残念だったね。2006年05月29日 23時33分40秒

5/28 にラフォーレにて行われた Sound Horizon のライブを観に行ってきましたよ。

感想は、一言で言い表すならば、まぁ、表題の通り。いや、おもしろかったよ。面白かったけど、今後彼 (ら?) がああいう形でのステージを繰り返すのであれば、まぁ今回の一回だけ観ればおいらは十分かな、という感じ。次あったらまた観に行きたい、と思わせるものではなかった。

歌い手さんについて。

Aramari たんを失ったのは大きな損失であったと思う。

今回のライブで参加した歌い手さんは、じまんぐとはるかたんを除けば、YUUKI、KAORI、REMI の 3 人である (登場順に並べてみた)。3 人とも、歌は非常にうまかったと思う。また、それぞれに特性のある歌い手であったとも思う。YUUKI は声量が多くて力強く、また立ち振る舞いも激しいロック・ポップス向きの歌手だ。KAORI は主にバックコーラスを担当することが多かったようだが、丁寧に歌う人だなという印象を受けた。安定感は十分だと思う。REMI は恐らく声楽出身の方ではないかと御見受けする。非常に澄んだ声で、音程の幅も広く、圧巻して「上手い」と思わされた。love solfege で歌っているりんなさんかとちょっとだけ思った。あとでりんなさんの歌ってる曲聴きなおしてみたらじぇんじぇんちがってたけど。

んで、それだけ歌が上手い人が揃っていてそれぞれに個性があるなら問題ないじゃん、とか思われそうなんだけれども、そうではないのだ。なぜなら、彼女たちが紡ぐ歌声によって織り成されるサウンドが、Sound Horizon として期待されていた音楽なのかといわれると、それは違うんじゃないかと言う気がどうしてもしてしまうからだ。

音楽を構成する要素はメロディーとリズムとハーモニーだなどとよく言われるが、実際に一つのトラックを、あるいはステージを作り出す上では、様々な要素がそれぞれに融合して重要だったりする。例えばそれは演奏における技巧であり、迫力であり、魂の揺さぶりであり、あるいは歌声であり、ダンスなどの立ち振る舞いであり、更にはビジュアル的に訴えるいくつかの演出であり、照明であり、それから音響であったりミキシングであったりマスタリングであったり、MC であったり寒いギャグであったり、隠し持っているカンペであったりするわけだ。

でも、例えば一つの楽団を形成する上で、あるいは一つのナンバー (もしくはアルバム、ステージ) を構築する上で、もっとも大切なものは、歌の上手さでも曲の出来のよさでも演奏のレベルの高さでもなくて、それらが一体どういう色を持っているのか、そしてその色が特別な色なのか、ということだと思うのだ。言葉にして言い表すならば、それは「個性」 (personality) と「独自性」 (originality) である。

そういった枠組みで捉えるならば、Sound Horizon の楽曲が持つ独自性はあくまで「物語」であり、さまざまな曲調の中で歌い手たちが演ずる「キャラクター」において、その個性は放たれていた。

言うならば、Aramari たんやじまんぐやはるかたんなんかはそれが出来る人たちであり、YUUKI さんや KAORI さん、REMI さんなんかはそれが出来ない人たちなのではないかと思うのである。だから単純に歌唱力だけを比較し評価するならば、今回のステージに立った歌姫たちは Aramari たんに引けを取らないどころかむしろそれ以上の実力のある方々なのだろうと思うのだが、Sound Horizon として求められるべき魅力を、彼女たちが持っているのかと問われると、今回のステージを観た限りでは激しく疑問なのである。

ていうかね。Chronicle や Elysion のナンバーを演奏するのはいいんだけどさ、Aramari たんによる語りの部分をばっさり切り落とした上、やれロックだのジャズだのにリアレンジして面白おかしく演奏されたところで所詮はカラオケなのですよ。夜のヒッパレかっちゅーの。本人は歌えないルールです、ってか? そんなんで中途半端に盛り上げてみたところで、虚しさが広がるばかりじゃないですか。。。(T-T)

演出について。

じまんぐは基本的にライブをやりたい人なのだと思う。もっと的を絞って言うならば、とにかく盛り上げたいと言うだけの人なのだと思う。

だからこそ、「作品を創りたい」人であるはずの Revo やんが彼の手綱をしっかり握っていなければ、かつての格調高い作品を創出することは困難なハズなのである。んが、今回のステージでは敢えて手綱を緩め、彼の独壇場とさせることでステージを盛り上げることに成功した。

前回なかの ZERO で行われたステージは、むしろ演劇に近いものであったと思う。そういう演出手法が採用された一番の理由は、そのステージ自体が、既に発売されていたアルバム CD 「Elysion ~楽園幻想物語組曲~」にて描かれていた物語を、そのままステージバージョンとして描こうとしていたものだったからだ。ただ単に曲数集めて演奏しよう、というものではなくて、あくまで一つの物語として、ステージを完結させていた、すなわちステージ自体が一つの作品になっていたわけなんである。

だからこそ、その映像が納められた DVD も一つの作品として価値があると思ったし、もしまた次にステージがあるならば、今度はどんな物語が、どのような演出で描かれるのか、非常に楽しみであり、是非また観に行きたい、と思わせるものであったのだ。Sound Horizon の面白みは、まさにそこにあるのである。

しかし先日ラフォーレで行われたステージはあくまでライブである。それも、是といって物語のようなものを想定したわけでもなく、新曲はいくつかあったが、全体としてはとにかく曲数を集めてみましたという感じの、何の変哲もないライブだったのである。

集まった観客は、確かにそれなりに盛り上がっていたと思うし、それなりに楽しんだと思う。おいらもそれなりに楽しかったよ。でも、こういうライブは一度見ればもう十分なんである。DVD とか出ても多分買わないのである。それどころか、この手のライブを見たいのであれば、もはや Sound Horizon である必要さえないのである。もっとギターが上手くて途中で躓いたりしない演奏してくれるバンドのライブでいいのである。

なによりかにより、今後のことを考えるのであれば、今回のような、演出的にじまんぐにおんぶにだっこという状態ではどうかと思う。

それからもうひとつ。

Revo は歌わんでいい。あんまり上手くないんだから。

観客について。

気になったことをいくつか箇条書きにしてみる。

  • 「領主さまぁ~♪」という黄色い声援がやたらと目立った。Revo 人気がこんなに高まっているとは知らなんだ。。。
  • Elysion だけでなく Chronicle 2nd も良く知っていらっさる方々がほとんどだった模様。つまりほとんどが古くからのファンなんだと思う。
  • でもその割には、「恋人を射ち堕とした日」が演奏されたときに、「あなた~を~射ち~堕~とす~♪」の部分で片手を上から前へ振り下ろすリアクションを取って見せた人は (おいら以外) 見当たらんかったなぁ。なかの ZERO のステージを観に来ていた人たちは今回はあんまりいらっさらなかったのかな?
  • それから、観客側から冗談 (やじ?) が飛ぶシーンが多かった中で、Aramari たんについて触れる人がまったくいらっさらなかったのも印象的。それだけみんな傷心だった (だから敢えて触れないようにしていた) のか、それとも Aramari ファンは今回まったく会場に足を運ばなかったのか。
  • 「ライブを観に来た客」としては、かなりおとなしかったと思う。スタンディングライブなんて、本気で盛り上がったらふつーはその場に立ってなんていられないものなんだがな。
  • 会場内での撮影は禁じられていたが、ドリンクサービスのカウンターをケータイのカメラで撮影していた人はやたらと多かった。みんなきっとブログのネタにするんだろーなぁ (とか思ってテクノラティで検索かけたらやっぱりってな感じですわw)。

その他について。

  • ブラッディーステラを飲みますた。よーするにブラッディーマリー、つまりウォッカをトマトジュースで割った飲み物だった、と思う。ちなみにレヴォコーラはふつーに coke 、アビスビールはヱビスですらなくてアサヒの本生、だったことは確認してまふ。それ以外は知らん (よーするにぽけふぇす商法ってやつだ罠w)。
  • 「じまんぐの世界」を購入。恐くてまだ聴いてませんw。

。。。そんなところかにゃ。

結構キツいことばっかり書いてしまったわけですが、正直、今後 Revo が、Sound Horizon が目指してゆこうとしているものが何なのかがよくわからないので、今回のライブを観ただけでは何とも評価しづらい、と言うのもあったりします。なんせ、「第2期」だとか言っておきながら、「第1期」のナンバーがほとんどだったわけで、これが刷新されてみないことには、「第2期」の真の姿ってのは見えてこないんではないかと思う。ていうか、思いたい。

なので、とりあえずは、今後に期待、ということにしておいて、当分は静観、というのが正しい距離の保ち方なのではないかと思う。アルバムが出たらとりあえずあきばお~辺りで視聴はしてみようかな、程度。そんな感じかなぁ。

コメント

_ @DRK ― 2006/05/30 09:47:16

Sound Horizonを聴いた時の違和感が分かった。
Aramariさんは、あくまでキャラであって歌手ではなかった。
もっと言えば、Sound Horizonの楽曲は物語であって曲じゃなかった。
斯様なスタイルの音楽では、歌手としての自分ではなくあくまで物語の登場人物としていなければならないのだけど、他の人(というか普通の人)にはそれが難しいってこっちゃ。

ヴォーカリスト依存体質が払拭できないのは、Sound Horizonも同じだったか。。。

_ T.MURACHI ― 2006/05/30 16:08:10

キャラだった、と言うよりは、キャラクターを「演じていた」ということだ罠。
でもこれは、強いて言えば Sound Horizon に関わるボーカルに限った話ではないはずだよ。実力のある歌手・演奏家は古くから同時に「演ずる」ことを行っている。別にオペラだとかミュージカルだとか言う形に限らず、単一の曲の中であってもね。例えば Angela の Atsuko さんや、坂本真綾、もっとメジャーどころだと、椎名林檎や Judy and Marry の YUKI、Dreams Come True の吉田美和、サザンの桑田佳祐、爆風のサンプラザ中野などなど、それが出来ている歌手と言うのは結構いらっさる。中野さんなんて「柏 My Love」で乙女心まで歌っているしね。
もちろん、すべての音楽において、それが一番重要なのかといわれると、必ずしもそういうわけではないけれど、少なくともそれが出来ることによって、表現の幅は大いに膨らむのよね。

Aramari たんやじまんぐが歌手じゃないのかというと、そんなことは決してないんだけれども、ただ、ここしばらくの音楽シーンから見れば相当な異端であることは確かだと思う。でも、そもそも彼らはそういうものを目指していたのだと、おいらは思っていたのだがね。

_ @DRK ― 2006/05/30 22:37:09

Sound Horizon(ひいてはファンの皆様)が求めているのはあくまでSound Horizonの音であるというこっちゃね。
歌う人をアーティストと見るかヴォーカリストと見るか。
このケースでは、歌い手はヴォーカリストであるべきだが、新規の人はそれに合わなかったんじゃないかね、聴いた事ないが。

”音楽の方向性の違い”なんて使い古された文句である意味説明できなくもないな。

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