胃カメラ結果とその後2005年12月18日 08時31分00秒

胃や十二指腸に異常はありませんでした。実際写真を見せてもらいましたが、確かにきれいでなんともありませんでした。

胃は収縮などでも痛くなることがあるので、収縮を抑える薬や胃酸の分泌を抑える薬を処方することはできるけど、と言われましたが、昨日書いたような症状のことを告げると、それはやっぱり消化器科では専門外で、心療内科に受診したほうが良いという話になりました。

なんだかんだで疲れてしまったので、胃カメラ終わった後はほぼ一日寝てました。忘年会すっぽかしてしまって申し訳ない>招き猫。年内は、あんまり予定とかいれずに静かに過ごそうかと思っています。

胃カメラ飲む前に2005年12月17日 07時57分45秒

昨日の状態を書いておきます。

結局仕事に入ってきたのですが、正直調子は良くありませんでした。自覚症状は以下の通り。

  • 胃痛、吐き気
  • 腹の底から来る嫌な感じ
  • 頭が回らないことによる集中力の欠如、倦怠感
  • 手足のしびれ

それから、(こういうこと書くと変に心配されそうなのであえて書かずにいたのですが) 最近、トイレ (大便器) に入り浸ることが多くなりました。実際に便意を催すから行くわけですが、実際には汚物はほんの少ししか出ない、ということが一日に 10 回行かない程度あります (ちゃんと数えたことはありません)。

で、昨日は特に調子が悪くてさすがに不安、というか「もうだめかもわからんね(´・ω・`)」とか思ってしまったので、とりあえず心療内科に予約を入れておきました。心当たりのあるお医者さんに予約を — 入れようとしたら受付のけだるい声したおばちゃんに「今からですと 3 月以降になっちゃいますねぇ♥」とか言われたので敢え無く断念。で、気を取り直して自宅から近場の診療所見繕って、結局 1/16 に診察の予約を入れました。一ヶ月待ちだけど、まぁ年末年始のこの時期だし、あっちゃこっちゃ探すのもめんどいし。

冬季賞与面談やるぞーってメールが来てたので、面談シートにもこのことを書いて課長に送っておきました。「期の変わり目のタイミングで休職もしくは退職を考えている」と書いてしまいましたよ(`・ω・´)。 ←実は辞める気まんまん

あーいや、一応親とは相談するけどね。

ほな、そろそろ着替えて行ってくるべかな(´・ω・`)。

今日は一日寝てますた。2005年12月15日 22時02分02秒

丸一日熟睡ですた ヽ(*´ー`)ノ 。人間、寝ようと思えばいくらでも寝れるもんだなぁとつくづく。。。え? 職場でもそのくらい寝てるだろうって? つか、ヲレだけ?

。。。。。。。。。疲れてたから、かな。

G のことが気になって、さっき電話してみました。頓服飲んで横になっているところでした。電話しながら、今日更新されたブログも読んでいたのですが、調子悪そうですね。。。

本人も、電話口で、正直調子よくないと言っていたので、あんまり辛いようだったら病院に相談した方が良いと進言。薬いっぱい飲んだけど死ねなかった、と言うので、おいらは G には生きていて欲しいこと、何よりも、生きてそこにいることが重要なんだと言うこと、そして、みんな待ってるし、おいらも待ってる、ってことを伝えました。

いっぱい泣き言を言っていました。彼には泣き言を聞いてくれる人が必要なんだと思います。今、あの実家にいる人たちには、それが出来る人がいないのでしょうか — ?

。。。多分、いないのだと思います。それどころか、全世界で、今この世を生きている人たちの中で、G の泣き言を聞いてあげられる人間は、おいら一人なのかもしれません。

そんなことない?

そう思う人は、できればときどき、G に電話してあげてください。でも、無理はしないでちょ。

一応、こうして電話するときには、辛くなったらおいらに電話してくれ、とは毎回言っているのですが、相変わらず、奥さんに電話すること以外は思いつかない状態のようです。

もちろん、うつ病と言う病気は、どんな些細な解決策さえも思い至らず、あるいは知っていても実行できなくなってしまう、そんな病気でもあります。きっと、これまでの経緯を良く知らない人で、病気に対する知識がそれなりにある人にとっては、奥さんに電話することを思いつくだけでも、まだマシだと思うのかもしれません。

奥さんの状態については、先日書いたとおりです。近々、診察を受けるとの事でした。ちなみに、彼女のブログで書かれていた家庭内の問題については、とりあえず一応の解決にまで至っています。

首、突っ込みすぎですかそうですか。

残り物のスープが温まってきた匂いがしてきたから、もう書くの終わりっ

う゛ぁ゛ー、あーもうわかったよっ2005年12月15日 08時21分16秒

休めばいいんだろ休めば!!>胃袋

胃カメラ受けろとさ。2005年12月08日 10時58分30秒

胃腸の調子が慢性的によろしくないので、寝坊してどうせ遅刻だしちょうどいいやとばかりに(ぉぃ)、午前休とって病院行ってきますた。

まぁ胃腸だし消化器科がええんでないの、ということで消化器科で受診したのですが、触診で胃を押されたときが一番苦しかったのと、吐き気が一番気になると言うことを伝えたら、そいじゃあ胃カメラ飲むかバリウム飲むか選んでくれと言われたので、まぁ医師の強い奨めもあって胃カメラを受けることにしますた。

今日は採血だけとって終わり。クスリとかの処方もなし。

個人的には精神的なものが一番大きいんではないかと睨んでいたので、胃カメラを受けること自体はあんまり意味があるようには思えないんですが (^_^;;、まぁ採血の結果も気になるし、受けるだけ受けてこようかなと。

ちなみに検査日は 12/17 AM 9:00~。某所の忘年会とかぶってる気もするが、まぁ時間的には大丈夫でしょ( ゚3゚)~♪

先週あったことを書くよ。2005年12月06日 01時30分27秒

先週、Gが自宅へ帰宅しました (G 自身の日記 1 日目2 日目)。ERK の鯖メンテをしたかった、ということもあって、その日はおいらもお邪魔させていただきました。

もっとも、おいらがお邪魔した一番の理由は、今の状態の 2 人 — G と、その奥さん — を、2 人だけにしておくのは非常に危険だという直感があったからです。G はうつ病患者で、先日退院したばかり。当日は病状自体は比較的安定していましたが、深層心理のベクトル (とでもいうべきなんだろうか) に変化は無く、病気からの回復には時間がかかりそうであることは、G のブログを興味深く読んできた方々や、実際に付き合いのある友人達には良くご存知かと思います。そして、 — これはあくまでおいらの見立てであり、実際に医師に診てもらったわけではないのですが — G の奥さんは恐らく介護うつを患っており、ことさら、以下の 2 つの状況に対して、強い強迫感を抱き、過呼吸などの具体的な症状を併発することがある、という状態です。

  • G やその家族などに、 G への対応などについて責めるような発言や行為をされた時。
  • G やその家族などとの呪縛からは逃れられないのだと感じるような出来事に遭遇した時。

結論から言えば、先週の出来事はおいらの見立てを確証するものとなってしまいました。そして、あの場においらがいて本当に良かったと思いました。

以下に、その時の出来事をメモとして記します。ドラマチックな内容ではないので、そういうのを期待している外野の方は読んでもおもしろくないと思います。それから、関係者の方で、読んじゃうと精神的につらくなっちゃいそうだと思う方は、読まないほうが良いかもしれませんので、下のリンクはクリックしないで下さい。

うつ病との闘い方2005年11月21日 16時30分01秒

つくづく、恐ろしく、そして難しい病気だと思う。

免疫力を高める2005年11月16日 12時04分05秒

超個人的メモ。免疫力を高めるために

「人生模様をクローズアップでみれば時には悲劇に映るが、ロングショットで展望すれば、喜劇と映る」2005年11月05日 14時14分30秒

チャールズ・チャプリンのお言葉だそうです。けだし名言。この胃の痛みも、彼やおいらの言動も、所詮は未来の笑い話の肥やしにしかならん運命なのでしょう。

なんだか泣き声が聞こえるみたいですが、もはや見る必要もありません。見てもいいけど。おいらがどれだけひどい行動を取ってるかぐらいは分かるかもね(そういうことにしておきます)。

。。。いや、個人的には、別に匙を投げたりするつもりは毛頭ないのですが。。。本当は、ほったらかしにしてあげて、一人でゆっくり考える時間を持つ(いい形で頭を休める)のが一番よいのではないかと思うのですが、どうしても、厄介な出来事というのは起こってしまって、ほっとけなくなって動いてしまうということがちょくちょくあったもんで、おかげで体力・精神的にも仕事に集中できていないために出向先の社員さんから注意を受けたり(警告にも近い、というか、契約にも響く、というか…)、なんだか知らんけど一日に4~5回も便器にまたがってうんうん唸らなあかんかったりしていたわけなんですが、まぁすべて自業自得なんですけどね。。。

かの人がここを見てくれているのかどうか、正直よく分からんのですが、もし、見てくれているのであれば、以下のような言葉でも贈ってあげたいです。会って直接話せって? 駄目。どうしても、お互い感情的になってしまうだろうから。

  • 考えることと、思いつめることは、同じではありません。「反省」と「後悔」はまったくの別物です。「反省」は常に未来への考察を伴い、発展的な解決策を求める行為です。「後悔」は、ただ自身を追い詰めるだけです。
  • 人に愛されたいのなら、その人を愛さなければいけません。でも、人を愛したからといって、その人から必ずしも愛されるとは限りません。
    愛されることを期待して、人を愛しようとする行為は、愛ではありません。愛に条件を求める人は、長期的にその相手を苦しめ、信頼関係の破綻を招くことになります。
    「愛される」は、「褒められる」、「優しくされる」、「思いやられる」、「評価される」などに言い換えることもできます。
  • 人を思いやることと、人を甘やかすことは、違います。甘やかされれば、人は楽になり、そして弱くなります。その人が望むものと、その人にとって必要なものは、必ずしも同一ではないのです。
  • 覚悟とは、自分でするものです。他人に押し付けるものではありません。自分にとって都合のよい行動を他人に期待している時点で、それは覚悟とは言いません。
  • マーフィーの法則は、単なる悲観論ではありません。失敗する可能性のあるものは大概失敗しますが、だからこそ、自分たちにできる限りのことを尽くす意味があるのです。人の仕事とは、そうした誇りの上に成り立つものではないでしょうか?
  • 自分に「向いている」事をして生きてゆけばよいと思います。それは、必ずしも憧れるようなものではないかもしれません。もっとも、あなたが憧れないことであっても、それをしている人たちにしてみれば、とても誇らしい人生であるかもしれません。
  • 自分に手を尽くしてくれる人を、信頼してあげてください。おいらのことではありませんw。ときに彼らは厳しいことを言うかもしれませんが、今のあなたにとって必要なものを、彼らは見据えているのです。

順番めちゃくちゃw。まぁいいか。そろそろ飯にしよう。。。


Sun Nov 6 09:37:30 JST 2005 - 追記

一番最初のアイテマイズについて補則。

多分、これ、分かっていても、なかなかできることじゃあないと思います。容易に「後悔」を「反省」に(思考じゃない状態を思考に)転ずることができるのであれば、おそらくこの厄介な病気は、ほぼ完全に治ってしまっていると見てよいでしょう。まともにものを考えられないからこそ、人はつい、後悔ばかりをしてしまうのです。

これはなにも精神疾患の方だけではなく、普段からものを考えることを怠って生きてきた人間の多くが陥っている状態であると思います。ただし、怠ってきただけであるならば、ちょっとしたトレーニングで割と短時間のうちに、まともにものを考える頭を作ることができます(あるいは、物凄く興味を引くものを見つけた瞬間、とか)。精神疾患の場合は、ものを考えるという状態に自分を置くだけの気力を持ち合わせていません。だから、気力を取り戻すために、とにかく頭を休めるしかないのです。

この数ヶ月間の間に、似たような状態を少しだけ体験しました。おそらくこれは初期症状だったのではないかと思います。初期症状といっても、風邪でいえば、せいぜい、雨にぬれてちょっと体が冷えちゃったから鼻がぐじゅぐじゅするとか、多分その程度。熱いシャワーを浴びて、体をしっかり拭いて、暖かい格好をしていればすぐに引くぐらい。だから、自分のそういった状態が「思考」ではないことに自分で気づくことができたし、仕事しながらでも数日間の調整で、すぐにまともさを取り戻すこともできました。逆に言えば、気づくことができなかったり、そもそも知識として持ち合わせていなかったりすれば、そのままエスカレートしていったかもしれません。

そういった性質のものであることはなんとなく分かるので、本当は、「後悔するな、後悔するのに頭を使うくらいなら、むしろ反省しろ」などとは、強くは言えなかったりもします。

ただ、それでも、心掛けているのと、そうでないのとでは、やっぱりずいぶんと違うだろうとは思うのです。病気だからといって、自分の弱さに甘んじてはいけないと思うのです。病気だからこそ、治さなければならないと思うのです。病気に甘んじるというのは、風邪でいえば、「熱が出ていて頭が思うように働かないから、仕事は大して進まなくても仕方がないよね」と思うことです。まともに仕事ができないほどの高熱ならば、そんな足手まといは出勤などせず、病院いって薬もらって、家で安静に寝て治癒に専念すべきです!!! 「そうもいっていられない」と思っているのは、恐らく自分だけ。事情が事情ならスケジュールなんていくらでも調整が利くものです。体調悪い人間にいい加減な仕事されるほうがよっぽど迷惑。

なので、とりあえず、考え事ばかりしてしまう、あるいは心理的につらい状況になってきたら、とにかく寝てしまうなどしていったん頭を休め、起きてみて調子を取り戻してみてから、寝る前の考え事が本当に「思考」だったのか、ちょっとだけ振り返ってみると良いのではないかと思います。こういうのもトレーニングなので、繰り返していくうちに、少しずつ、記憶力や、物事を整理する力なんかを、取り戻していくことができるんではないかと思うのです。

リスクと見つめあうこと。2005年09月29日 10時12分26秒

あざけり先生、台風きどりより、禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける) を読んで。

まぁ、喫煙や副流煙と肺がんとの関係が云々とかは別として。おいらが一番「どきり」としたのはやっぱりこの部分かな (強調はおいらが付けたものです)。

こんな感じでした。実際に、思ったとおりに生活していたのですが、ふとした時に考え始めました。「なんで煙草なんか吸ってたんやろ…」と。それまでに「煙草はやめときな」などと言われ、うんうん、分かってる分かってる。でも、自分で自分のリスク分かっているからほっといてくれよ、うっとおしいなと考えていました。でも、リスクをほんとうは分かっていませんでした。毎日毎日「死ぬかも死ぬかも」と考える日々は、本当に「お先真っ暗」です。昔の自分に、「煙草をやめられないなのに、自分と周りに言い訳ばっかりするなよ」と怒りたいです。でも、過去を消せる消しゴムはないからなぁ…

こういう事って、喫煙に限ったことではないと思う。後々どうなってしまうかということを、なんとなく知識として知っていながら、でもまぁすぐにそうなるわけでもないだろうという甘い認識にくるまれながら、気持ちよくて楽な方へと流されていってしまう人って多いと思う。お酒好きがエスカレートして常飲状態になってしまう人、精神疾患に苛まれながら、病気と向き合えずに会社に通いつづけてしまう人、返すあても無いのに、生活を賭けたギャンブルに興じて借金を膨らませてしまう人、そして、太っていると分かっていながら、具体的なダイエットを始めようとしないおいら。。。

いつだって、取り返しのつかない状態になって、具体的な痛みや絶望感をしっかり味わってから、やっと物事の重大さに気付かされる。そこに至るまでに、周囲にいるたくさんの人たちに、著しい心労や迷惑をかけてきてしまったことさえ、気付かずに。

ちなみにおいらは煙草は吸いませんが、嗜好品やその利用者を迫害するような社会というのは、いい世の中とは言えないと思います。だからこそ、身内に対しては徹底的に禁煙を勧めよう、というあざけり先生のお考えには、痛く共感できるところがあります。