自称「非モテ」の病理と対策 ― 2008年07月30日 01時13分19秒
主にはてな村民用。
端を発してたのがどの辺だったかいまいち覚えてないんだけど。。。
この辺のやりとりが発端だったんだっけかなぁ。これ以降、自称リア充っぽい人が増田でこーすりゃ彼女できるぜ発言書き散らしては、はてブで Dis られまくるという光景が繰り返されていたんだけんども。
ちなみに一応おいらのスタンスを軽く表明しておくと、前者的な「非モテ脱出」を謳う方々のモラリズムには共感できないが、目的はどうあれそこに行動を伴わせることを良しとするバイタリティには大いに見習うべき物があるんじゃないかなぁと言う感じ。モラリズムというのは上であげた後者の記事から引用するならば
ただ、「下手な鉄砲数撃て」「ナンパできない奴は、要は、勇気がないんでしょ?」とかいう奴に、この一言だけは言っておきたい。
言っとくがな、相手は生身の女の子なんだぞ!
とかいう台詞で代弁されるような代物のことで、要するに相手のいることなんだから誠意ぐらいもてっちゅー話。その一方でその誠意だって出会いを通じて相手に示さなきゃ恋のひとつも成就できんわけで、何でもいいからとにかく相手を探せ、箸なり棒なり引っかかるように身なりぐらいはどうにかしろ、ってのはごもっともなアドバイス何じゃねーの? ってあたりで落ち着く話なのにまぁ毎度毎度本当にこの話題ばかりで盛り上がりますよなぁアハハウフフと生暖かく眺めておったわけなのでございますですよ。
ところが、以下の二つの記事のおかげで、おいらの気持ちもちょっとぐらついた。
結論から言うと、少なからず愛すべき存在だと思っていた自称非モテというのは、実際のところ最も侮蔑すべき存在なんじゃないかと思い始めるに至ったと言うこと。
驚愕すべきはブックマークでの反応だ。
前者の記事はオタクコミュに所属する女性が、タイトル通りオタク男性と肉体関係を含む付き合いをしまくっているという話で、「友達はみんな彼氏がいて羨ましい、私はちょっと苦手…」「ごめん、○○さんが2次元の方が好きなのは分かってるけど、私じゃダメかなぁ…?」で堕とします。申し訳ないけれど、失敗したことがない。
だの、この子、普通に彼氏いそうなのにオタクだからいないんだな、彼女を理解出来るのは俺だけ!という心理状態にまで持って行ければ成功
だの、基本的に釣った魚に餌をやらないので長続きはしませんが。毎週セクロス、毎週デートしようとする恋愛至上主義の男はうざい
だの、いや、本音を言えば結構共感できる部分もあるんだがw、書いていることは何気に結構酷いことばかりで、自称非モテ連中がそれまで見せていたモラリズムに照らし合わせるならば、叩かれて当然の内容だと思っていたわけですよ。でも実際には歓迎するコメントで溢れかえっている。ノリでやってるネタだとしてもこの豹変ぶりは非常に気持ち悪い。
後者はモテなくたっていーじゃない、むしろ無我の境地を切り開いて恋愛とかとは関係ないところで意欲と好奇心を持って生きようぜ、というスタンスの人間がその方法論を示すという内容だ。まぁ人生セクロスがすべてじゃないよ、楽しいことは他にいくらでもあるよ、って考え自体は悪くないんだけれども、方法論として書かれている内容はどう見たって明らかにネタだし本気だとしたらちょっと酷い内容だ。でもはてブを覗いてみると割と本気で感心しちゃってるっぽい感じのコメントが結構な数で見受けられる。それどころか無言ブクマでタグに「これはすごい」だの「人生」だの「哲学」だのとつけている人までいる。真似しようとする人も出てくるんじゃないか? はっきり言って有害だ。
後者については念のため付け加えておくが、実際のところ知的・文化的な好奇心と、性欲やそこに由来する劣等感やバイタリティは、意図的に絡ませようとでもしない限り必ずしも直行する物ではない (「意図的に絡ませる」とは、よーするにそれを商売にすると言うこと。恋愛小説の執筆とか、ポルノの制作とか)。もちろん知的活動に自信を抱き、さらにそれによる生活リズムに忙殺されるようになれば、確かに恋愛どころではなくなり、自身の心に占めるその手の劣等感というのがかなり押さえられるのは事実だ。だがそのような状態に至るために、
- もはやわかりきっている自身の (恐らくは) 不細工な顔をまじまじと鏡で見つめて自虐的になる必要性はからっきし無いし、
- 親と縁を切る意味もまるでないし、
- 彼女なんてイランぜーなどと公言する暇があるなら夢中になれる物を見つけられるようにさっさと手なり足なり動かし始めるべきだ。
- 友だちづきあいったって元より友だちなんてさしておらんのやろ?
- オナ禁 1年どころか 1ヶ月でも続くと確かに性欲って衰えるらしいが、その代わり自信も失うことになるぞ。劣等感に基づくそれまでの自信喪失とはまた違った種類のそれだ。それに苛まれないでいられる自信があるって言うんだったらオナ禁なんてまどろっこしい事してないで股にぶら下げてる物をさっさと切り落としてしまえばいい。
- 勉強や読書で気を紛らわせられるなら元よりえろーげになんか手を出してないだろう。
- その上痩せろって、その体型に非モテである理由を求めていた連中を愚弄する気か? 誰でも岡田のおっさんになれると思ったら大間違いだ。まぁおいらは痩せるけどな。
- 酒は、まぁ、どうでもいい。
とにかく非モテ的な劣等感から逃れるために何かに夢中になりたいってのは、それ自体が不純な動機であると言うことをまずは自覚することだ。そんな不純な動機で仙人になれるのは、後に開き直ってしまう亀仙人様ぐらいのもんだ。仙人ってのはその素質のある人間がなるべくしてなる物なんだよ。
しかもそういう人々が、たったひとつのことだけに興味を持って生きているんだと思ったら大間違いだ。
コンピュータにしか興味を抱かない人間が、まともなプログラムをかけるようになると思うか? そんな奴、コンピュータに興味を抱いている人間にしか理解できないソフトウェアしか作れねーよ。リアルで何かの不便に困っている人がいるのを見つけて、それをどうにか手助けできないかと考えて初めて人の役に立つソフトウェアってのはできるんじゃねーか。
アニメにしか興味ない奴はアニメ好きじゃなきゃ受けない作品しか作れないが、リアルで心を揺さぶられた経験を持つ人間なら、その揺さぶりのほんの一部でも作品を通じて表現しようとするものなんじゃねーのか?
著作権について語られるときだってそうだ。すべての作品は究極的には何かの二次著作なんだとかって、したり顔で書く奴がいるがな。一般論振りかざして何が楽しい? 他人の物まねみたいなつまんねぇ作品ばかりが溢れかえってる J-POP ばかり聴いてるからそんな風に思うんじゃねぇのか? ジャンルなんて言葉に縛られて専門学校で勉強した音楽理論とやらでいい曲書いてる気でいるおまえら。独特の優しい、誰の脳みそにもこびりつく旋律を書いたモーツァルトは、スイングのリズムを発明したグレン・ミラーは、マンボなんてクレイジーな世界を作り出したペレス・プラードは、なぜそうやって独自の世界を作り出せたと思う? 単に一途だったからじゃねぇ。リアルで心を奮わせる何かがなきゃ、そんなもんを作り出せるような化学変化は起こせねぇんだよ。菅野よう子さんを見ろ、彼女だってそのカテゴライズもよく分からないし
とか、堂々と公言しちゃってるじゃないか!!w つか、あんなに作り手の「色」がはっきりしているのに (そのくせバリエーションは豊富だったりするのに)、実際出してるアルバムは「Song to fly」以外全部何かのサントラじゃないか。イマジネーションを外部に依存しているにもかかわらず、それらの音楽のすべてに作り手の「色」が練り込まれている。曲を聴けば、それが初めて聴いた曲でも、好きな人なら「あ、もしかしてこれ、菅野センセー?」って気づいてしまう。個性とかオリジナリティとかって、本来そういうものなんじゃないのか?
いーかげん話がそれまくってきたので戻すけど、要は話し手の立ち位置が違うだけでモラリズムの論理性から掌を返したり、方法の理論も検証せずにそこにすがろうとして見せたりというのでは、結局のところ自称「非モテ」というのはコンプレックスに端を発した内向的劣等感に基づく精神性であり、オタクやロリコンと同様、完治すべき「心の病」であると結論づけざるを得ない。そうした精神性は社会から疎外されて当然だ。悔しかったら下らん屁理屈捏ねて反論することを考える前に、現状を打破するために必要な行動の To Do list でも書いてみやがれってんだ。
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