脱サラ、それから。2015年06月11日 13時40分21秒

サラリーマンだったおいらが某社を辞めたのは 2006年の 4月末。 4月いっぱいは有給を消化させてもらったので実質は 3月末で辞めたようなもんなんだけど、それから 1年はぶらぶらしていた。ニートってやつだ。何か明確な目的があって会社を辞めたわけでもなく、溜め込んでいた貯金を、精神と一緒に食いつぶしながら、自分が何をやるために時間を費やしたいのかを考えるために時間を浪費していた。

フリーランスとか起業とかってのは、当時はほとんど考えてなかった。 6年間もサラリーマンやっていながら、他所から仕事を取ってこれるようなコネというか、ツテというのはほとんど持っていなかった。本当はその当時にすぐにでも、かつての出向先の人とかに連絡でも取っていれば、そのツテで何かしらの仕事を回してもらえたのかもしれない。でも少なくともあの当時は、そういうふうに行動を起こす気にはなれなかった。

その後 1年間ほど派遣社員として某所で働いて、年度の変わり目近くになって、昔の同僚のツテで仕事を回して貰えそうな話が出てきた。更には今のかみさんの知り合いに、当時念願かなって司法書士の資格を取ったという人が、会社を起こすなら手続きを引き受けるとまで言ってくれた。こうしたありがたい縁が重なって、おいらはそれまでホームページのタイトルに使っていた「はらぺこ」という名前で、会社を起こした。

その後、最初にもらってくる予定だった仕事がポシャって、慌てて某首都圏のフリーランス向けに仕事の面倒を見る組織を訪ねて、そこに言われるがままに個人事業の開業やら青色申告承認やらの申請をやって、結局のところ経営者とフリーランスの二足のわらじを履くことになり、そこでもらってきた仕事をこなすも希望していた内容ではなく (仕様からテストを起こす仕事かと思ったらテストマシンをひたすらアドホックにいじり倒すだけの仕事だった)、半年そこいらで辞めてしまったらちょうどその時期にリーマン・ショックにぶち当たり、次の仕事も見つからないまま困り果ててしまうことに。

そんな折にまた昔の同僚 (一応さっきのとは別の方) のツテで仕事を回してもらえることになり、それでやっと会社の方の売上が立てられるようにはなったのだが…。

脱サラしてから 10年目、会社を起こしてから 8年目、更には結婚してから 4年目を迎えている今日この頃。脱サラ以降の仕事人生について、今ここで総括するならば、正直言って完全に失敗だったと思ってる。

何故。何が失敗なのか。

実は一番無駄だったように見えるあの最初の 1年、その終盤ぐらいになって、自分がやりたいと思える目的のようなものは大分掴めていて、当時はまだ技術的なネックはあったが、それを達成することはひとつの目標になると自分では考えていた。

それから 8年以上がたった今も、その目的に関して、ほとんど着手すらできていないような状況だ。この業界では、勤め人である限り、時間的にも体力的にも、業務以外のことに割くだけの余裕はなかなか得られない。いや、得られないものだとおいらは勝手に思い込んでいた。

実際のところ、サラリーマンだった頃も、派遣社員だった頃も、あるいはフリーランスとして出向していた頃も (上記で書いた半年以外にも、経済的事情により 1年間近くフリーランスとしていくつかの現場に出向していた時期があった)、仕事自体が夜遅くにまでなりがちだったり、通勤時間もまあまあ長かったりで、外で飯を済ませて家に帰ってシャワー浴びてぐぅ、となってしまうことは多かったように思う。

しかしその一方で、週一ぐらいでミーティングをし、持ち帰りで家で作業をこなす日々に、そこまで余裕があったのかというと、それも微妙だ。十分な報酬が得られていればまだいいが、様々な事情により報酬も十分に得られなくなると、かみさんを外に働きに出し、自分は家事に追われながら、必要な作業をなんとかこなす日々が続いた。とても自社開発にうつつを抜かす余裕はなかったように思う。

家族に我慢を強いたという意識も、自分で失敗だったと感じてしまう大きな一因になっている。出向で稼いでいるときには時間的に我慢を強い、稼ぎの少ない持ち帰り仕事の間は経済的に我慢を強いた。経済的なことについて言えば自分の親にも迷惑をかけたし、具体的なことは言えないが関係各所にも迷惑をかけ続けている。

前者についてはこのままでは埒が明かないという思いがあり、後者についてはもうこれ以上は迷惑をかけられないという思いもある。もうそろそろ潮時なんじゃないか。

起業を考えている人がもしこれを読んだならば、おいらのようになりたくないなら起業なんてやめてしまったほうが良い。勝てない喧嘩はするなというが、準備に準備を重ね、勝てる公算を立ててからでなければ、起業なんてするものではない。

つまりは気持ちの問題なのだ。精神論は笑えない。どんなに忙しい日々を送っていたとしても、成し遂げたい目的がもし出来てしまったのであれば、なんとかして時間を作って、少しずつでもそれをこなしていくべきだ。そしてその目的を一定のところにまで成就し、他者の評価の目に晒し、その結果、その成果に目を留め、その先にある進化に期待の声が寄せられるならば、その時にこそ、初めて起業を含めた新しい身の振り方について考え始めれば良い。それからでも全く遅くはない。

その一方で、見切り発車で居場所も経済的担保もかなぐり捨て、その先に待つ孤独や貧困に精神を蝕まれるくらいなら、ただ忙しいぐらいのほうがよっぽどマシだ。忙しすぎてボロボロになって精神を病むほどならさっさと転職を考えるべきだが、そこまででもないのであれば、そういう状況のうちにやれることはやってしまうべきだ。迷惑をかけない程度であれば多少のズルはしてもいい。

おいらは今のところ、まだその目的そのものについては諦めたつもりはないんだが、その一方で、そろそろ今の生活については、一度けじめをつけなきゃいけないだろうなとは思い始めている。それがどういう形になるのかは、今のところまだわからない。交渉次第では、現状維持もできるかもしれないが、正直それは期待していない。

歳を重ねてしまったからと言って、それが何かを諦めなければならない理由にはならないと思う。でもその一方で、歳を重ねれば重ねるほど、身体的には不利になる。焦っても仕方ないが、立ち止まっているわけにもいかないのだ。