小倉弁護士のブログ2007年09月26日 17時33分38秒

普通にぐぐっても相当上位に来ているのに全然気付かなかった。。。orz

メインマシンがぶっ壊れ中でブクマできないのでメモ替わりにリンク。。。はてぶだと埋もれそうだし、オンラインの rss リーダーはいまいち好きになれないし。

んで、光市母子殺害事件に関しても (やっぱり) いろいろと思うところがおありのようで、以下の記事に続くいくつかの記事に分けて記述されています。面白い。

はてぶ界隈ではしょーもない皮肉と星を飛ばしあっている人がいくらかいらっさるようなのですが、その後の記事で仮説を交えた説明を重ねるうちに、この手の軽々しい反発も鳴りを潜めていってしまいました。どんなことであれ、「言い続ける」ってことが如何に大切なことなのかを思い知らされます。

はてぶにもちょろっと書いたけど、個人的には、「素人は黙って引っ込んでいるべき」という言葉は、程度の問題だと思う。ある物事に対して、素人か職業人かの差というのは、そこで行う発言に対してどれほどの責任が背負わされるかにあるのだと思う。一方で、責任が無いからといって素人の発言すべてに価値が無いのかといえばそうとは限らない、というのは、確かにそういうケースもあるっちゃあるのだけれども、じゃあそういうケースが何故起こりうるのかといえば、それは、その特別なケースを引き起こした素人さんが、その他の素人さんとは一線を画するほどに、その物事に対して興味・関心を持って行動した結果であるに他ならないのではないかと思う。

そうでなければ、「専門家が思わず耳を傾けてしまうような、超一流の素人になってから、そういうことは言ってください」といったような、一見いやみにしか見えなさそうで実は隙を作っているような言葉をわざわざ付け加えたりはしないわけで。

個人的には、ある物事に対して、より現場に近い場所から物を見、あるいはより近しい関係者に積極的に接し、情報を得ようとする人間が言う言葉のほうが、マスコミが垂れ流す情報を享受し、ネット上で増幅する煽りに当てられるだけの人間が言う言葉よりも、説得力があるように思います。光市母子殺害事件に関して言えば、素人職業人を問わず、現場である裁判を直接見に行こうというような、実際に行動を起こしている人間ほど、(実際には論理的で中立であるにもかかわらず) 結果として被告人を擁護する立場に近い位置で発言しているように見えます。

もっとも、結果論としてみるのであれば、個人的には被告の元少年が死刑判決を受けることになったとしても、それは致し方ないことであるとも思います。問題は、そうした結論を最終的に判定するのは弁護士でもマスコミでもなく、裁判官であるという事実から、意図的に目を逸らさせるような扇動的報道が、マスコミによってなされているということではないでしょうか。

司法制度というのは実に良くできたシステムだと、素人ながらに思います。あれは公正さを徹底的に追求したシステムであるといえます。原告側にも被告側にも、直接の心情的利害関係を持たない代理人を立てる権利があり、両者は各自の利益の正当性を主張しあうことに専念できる。そして裁判官もまた、両者の主張を単に秤にかけ、解決のための解を導き出すことに専念できる。

時に弁護士であれ検事であれ、自分ら側の主張の正当性を証明すべく、言論がテクニックに走ることもあります。特に弁護士においては、できるだけ多くの観点を提供すべく、無理なこじつけや、無意味に見える精神鑑定を行ったりもするでしょう。しかし小手先のどんなテクニックを披露しようが、最後に審理を下すのは裁判官です。外野はただただ審理が下るのを見届けるより他ありません。

最高裁判所裁判官国民審査での罷免実績すら持たない国民が、一殺人事件の担当弁護士ばかりに無意味な非難を繰り返していたんでは、そりゃー社会は良くならんでしょう。。。やれることは、いくらでもある。でもその前に、本当に興味・関心を抱いてこの問題に取り組みたいと思うなら、まずは自分で足動かして調べるのが先なんじゃね? という意味では、小倉弁護士の言う「素人は黙って…」という言葉には、残念ながら激しく同意できてしまうのです。