフトウェア開発者も、製造物責任法 (PL 法) などのような枠組みで責任の所在を明確にすべきだ、という話。なるほど、大筋では大体その通りだと思う。でも、フリーソフトウェア開発者は「賠償責任」と聞けばみんな心臓をバクバク言わせるだろうな。

まず、ひとえにソフトウェア開発とその提供、といっても、形態は様々であることを無視してはいけない。今書いたように、プロプライエタリ (フリーではない) なのかフリーなのか、有料なのか無償なのか (無償であればすべてフリーというわけではありません、念のため)、パッケージ製品として店頭に売り出しているのか受託開発なのか、スタンドアロンなのか Web アプリなのか、プリインストールや組み込みソフトウェアではどうか、などなど、ソフトウェアは実に様々な形態で提供され、あるいは開発されています。

主に受託開発の仕事に携わるソフトウェア開発者のおおくは、ソフトウェア開発は製造業ではなく、サービス業であるという認識を持っています。おいらもその一人です (今は現場に関わっている身ではないけど)。Web プログラマーも同様でしょう。彼らは製品を配布しているのではなく、システムを手元のサーバー上に構築し、そのシステムが提供するサービスを商品として商売しています。反面、組み込み系や、パッケージソフトウェア (プリインストール含む) 開発に携わる人々の場合、その感覚はまたちょっと違うものなのかもしれません。特に、ハードウェア開発の現場で (委託などではなく) 組み込み系ソフトウェアを開発している人間は、一緒にハードウェアを設計し、製造している、という感覚で従事している人も少なくないのではないかと思います。

製造物責任法の骨子は、リコール賠償であったかと思います。このうち、リコールについては、受託開発を除けば、ほぼすべてのソフトウェア開発の現場において、同様の対応は既に定着しているはずです。例えばパッケージ製品であれば、ネットワークなどを介した修正パッチの自動更新および配布が定着してきています。フリーソフトの場合でも、配布元のサイトにおいて告知と修正版の配布が行われている他、メーリングリストなどに参加してもらうことで、積極的に告知をいち早く伝えようという試みをしている方もいます。自動更新については、.NET Framework が Click Once と呼ばれる、アプリケーション起動時に更新のチェックと自動更新を行う機構を提供しており、Windows 向けに無償のソフトを書いている人々の間ではこれが今後は浸透して行くのでしょうが、基本的にはこうした機構は開発者が自己の技術でこさえるものであり、まだあまり浸透しきっていないのも事実です。

いずれにせよ、このような瑕疵保証責任の追及については、法がある程度のガイドラインを示しても良いようには思います。妥当な線としては、大体以下のような感じかと。

  • 瑕疵保証義務発生の程度
    • セキュリティー保護に影響を与えるもの (いわゆるセキュリティーホール)。
    • プライバシー保護上問題のあるもの (Winny みたいな「ファイル管理できないファイル共有ツール」とか)。
    • 動作結果が人身被害を及ぼす状況を回避し難くするもの (医療機器、交通・航空管制、その他)。但し一部の研究開発分野を除く (宇宙開発とか)。
  • 瑕疵保証義務発生時の対処
    • 告知義務 : 広く一般に知られる形での告知を要する (配布を行う Web サイト上での告知、等) (メール告知は必須とはしない←ユーザーの誰もがメールアドレスを提供する形でのユーザー登録を望むわけではない)
    • 修正および配布の義務 : 定められた期間内に修正し、配布を行わなければならない。
    • 配布差し止め : 定められた期間内での修正が間に合わない場合等、一時的に配布および販売の差し止めが命じられる場合がある。

ちなみにセキュリティーホールについてのみ言えば、現在でも既に IPA が脆弱性情報の届出と瑕疵保証対応の仲介を行っており、少なくとも日本国内のソフトウェア開発者においては、セキュリティーホールに対する瑕疵保証は事実上義務付けられているような形になっています。

では次に、賠償責任についてはどうでしょうか。これについては、少なくともソフトウェアの開発実態に応じて措置が講じられるようでなければならないと思っています。

まず、有償か無償か、あるいはプロプライエタリかフリーか、といった辺りは、あまり重要ではないのではないかと思っています。無償であっても IE みたいなプログラムが無保証であってもいいとは言い難いし、Apache のようなフリーソフトウェアであっても明らかに回避不可能な物理的・金銭的損失原因があった場合に無保証であってもいいとは思えない (実際多くの場合、「法によって許される範囲での無保証」を唱えています) (もっとも、Apache みたいなプログラムが、物理的・金銭的損失の原因になりうるシチュエーションというのがあるかどうかは知りませんが)。むしろ、会社が業務として開発しているのか、それとも個人が業務とは別に開発しているのか、という点のほうが重要です。端的に言えば、民事上の賠償義務が発生した場合に、支払いに応じる能力があるか否か、がすべてであると思っています。

一介の個人プログラマーが、趣味で配布しているプログラムを使用した結果、物理的・金銭的な損失が発生した場合で、且つその原因が 100% プログラム側にあった場合 (つまり、損失が回避不可能であった場合) であっても、プログラマーに賠償義務が発生すべきではありません。これは、裏を返せば、損失補てんを望むのであれば、誰とも知らない個人が趣味で作ったようなプログラムを利用すべきではない、ということです。このようなリテラシーは、まともな企業であればどこでも持っているものです。この前提は、崩すべきではありません。

逆にいえば、企業に積極的に使って欲しいプログラムを配布するのであれば、それなりのサポート体制を構築した上で配布すべきです。一個人が財務諸表管理プログラムのデモ版を配布するのはアリですが、ホンモノの財務諸表管理プログラムを配布し、それを多くの企業に広く使ってもらいたいのであれば、会社を興し、あるいは基金を設立し、各種サポートを含めた有償のサービスを用意すべきです。

それから誤解があってはならないのですが、違法になるようなケースを同様に議論すべきではありません。個人配布ならプログラムに人を騙すような機能 (スパイウェアとかトロイとか) を忍ばせてもいいなんてことはない (不正指令電磁的記録等作成等の罪に問われる可能性…もっとも「作成」については微妙なところもありますが)。そういう意味でいうと、Winny のようなケースは微妙になってくるわけですが。

具体案としてはまぁ、そんなところかなぁ。

もっとも、フリーでのプログラム配布というのにもまた更にいろんな種類があって、例えばブログにちょっとした howto 的な、それも断片的なプログラムを掲載しているようなケースもあったりする。それを拾ってきて組み込んだプログラムが、拾ってきた部分のバグが原因でいろいろ被害が生じた場合に、責任をどこに求めるのか、とか、最初のプログラムを書いていたブログ主にも瑕疵保証責任は生じるのかとか、そもそも後者のプログラマーはブログ主の意図どおりの用途でプログラムを組み込んでいたのか、とか。あと、説明責任って話も出てきていたけど、話の流れでプログラム例を提示して見せたに過ぎないブログ主に、話の前後関係に関するすべての説明責任が発生しうるのかとか。そうやって考えていくと、だんだんプログラミングの「表現としての性質」に対する縛りが増えていって、技術方面の人々が発言に不便を強いられる世界が出来ていってしまう、っていう問題点もあったりする。その辺のバランスを法的にどう担保するのか、って辺りも結構難しい。とても今の安倍政権に任せられる議題とは思えないw。

マニュアルとかヘルプとかも重要ですね。そもそも、この動作は仕様なのかバグなのか、って辺りが曖昧になるケースがあって、それに対して企業が「仕様である」と発表することで難を逃れるケースが良くある。しかしこれは実は正しくなくて、そもそもユーザーにとっては重要であるはずの動作について、それがバグなのか仕様なのかが曖昧であるっていう状態は、すなわち本来マニュアルに記述されなければならない動作に関する記述が欠けているということなのであって、少なくともこれは文書バグであるわけです。で、文書バグだって立派なバグなのであって、文書上の不備が原因で人身に関わる回避不能な事故が発生する場合だってありうるわけです。開発ツールであれば、ドキュメントに間違ったことが書いてあることを原因として、セキュリティー上の欠陥を負ったプログラムが量産されるなんてこともありえない話ではない。そういった部分も合わせて保証されなければならない。これは当然のことでしょう。

と、まぁ、こんなところかなぁ。書いてていろいろとおかしな部分とかも散見されるかもしれないので、突っ込み大歓迎なのであります。。。

突っ込もうかどうかちょっと迷ったけど2006年12月26日 11時02分05秒

Winny 判決問題についてはこの辺で既にだいたいまとめたつもりで、これ以上はもう触れないつもりだったんだけど、念のため。

高木氏のブクマでのコメントについては、少なくとも口調に関しては面白がってやっている部分もあるので (^_^; 、逆鱗に触れたとか、そこまで気にする必要はないと思います。もっとも、ブクマであっても高木氏の書いてる内容は大概正しいんだけどね。

一つだけ。

私は「価値は中立としながらも有罪を言い渡した(奇妙な)判決」を概ね支持している。

法律の空白地帯で有罪判決が出るのは司法の暴走(立法の怠慢)という意見もあるが、Winny の真っ黒な使われ方を考えればやむを得ない。

これは、高木氏の「Winnyは悪くないよってか?」に対する回答になってないです。これだと、「Winny は悪くないけど、使われ方は悪かった。金子氏は (その立場的に) 罰金 150 万ぐらいでも仕方ないと思う」ぐらいの意味合いになっちゃいそうなのですが、それに比して、こちらの記事での

Winny はピストルである。果てしなく「真っ黒な(使われ方をする)道具」と言っていい。

との記述とのバランスは悪いように思います。

思うに、先の Winny 判決に対して、興味ある方々の抱く感想は、大きく以下の 2 つに別れるように思います。

  1. 判決内容は奇妙だが、量刑は妥当だ。
  2. 量刑に興味はないが、判決内容には不安を覚える。

Voice さんの感想は (1) であると思います。同じような感想を抱いている方は実にたくさんいます。おいらの身近な友人も大概はこちらの感想を抱いているようです。

対して、おいらの感想は (2) です。こちらは実際にソフトウェア開発に従事している技術者に多くみられる反応です。特にフリーソフトウェアを開発・配布しているような人はこうした感覚を如実に抱いている傾向が強いです。スラッシュドットでの反応や、Matz 氏dankogai 氏などの反応などが参考になると思いますし、高木氏ももちろん懸念を表明しています。

もちろん、Winny を完全に肯定する人々もいないわけではないようですし、そういう人々は間違いなく今回の判決を「不当判決」とみなしているでしょう。しかしそういう人々と (2) のような人々は、多くの場合同調しません。Winny を必要とするか否かという前提条件が違うからです。

で、多くの一般の方々が (1) のような反応を示すのは、ある程度仕方のないことだと思います。彼らは恐らく、今回の判決骨子における論理的破綻には興味がなく、ただ雰囲気として、金子氏にその程度の罰が与えられるのは「仕方がない」と感じているのでしょう。他の事件の判決がワイドショーなどで報じられる際に抱く一般的な感慨とまったく同じです。要するに、厳しい言い方をするならば、当事者感覚がないのです。

なお、ここで言うところの「当事者感覚」に、実際に Winny を使用していた経験があるか否かはまったく関係ありません。ここで言う「当事者」とは、金子氏と同様に、何らかのソフトウェアを開発し、配布している人々、およびそういった仕事に従事している人々です。何故なら彼らは、今回の判決如何では、金子氏と同様の理由により、罪を問われる可能性が出てくるかもしれない人々だからです。

(2) の感想を抱く人々が望む判決は、以下のいずれかです。

  1. Winny は技術的に中立であり、Winny 自体に違法性はない。よって、無罪。
  2. Winny の機能 (または機能的欠落) のこの部分に問題があり、違法である。よって、有罪。 (「この部分」については、実際には判決文中にて具体的に明記される)
  3. Winny の機能 (または機能的欠落) には問題があるが、現行法によってそれを罰することは出来ない。よって、無罪。

Winny においては (a) は有り得ない事が高木氏より既に説明されています。この説明に関する非常にわかりやすい解説が Tariki 氏によって書かれています。どちらもご一読されることをお勧めします。

しかし実際の判決内容は、以下のような内容のものでした。

  • Winny は技術的に中立であり、Winny 自体に違法性はないが、金子氏の発言および行動から、著作権侵害に利用されている現状を認容していたと認められる。よって、有罪。

これはつまり、結果として、「何を作ったか」という部分については重要ではなく、作った人間の態度や発言が評価された結果の判決であったと見ることができます。

そう、何を作っても、罪に問われるときは罪に問われるということです。そのツールに技術的問題点があるかどうかは、あまり重要ではないのです。

例えば、Winny に見られるような機能的問題点がないにもかかわらず、著作権違反の蔓延に一役買っているツールが存在します。そのようなツールは、例えばこの辺のサイトなんかを覗いてみるとたくさん見つけることができたりします。

ファイルアップローダが違法ファイルの配布に利用されている場合、その責任は本来、実際にファイルを up した人間か、またはファイルを削除できる権限を持つサイト管理者が負うことになります。ファイルアップローダ自体は技術的にはごく単純で比較的作るのは簡単なプログラムであるため、サイト管理者が自分でそのプログラムをこさえている場合もありますが、多くの場合、ずるぼんアップローダなどの既成ツールを適当にカスタマイズして設置していたりするようです。

Web 上でファイルのやり取りを行いたい場合に、このようなファイルアップローダの類は非常に便利なツールの一つですが、一方で、実際の利用形態は、匿名でアクセスし、パスワードをかけた謎の zip ファイルが大量に up され、そしてそれを解除する為のパスワードが 2 ちゃんねる等で記述されていたりする、というものが多かったりします。その中身は mp3 であったり、雑誌やエロ漫画をスキャンした画像であったり、といったものが大半です。

さて、こうしたアップローダを利用して違法ファイルのアップロードを繰り返していた人間が、ある日摘発されたとします。そして、彼らの犯行を幇助した罪として、アップローダの開発者が逮捕されるとしましょう。

本来、この開発者は無罪であるべきです。アップローダは Web 上でのファイルのやり取りには非常に便利なツールであり、特に個人サイトで各自の作った作品 (お絵かきした絵とか、写真とか、自分で作曲した mp3 とか) を見せ合いっこするような用途には便利です (ブログが流行る以前はネットユーザーでも自分でサイトを立ち上げる人は決して多数派ではなく、数人で共同でサイトを立ち上げ利用するケースが少なくなかった為、掲示板やファイルアップローダといったツールは重宝されていました)。そして、Winny のように一度ネットワーク上を流通し始めたファイルの実質的な管理が不可能になってしまうようなシステムとは違い、大概のファイルアップローダは up した本人かサイト管理者がファイルを管理することが出来るようになっています (仮にそういう機能が無くても、サイト管理者であれば ftp からディレクトリにアクセスして直接ファイルを削除することも可能であるため、それほど問題にはならない)。

しかし、Winny 判決のような判例があれば、こうしたファイルアップローダの開発者も、罪に問われる可能性は 0 ではなくなります。彼らとて、「ファイルアップローダが一般の人に広がることを重視し、著作権を侵害する態様で広く利用されている現状を十分認識しながら認容した」と看做される可能性は、無いとはいえないのです。

もちろん、実際には、金子氏は 47 氏として 2 ちゃんねる上で過激な発言を繰り返しており、そういう意味での特殊性も決して無視はできませんが、しかし今回の判決が、多くのソフトウェア技術者、それも特別な悪意無くプログラムを個人で配布しているような人々にとって、一定の不安を与えるものであったことは、間違いないのです。

以上のことを、voice さんが認識していらっさるかどうか微妙でしたので、指摘させていただくと同時に、改めて今回の判決についてのまとめとさせて頂きたく存じまする。べべん。

ちなみに、公金 10 億投入の件については、Winny のようなツールに対する規制法の整備と天秤にかけるならば、順番が逆だよなぁという気はしますし、目的として挙げられている、「ネットワーク上のファイル共有ソフトの利用状況を監視し、情報の漏えいを迅速に発見する技術や、漏えいした情報を削除して、被害の拡大を防ぐための技術開発」は、そのまんま字面どおりのことが行われるんであれば、Winny 対策としては確かに無理っつーか無駄ではあるものの、これは現段階ではあくまで提案の一例に過ぎず、実際に開発するものについては今後じっくり協議されていくのであれば、まったく無駄なことだと断言することは (まだ) できないかな、という感じです。その現場に高木氏が加わって軌道修正してくれる、のかどうかはおいらは知らんのですが。

例えば、ウイルス削除ツールのベンダーや Microsoft などと共同で、Winny やそれに類するツールの検索および警告および削除を行う機能を、ウイルススキャンツールなり OS なりに組み込んでもらい、維持していただくとか。もちろん、ツール自体が違法となる法的根拠の整備のほうが先ですが。