レッテルに対する差別と、特定の精神性に対する侮蔑とを区別しよう。そして再び「オタク」論2008年07月31日 08時09分11秒

先日のブログ記事に対して、はてブでいくらかのコメントを頂きました。多くは冷静かつ聡明なご指摘でした。思えば先日の記事は冷静さを非常に欠いた、感情的というか感傷的というかそんな感じのものでした。めちゃめちゃ反省至極です。

で、そんな中で、しかし一つだけ、ある程度予想はしていたのですがやっぱり気になるコメントを頂きました。

lakehill , 「オタクやロリコンと同様、完治すべき「心の病」であると結論づけざるを得ない」>これはひどい。オタクやロリコンは病気ではなく趣味趣向の一種。CommentsAdd Star

これはもう完全においらの言葉の使い方が悪いが故に生じた誤解で、これについては弁面が必要だと感じました。見苦しい言い訳ですが書かせていただきたいと思います。

「心の病」は言葉の綾

心の病」という言葉についてまず説明する必要があると思います。一般的には、この言葉はうつ病などの精神疾患を指して使われています。そして、おいらはその意味でこの言葉を使うことは、ニュアンスに誤解を生じさせるため、非常に不適切なのではないかと感じています。

つまり、「心の病」という言葉は、非常にファンタジックな印象を持たせてしまう表現だと思うのです。うつ病の知識のない小学生に対し、不登校になってしまった児童について教師が説明する言葉として、

  • ○○くんは「心の病」にかかってしまったので、しばらくの間、学校をお休みすることになりました。

と言うのと、

  • ○○くんは脳と神経にとても辛い病気にかかってしまったので、学校をお休みして治療に専念することになりました。

と言うのと、どちらが適切か、という話です。あれは立派な「体の病気」であり、精神論や民間療法で容易に矯正できる・治せるものではありませんし、逆に医者にかかって医学的に適切なプロセスでじっくり治療を続ければ、確実に (ある程度は) 治癒できる病気なのだ、ということを啓蒙するに当たって、「心の病気」という表現は、極力避けるべきなのではないかと常々思っておりました。

おいらにとって「心の病」という言葉は、ファンタジックな印象が適切である文脈に使われるべきものだという思いがあるため、実際には病気でも何でもない、人の精神性を揶揄する言葉の類、すなわち「オタク」、「ロリコン」、「非モテ」、さらに付け加えれば「ヤンキー」、「DQN」、「ゲーム脳」などといった言葉に対してこそふさわしいのでは、ということで勢いで使ってしまいましたが、説明不足であった上にいささか乱暴な表現でした。

「オタク」も「ロリコン」も、趣味や嗜好を指す言葉ではないよ

まず説明しやすい「ロリコン」という言葉についてですが、ロリコンとは幼女・少女趣味のことではありません。ロリータ・コンプレックスというからには、その情動の背景に何らかのトラウマや嫌悪感が存在することが前提となります。

ロリコンという言葉が使われる文脈に、子どもに対する性暴力・虐待というイメージが見え隠れすることが多いのはそれが理由です。ていうか、そういう文脈で使われてこそ正しい言葉です。そうでないものはあくまで「ロリータ趣味」と書かれるべきです。もっとも、コンプレックスなくして幼女・少女に性的に興奮するようなことがあり得るのかどうかは別の議論ですが、社会問題として捉えた場合には少女の定義としての法における年齢設定に無理があるとかなんとかで変なところに理論的・定量的であろうとするが故にかえってややこしい話になっていたりはしています。閑話休題。

もっと慎重に説明すべきは「オタク」という言葉でしょう。おいらがこの言葉を使う場合、岡田斗司夫的なポジティブな使われ方に端を発する文化カテゴリの特定性を、敢えて排除していることが多いです。従って、おいら的には「オタク趣味」という言葉は有り得ないことになっています

世の中にはアニメやマンガ、ゲームのオタクにのみならず、様々なオタクが存在するのです。鉄道やカメラ、パソコンといった文化系な物から、アイドルや映画などのマスに絡んでくるもの、果ては野球やサッカー、バレーボールといったスポーツに至るまで、あらゆる分野に「オタク」は少なからず存在するのです。

元来オタクが「差別」の対象となるに至った背景には、元よりこの言葉が侮蔑的なニュアンスとして使われ始めたことに由来します。元はネクラ・ネアカという区別だったのですが、オタクはネクラから派生し、自分の趣味にしか興味を持てない人々を総称するレッテルとして機能しました。おれらが厨房ぐらいのころはそのニュアンスがまだ支配的で、多くのその気のある人々が、「俺はオタクじゃねえ、○○マニアだ」と、今の若い子には (いや、当時の若い子たちでさえ) 理解できない釈明を口にしていたのです。

その後、一時期「オタク=趣味人」という解釈でそれを肯定的に賞揚する言論がマスメディアを中心に一部で普及したことがありましたが、それでも若い人たちの間で「オタク差別」が根強く蔓延り続けていたその根底に、「オタク」とそれ以外との間でその精神性に決定的な差異があったことに原因は求められるべきです。結局のところ、個別の経験における、精神性に基づく侮蔑が、レッテルとしての「オタク」という言葉を通して差別へと転化していた、というのがその実態なのではないでしょうか。

であれば本当はラベルでしかない「オタク」という「便利な言葉」自体、使用を控えるよう啓蒙するのが実は最も正しいのではないかという思いもあるのですが、これだけ普及し定着してしまった言葉を今更「使うな」というのも戦略としては無理があると思います。ただ、個人的に今最も心配しているのは、この言葉がアニメ・マンガやゲームなどのいわゆる「2次元カルチャー」の代名詞として使われているという点です。

元々この言葉が特定の精神性を指す物として使われている限りにおいてはあまり心配する必要のなかった、特定のカルチャーに対する弾圧が、「オタク」という用語の意味の変遷によって強まる可能性が強くなってきました。「オタク道」などと称し、「オタク」であることに矜持を持つ人が増えてきていますが、その一方で「オタク」に対する差別意識が薄らいできたということは全然無さそうですし、今後もそれは有り得ないでしょう。

もしも今後も、「オタク=アキバ系」のようなニュアンスでこの言葉を使い続けるのであれば、オタク差別がいずれ二次元カルチャーの衰退を促すこととなるでしょう。否、既にそうなりつつあるとも言えるのではないでしょうか。侮蔑されるべきはあくまでその精神性なのであり、これに依ってある特定のカルチャーそのものが犠牲になるようなことがあってはならないはずです。

差別と侮蔑を区別しよう。侮蔑するならレッテルの使用は控えよう。

以下は自戒も込めて。

で、拙者がいいたいのは、このおばさんの「ブラクがいてよかったわ!!」というセリフの「ブラク」の部分を、「韓国・朝鮮人」とか「ニート」とか「おたく」とか「非モテ」とかに入れ替えたような意見が、どうも最近*6Webで多いようで悩んでいるということなのである。

この記事で語られている内容については、基本的には賛同するのですが、その一方で、「オタクや非モテに対するそれは、差別というより侮蔑なのではないか」という疑念を抱きました。どちらも似たようなものだと捉えられがちなのですが、侮蔑が個別案件に基づくものであるならば、差別に比べて著しく論理性が高い可能性はあるのです。

しかし、例え個別案件について語っているつもりなのだとしても、そこに「オタク」や「非モテ」といったレッテルを用い、そのレッテルに括られる集合全体を攻撃するような内容で語られてしまう限り、それはやはり差別として捉えられるべきなのでしょう。その差別の結果、思考は省略され、議論は煮詰まらず、言論は地に落ち、民度は下がるのです。

おいらは感情としての差別はある程度致し方ない物なのだとは思っているのですが、その一方で、自身の感情を解体して思考できない人間・社会は成長しないだろうな、という思いもあります。30超えたおいらですが、あー…、まだまだ成長したいです (←なんだこの間はw)。なので、今後はこの手のレッテルの使用は、なるべく控えていきたい。特に、真剣に物事を考えなければならない局面においてはね。

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