教育現場での君が代を巡る一番の問題は、君が代が音楽の授業でしか習わないことなんじゃないかな。2009年07月04日 12時38分07秒

おいらはこの問題にはあまり関心を寄せていなかったのだけれども、リンク先記事での id:teraccao さめの発言 (個人的にはそれほど人目を引くような、例えば個人攻撃や反社会的行動の予告などに相当するような酷さや、新たな議論を呼び起こす視点などといったような興味深さがあるような記事には見えなかったのだけれども) に対して、コメント欄やはてブで決して少なくない反応が巻き起こっているという事実に、その、もはや潜在的ですらないかも知れない社会感情のナーバスさに、不安というか不気味さを覚えた。態度として無関心こそ正常、などと言うつもりはないのだけれども、それにしたってこのバックラッシュっぷりは、あまりにもナーバスに過ぎるんじゃないかな。

で、個人的には「問題発言」として報じられた発言主の知事も、教育現場で行われる式典において国歌斉唱時に起立をしない、歌わないなどの行動を起こしているレジスタンス的な教職の方々にも、特別な感情は持ち合わせてはいないのだけれども、国旗、国歌に対する国としてのスタンス、特に国歌に対するそれに対して、一部の教職の方々が反感を覚え、あまつさえこれほどの積極的な行動にまで掻き立ててしまう状況に陥ることに、一定の理解は覚えるところではある。

まぁ、結論は表題に書いちゃった通りなんだけれども、実際のところ、学校の音楽の授業で君が代について触れる機会というのは、あるにはあるのだけれども、礫が岩になってコケが茂るほどの永きにわたってこの世があり続けることを願った歌、という風に解説はされるものの、肝心の「君」が何なのかについては特に触れないし、君が代がいつ、誰によって詠まれ、それが歴史的にどのように解釈され、扱われてきたのかといった経緯についても習う機会はなかった。

おいらとしては、今すぐにでも国旗や国歌を新しいものに変えるべきだとはこれっぽっちも思っていなくて、って言うのは何でかというと、それらが象徴するものが天皇であり、あるいは天皇制であるとして、それらに対して反発的な感情を持ち合わせる理由がないからだ。それだけおいらは、平和な時代を謳歌してきたと言うことでもある。

そういう風に考える人、あるいはなあんにも考えていない人というのは、この国では多数派なのだと思うのだけれども、でも実際のところ、そのことこそが最も懸念されるべき事態なのではないかとも思う。天皇制であったこと、もっと言えば、十分に民主的ではなかったことが、かつての戦争に突き進むまでの経緯としてどのように影響してきたのかって言うことが、戦争を知らない子どもたちに、これっぽっちも実感として伝わっていない、伝えることができていないというのは、型どおりに見れば義務教育における社会科教育、歴史教育の欠陥なんだけれども、でもそれは実際のところ、確かに難しいことではあるよな、とも思う。それは仕方がないのだけれども、それにしたって、最低限知識として流布していても良さそうなことが、歴史の教科書に書かれていない、それを語れる教師も少ない、というのでは、そう言うことについて考える機会を得られないという意味において、子どもたちは不幸だと言わざるを得ないのではないか。

君が代に対する国のスタンスが曖昧にされている為に、教育現場において君が代を、その歴史的経緯や意味について交えて教えてゆくと言うことができずにいる。このことは、国歌や国旗と言った、国を表面的に象徴するものをとにかく変えたくない、と思う向きには、都合の良い状況でもあると思う。もしも、国が君が代の君を「天皇のことだ」と断定するならば、天皇制を廃し、完全な立憲君主制に移行したはずの、現在の日本国の国歌には相応しくないのではないか、ということになるし、逆に、国が君が代の君を「国民、すなわちまさに君のことだぁm9(`・ω・)ビシッ」と断定するならば、じゃあそうなるずっと前から歌われてきたこの歌の意味を、体制に応じてねじ曲げながら国歌として使い続けるのはどうなのよ? ということになってしまう。でも、そこを敢えて何とも断定せず、曖昧にし続けてきたのは、結局のところ、永く歌われ続け、愛着も親しみも強くなってしまった君が代という歌そのものを、あるいはこの歌に象徴されるようなお国柄を否定すると言うことに、抵抗感が強かったからなのではないかと思う。国全体として。だから、マッカーサーが天皇家の「延命」を事実上認めたその日から、このことについては極力考えないようにし、教育においても深くは追求しないようにしてきたんじゃないかと思う。

でも、その態度って、本当に国を思う人の態度なんですかね? 国の未来をしょって立つ子どもたちに対して、本当にフェアな態度なんですかね?

一部のレジスタンス的な教師がああいう行動に出てしまうのは、そのことがあまりにも教育において触れられない為に、子どもたちの多くが関心を寄せないこと自体を問題視しているから何じゃないか、とは思う。教育において、「君が代は天皇による統治の、永遠の栄華を歌ったものとして扱われてきた」と言うことがちゃんと教えられ (あるいはこの逆の内容でもいい)、それを知識として踏まえ、育ち、将来大人になった彼等が、その後君が代をどうするのかを自律的に選択できる状況になるならば、結果として、やっぱり天皇家は嫌いじゃないし、国歌も君が代でいいよ、ということになるのだとしても、教育者としての彼等も納得がいくんじゃないかと思う。でも、こんなフェアじゃない状況が続く限り、彼等の反抗を国や自治体が押さえ込むのは、難しいんじゃないかなぁ。そりゃあ、知事もパワハラ発言したくもなるよ、っていう。

「ブラック会社」がブラックにならざるを得ない社会的背景2009年07月10日 01時30分39秒

どこかのうんこブログがリンク先記事への回答として「雇用流動性が低いからこうなる、解雇規制を撤廃すべきだ」などと極めてうんこな事をほざいていらっさいますが (腹立たしいのでいちいちリンクしません)、まぁそれはそれとして。

ブラック会社、あるいはブラック企業というのは、要するに労働環境が劣悪で、しかも社員の多くがそうした状況に疑念を抱かない、あるいは諦めてしまっている社畜ばかりである、といったような状況に陥っている会社のことを指し、そう言った現象について、経営者対労働者の構図で物を語る人が多かったりする概念です。

実際のところ、こうした現象というのは必ずしもそのような単純な物であるとは限りません。特に、SI 業界に関して言うなれば、顧客企業との軋轢、上流・下流やコンサルなどといった工程を切り分けるスタイルによる分業と、それに伴うピラミッド型の下請け構造、中小企業への支援制度が手薄な行政、などといったものが背景に横たわっており、その結果として、不利な条件で事業を請け負わなければならない零細ソフトハウスの苦渋、ご贔屓さんとの政治的おつきあい、さらには会社規模でいえば一流の筈なのに部署や取引先によって明暗がくっきり分かれるなんて事もざらにあったりする訳です。

もちろん、労基法がないがしろにされ、労働者の権利が踏みにじられている現実は、どうにかする必要があるでしょう。内部告発が増えてきているのは好ましいことですが (今のところニュースになっているのは飲食業界が多いですが)、罰則規定を強化し、労働者の権利侵害が悪であるということを政府の態度として明確にすべきだというご意見は、確かにごもっともであると思います。しかし、それとセットで同時に解決して欲しい問題がいくつかあるのも事実です。

ことソフトウェア業界に関していうならば、以下のような問題が横たわっている訳ですが…

  1. 作業領域が工程によって分断される為、下請け構造が根深く、企業間の上下関係がはっきりしてしまっている。
  2. 企業の技術力を推し量る基準が存在しない為、無名な中小零細企業は営業面において不利を強いられている。
    • 品質管理能力については一応 ISO 9001 というのが存在するが、そもそもテストを切り詰めろなどといった品質をないがしろにする要求をしてくる顧客が未だに多く、業種によってはあまり重視されないケースも少なくない。
  3. システム開発の適正価格が理解を得にくい為に、市場自体にダンピングの発生しやすい土壌ができあがってしまっている。
    • これに対し、システム構成を無駄にリッチにする、オープンではない技術を多用し、保守を入れ替え不可能にして独占する、などの (顧客側の無知を逆手に取った) 悪質な商習慣も横行している。
  4. 起業支援が手薄な為、新規に事業を興そうとするものが少なく、いても先立つものがない為に、SI 事業の下請けの末端として仕事を受けざるを得ないという状況がある。

1 と 2 は中小企業支援の問題。公正な取引が阻害される要因というのはいろいろと考えられる訳で、そのうちのいくつかは政府による規制によって状況をある程度改善することは可能かも知れません。一番の問題は作業範囲が工程によって切り分けられることであり、上流を請け負う企業が設計書を仕上げて持ってくるまで下流を請け負う企業がコーディングの作業を開始できないとか、納期までの時間の内の大半を上流が食い潰してくれやがったのに最終期限は延ばして貰えないであるとか、顧客が直接お金を払うのは上流を請け負う企業だけなので上流が見積もりを誤ればとばっちりを食うのは下流であるだとか、そういう差別要因を育む諸悪の根源なのだから、作業範囲を工程で切り分けること自体を不公正な取引であるとして規制してくれればそれが一番公正な世界を創り出す近道であるようにも思うのですが、実際のところ、うちには顧客と直接交渉してシステムを提案できるような人材はいない、仕事をくれる上流企業から仕事を貰えなくなるような規制ができたらうちは商売できなくなる、なんていって尻込みするソフトハウスも少なくないだろうから、いきなりそんなドラスティックな改革をやってのけるのも難しいんだろうなぁとも思ったりする。

技術力うんぬんに関しては、実際のところ、個々のスタッフの経歴がすべて、というのが実情。後は取得した資格とかですかね。で、「A と B と C という技術を使えば、n 千万円で実現可能です。当社であればこれらの技術を経験しているスタッフは揃っています」なんつって営業したりする訳ですが、こんなのはっきり言って顧客は理解できる訳がないので、結局は企業の知名度で選ぶか、価格が一番安いのを選ぶか、ということになってしまう。 3 の適正価格が理解されない問題とも通じていて、顧客企業自体にしっかりした情報システム部門があったり、有能な CIO がいらっさるようであればそれほど問題にはならないし、そういう体制はもっと普及すべきだとは思うのだけれども、すべての顧客にそれを求める訳にも行かず…。個人経営の飲食店とかだってなんらかのシステムが欲しいと思うことはあるのだろうけど、そういうところにシステムを構築することで、十分に食っていけるだけの報酬が得られるような世の中になっていないことが、独立開業を難しくしている要因の一つであるとも言えたりする訳で…。

4 は起業支援の話なのですが、これを求めることが国際的に見て贅沢なことなのかどうかおいらは知らないのですが、独立開業を夢見る人のご意見として、会社に縛られることなく、自分のペースで仕事ができる、という誤解があるのだけれども、それを実際にかなえるには、納期などに縛られない商売、すなわち、オーダーメイドではない金になる商品を既に持っていて、それをコンシューマーに向けて販売、もしくはサービス展開する、といった商売で勝負できる場合に限られることになる訳です。でも、それまで一労働者としてあくせく働いていた人が、そういう商品を作り出す時間を割くこと自体が難しかったりして、で、そんな時間を得る為に脱サラしてみたはいいものの、勝負になるようなものができあがらないうちに貯金が底をつき、あえなく派遣で仕事を探す、なんてのがありがちなオチだったりするのが実情です。これは SI で下請けやってる中小零細企業に関しても同様で、仕事が多くて忙しいときは時間的余裕が無く、仕事が少ないときは少ないときで今度は資金的余裕がなくなってしまう為に、なかなか自社開発に踏み切れずにいる。そういった辺りをうまいこと救済するような制度とかがあったりすると、コの業界ももうちょっと活気づくんじゃないかなぁとか思わなくもなかったりする訳です。

IPA が未踏IT人材発掘・育成事業なんてのをやっていたりしますが、これはこれで良いのですが、これだとどうしても凄い発明をする英雄的存在を発掘するアプローチ、ドラクエで各国の王様が勇者を捜し出すアプローチになってしまっていて、業界全体の労働者層を救済するアプローチにはなり得ないし、独創的な商売を育む土壌もなかなか根付かないのではないかとも思う。かといって、日の丸検索プロジェクトみたいなのは一部の企業を利するだけで、これも業界全体の活性化を促すものにはなり得ない。もっと、ソフトウェア企業がこれから作ろうとする物の価値を認めあえるような、財源とコミュニティが一体化したような社会的枠組みがあったりすると面白いんじゃないか、とか思ったりもするんだけど、庶民様の血税とやらでそれを実現するのはやっぱり難しいんだろうな、とも思う訳で…。

相変わらずまとまらないけれども、おいらの今のところの思考は、とりあえずこんな所。

で、せっかくなのでこぼれ話。おいらが今、会社として請け負っているお仕事なのだけれども、取引先の都合で、別の会社を1社はさんで契約して貰っている。

何でそんなことが必要なのかというと、事業を通して経費が適切に計上されているかどうかが審査される訳だけれども、事業全体の規模があまりに大きい場合、そのうちのいくらかを、うちみたいな無名の零細が請け負っていたりすると、それが使途不明金として疑われてしまうケースがあるからなんだそうだ。

結局の所、法が民間に対して信用を求めていて、それがうちみたいな零細には、結果として障壁となって立ちはだかっていたりする。法人は国に登記され、その事業内容も合わせて管理されるのだから、本来ならばその国こそが企業の信頼を担保するべきなのに、実際にはおいらたちは国にすら信頼されない、信用ならないならず者として扱われる訳だ。だからこそ、どこかから与えられる数少ないチャンスをものにし、信頼を積み重ねていかなければならない。

そりゃあ、奴隷にもなるよ。詐欺師にだってなる。おいらはどっちかっていうと、病気になる可能性の方が高そうだけれども…。

神保さんの民主党批評本を買ってみた。2009年07月24日 10時14分55秒

買ってみますた。

まだ全然読んでないのですが、とりあえず民主党に関して尤も関心が高いのは「財源どうするのよ」問題だと思うので、その辺について触れている、「61. 消費税を社会保障目的税とし、五%全額を年金財源に」から一部を引用しておきます。

民主党は二〇〇五年の衆議院選挙で、当時の岡田克也代表が、年金財源として消費税を五%から八%に引き上げることを公約に掲げていた。しかし、その後小沢氏が代表になると民主党はこれを撤回。二〇〇七年の参議院選挙でも、マニフェストで消費税率は五%を維持し全額年金財源に充てると公約している。

だが二〇〇五年当時と比べ、民主党は子ども手当の金額を月額一万六〇〇〇円から二万六〇〇〇円に引き上げているし、他にも財源を必要とする新たなセーフティネット政策を追加している。そのなかで、消費税の増税だけを引っ込めてしまったために、財源問題が表面化することになる。

民主党が小沢代表の下で言い出した、予算の組み替えによる二〇.五兆円の新たな財源の捻出が、場当たり的であるとして今ひとつ信用されない最大の理由がここにある。

つまり、予算の組み替え論は、消費税増税を公約から引っ込めたために足りなくなった財源分を埋め合わせる目的で (より厳しい言い方をすれば、そのギャップをごまかす目的で)、民主党が持ち出してきた辻褄合わせではないかとの疑念を持つ人が、少なからずいるということだ。

民主党は、消費税を増税するには、無駄の削減などを徹底することで、まずは政府に対する国民の信頼を得るのが先決だとの立場をとる。そして、消費税の税収は社会保障以外には使わないことを法律で明文化すると約束している。その上で、当面はそれを年金財源とし、将来的には年金改革で創設する「最低保障年金」や国民皆保険制度の「医療費」などの財源に充てていくという。

「今の政府は無駄があまりにも多いので、増税を持ち出しても理解されることはあり得ない」 (福山哲郎政調会長代理) というのが現時点での民主党の立場だ。政権を取り、徹底的に無駄の削減を行った上で、それでもどうしても政策を実現するための財源が足りなければ、そのときは消費税の引き上げも含め、改めて国民に信を問う、というところか。

あ、念のため断っておきますが、↑に表示されるリンクはアフィです。貧しいおいらにささやかなる施しを…w

まぁ、この辺は個人的には概ね予想通りというか想像通りというか。とりあえず現時点では「増税無しにできそうだったらやれるとこまでやってみるけど、無理だったら増税するか公約のいくつかを諦めて貰うかのどっちかになるよ」ということなのでしょう。いずれ増税になる、という意味では自民党に任せていても多分同じ事なので、結局の所財源の問題を争点にするよりは、その使い道を争点にした方が良さそうな気もします。

最初に挙げたリンク先に概要が概ね書かれていますが、それを見る限りにおいては、全体的には思っていたより悪くなさげです。時間がなかなか取れないですが、追々この本を読んでもう少し検証してみたいと思います。

今年の高校野球千葉県代表、八千代東はとんでもないチームだ。2009年07月27日 22時36分32秒

八千代東の試合は、この決勝戦と、その前の準決勝だけ観てました。いやはや、とんでもないチームです。といっても、目立った特徴のあるチームではないように見える (ハズな) んですが、この辺の情報を頼りに、何が凄いのかを軽く列挙してみました。

  • 大会通算打率たったの .203
  • 大会通算得点 30点中、7回以降に上げた得点は実に半分の 15点
    • 大会 8試合中 5試合にて、 9回に得点を上げている。 9回に上げた得点だけで 7点になる。
    • 大会 8試合中 6試合にて、最終回 (延長の回含む) に得点を上げている。最終回に上げた得点だけで 7点になる。
  • 4番を打つ上條外野手は 8試合で全 9打点。チーム打点は 25 なので、1/3 以上を彼が稼いでいる。
  • 8試合中 3試合が延長戦。延長回数は合計 10回。回数で換算すれば 9試合分戦ったことになる。
  • 全試合、先攻を選び、そして勝っている。

実際、彼等の試合は、観ていて面白いです。良くできた漫画かなんかみたい。リアル山下たろーくんとかそういう世界 (あれ? そんな話じゃなかったっけ? >山下たろーくん)。

この「終盤に強い」という性格のチームは、単に観衆にとって面白いというだけではなく、相手チームにとっては非常に不気味なことなのではないかと思う。特に、1, 2点のリードでは終盤を迎えても絶対に安心できないと思う。高校野球は基本的にクローザーとか居ないしね。

大会 8試合中全試合で先攻を選んだ、というのも面白い。先攻、後攻はどうやらじゃんけんで決めるらしいのだが、じゃんけんで勝っても先攻を選んでいた模様。通常、野球は後攻の方が有利なので、じゃんけんで負けても相手チームが後攻を選んでくれるので、結果全部先攻になった、ということなのだと思う。これはある種の験担ぎなのかも知れないが、もしかしたら絶対にサヨナラ負けはしないという守備への自信の表れなのかも知れない。実際、一つの回で一度に取られた失点は最大でも 3点に止めており (流経大柏戦の 4回裏のみ)、ビッグイニングを許さない守備には安定感を感じる。

打率が低いのも、むしろ不気味さを感じる。なにより、これだけ打率が低いのに、 8試合やって全部勝っているのである。この打率で 8試合もやっていたら、 1, 2試合ぐらいは完封されるようなゲームがあってもおかしくないように思う。逆に言えば、少ないチャンスを確実にものにして得点を上げる能力があるチームである、とも言える。特に、 4番の上條外野手は 9打点を上げており、これは特筆すべきとまでは言えないかも知れないが、チーム打点の 1/3 を超える数字でもあり、 4番としての信頼には十分足りる数字ではあると思う。

そんなわけで、春夏通じて初出場ということもあり、全国的にはあまり注目され無さそうなチームではあるんだが、個人的には甲子園でも何気に面白いことをしでかしそうな気がして、結構楽しみだったりする。期待しとるでぇ。>ヤチヒガナイン