バックラッシュ現象とな。2006年04月03日 10時58分12秒

面白い。出版されたら買って読んでみようかしら。

いくつか部分部分をピックアップしてみる。

■例えば、「第三の道」的な自立支援が一般的になった今日、自立努力や参加意欲を示さないまま行政的に支援されるように見える人々に対し、2ちゃんねるなどの場で「テメエが弱者かよ」と噴き上がるケースが目立ちます。そういう大衆的な心性が、「第三の道」を通り越して、ネオリベ的な再配分否定図式を翼賛しています。噴き上がる連中には弱者が多いですから、自分の首を絞めていることになります。実に皮肉な事態です。

キーワード: ニート、引きこもり、障害者 (自立支援法)、在日

↑これらの中で「これは違うんじゃないの?」と思ってしまうものがあるんだとすれば、それはまさに背景としての「不安」に飲み込まれちゃっている証なんではないかと思われ。

■これは、日本的な現象でもあります。というのは、各論で紹介する通り、亜インテリのポジションは、必ずしもインテリにとって逆機能的に働くとは限らないからです。逆に言えば、1960年代までの日本では確かにマンハイム的な[知識人/大衆」図式が機能するように見えましたが、それは欧州で機能してきたのとは文脈が違うということです。簡単に言えば、日本では欧州にあるような意味での知識人へのリスペクトが、ない。

ないねー。

■こうしたコンスタント・ファクターである「代替的地位獲得競争」に、スペシャル・ファクターである今日的な「流動性不安」が絡むことで、ジェンダーフリーのような内政問題から、対北朝鮮や対中国の外交問題まで含めて、リベラルなものへのバックラッシュが起こっている──。それが私の分析です。そこではジェンダー・フリー論者も「冷酷なハト」も共に、叩く側から「恵まれた連中」に見えているというのがポイントです。

悲しいことですな。僻みを原動力に生き、人を論破すること自体が目的になっちゃっている。日テレの選挙報道とか見てると特にそう思っちゃうよ。

■その象徴的な帰結が、二〇〇五年の秋の総選挙結果に見られました。これについては公式サイト「ミヤダイ・ドットコム」をはじめ、多くの場所でコメントしています。要は、小泉自民党の「不安のポピュリズム」による「都市型保守」の動員に対して、民主党は「都市型リベラル」の有効な動員戦略を示せなかったということです。都市無党派層を取り合う「イメージ選挙」の戦いに、民主党は完敗したということになりますね。
■理由は二つ。第一に、今日的選挙が、都市無党派層を「都市型保守」と「都市型リベラル」とで引き合うイメージ選挙であることを、前代表を含めて民主党執行部が理解していなかったことがあります。第二に、政治心理学の立場から言うと、豊かな社会では、人々が何を不安に思うかは共通でありやすいのに対し、何を幸せに思うかが多様に分岐しやすく、「不安のポピュリズム」のコストパフォーマンスが高くなるということです。

まぁ、あの選挙、とりわけ民主党について言うのであれば、本来民主党に期待し、政権交代を心待ちにしていた層までもが、今回に限っては小泉に任せておいたほうが改革も手っ取り早く進むんじゃねーのとか思っちゃったっぽいなーんて事情も無きにしも非ずとか思っちゃったりもするわけですが。パフォーマンス重視を政策面にまで出しちゃったが為の政策選択の失敗が、そのまんま選挙活動においても虚を見透かされちゃったというか。だからなおさら小泉流「一見明快な何でも改革論」に、簡単にからめ取られちゃうような人たちはまぁもともと小泉ファンが多かったかなという気もするけど、今回限りで打算的に絡め取られてみようと考えちゃった人も少なくはないんではないかなぁと。

■いわば、多様性を許容する、民度の高い「動機づけの手当て」ではなく、多様性を許容しない、民度の低い「動機づけの手当て」になっています。このオブセッシブ(強迫的)な尻叩きが、おなじみの日本的な腐臭を漂わせているわけです。そうした日本的な自立支援や参加支援に対し、「そうした方向での自立や、そうしたものへの参加はイヤだ」というタイプの退却が生じていて、それが昨今「ニート」と呼ばれているわけです。
■元々「ニート」は「動機づけの支援」(自立支援や参加支援)をしても乗って来ない若者を指す英国の言葉です。乗って来ない理由は階級やエスニシティなどに基づく「社会的排除」だと考えられています。アファーマティブアクション論者(動機つけの支援!)ニコラ・サルコジ内相の強権的発言で激化したフランスの移民暴動も同じ図式で説明されています。欧州では、「ニート」概念が「社会的排除」概念とセットなんですね。

海外では「動機付けの支援」に乗ってこない「ニート」を、日本では定義を摩り替えた上で「動機付けの支援」によって救い上げようとしている、と。う~んむwww

そっから後ろの議論も読み進めると実に面白いんだけど、頭の悪いおいらにはコメントのつけようもないのでここではパスっす (^_^;;

Google AdSence 3月成績2006年04月06日 23時55分53秒

3119pv、2 クリック。収益額は USD 1.06 也。

前月に比べて pv は倍近くになったのに、クリック数はむしろ減っているという罠。。。つか、上の画像を見てお分かりの通り、実質 pv 稼いでくれているのはこの記事だけだったりするわけですが。。。やっぱりタイムリーなネタは食いつきいいですなぁ。なんだかいくつかのブログでリンク貼って言及してくれていたり、はてブでコメントされまくったりしていたみたいですが。。。つか、野次馬していくなら広告ぐらい見てけっwwww

さて。あんまりこのまま稼げずじまいでもてあましてしまうのももったいない気もするので、そろそろ何か手を打ちますかな。そもそも、うちのブログは時事ネタと IT ネタが多いんだけど、どっちもアフィで稼げるようなネタじゃないんだよねw。まぁ、なすんとこみたいにラーメンネタとかで攻めてみるって手もあるんだけど、脱サラしたおかげで今まで以上に外でラーメン食う機会も減ってしまったし、移動費・食費に見合うだけのリターンも見込めるとも思えんから、ここはやっぱり音楽関係で攻めるのが妥当なんかなぁ。でも音楽関係やるんだったらやっぱり PodCast やりたいよなぁ。。。ブログ引っ越そうかなぁwwwwwww

自転車マナー強化へ2006年04月07日 08時10分34秒

最近ブログ始めた@DRKんとこの記事経由。

警察庁は6日、今後5年間に歩行中や自転車乗車中の交通事故死者数をそれぞれ2割減らすとともに、70歳以上の高齢運転者の死亡事故抑止を重点目標に据えた「交通安全対策推進プログラム」を策定した。近く全国の警察本部に通達で指示する。自転車の交通違反の取り締まり強化が盛り込まれ、これまで警察が違反を見つけても注意や指導で止めるケースが大半だったが、悪質な酒酔い運転や信号無視には、刑事処分の対象となる交通切符(赤切符)を積極的に適用することになる。

むぅ。もしもおいらが高校生のときにこれが導入されていたら、速攻で赤切符切られていたかもな。あそこの急な下り坂とか、自転車降りずにそのまま突っ込んでいってたからなぁ。犬の散歩中の地元のおっさんにラリアット喰らわされて尋問されたこともあったなぁ(  ̄- ̄)←遠い目。

まぁ、実際事故が多発しているわけで、取締りの強化は致し方ないところなんだと思うのですが、@DRKも書いている通り、免許制ではないことによる弊害とか、お子様に対する対処とか、気を使うべきことは結構ありそうな悪寒。

んで、私見なのですが。。。

少年法については、まぁふつーにその枠組みの中で取り締まればいいんではないかと思われ。このケースでは前科をつけられないとか、氏名公開できないとかいった辺りは、むしろ好都合なんじゃないかなと。未成年者相手に赤切符切ったら、自転車に貼られてあるはずの登録番号 (盗難防止目的で導入されたアレやね) から住所と連絡先を割り出して (これがなかったら盗難容疑で任意同行、場合によっては現行犯逮捕も致し方なかんべ)、保護者へ通達、その後、違反が確定すれば補導、家庭裁判または簡易裁判、てな流れかな。

免許制は不要。これまで通り登録制でいいと思う。免許停止処分と同じ事をしたいのであれば、自転車を没収し、没収期間中は再登録ができないようにしてしまえばいい。偽装登録については別途取り締まるべき問題。つか、自転車購入時に身分証明書を求めるようにすればいいわけだが。

あとは何処まで取り締まるべきかって問題になるわけだけれども。。。個人的には自警団で積極的に取締りを、という流れは勘弁して欲しかったりもする。いやね、この制度を悪用した幼女虐待がまたうにゃ玉とか西の地域とかで起こりそうな悪寒が。。。

ホワイトバンド賛同者はもっと話題にするべきだ。2006年04月10日 10時08分18秒

今でも多くのブログで、ホワイトバンドへの賛同を示すデザインが採用されているが、その割には、こうした非常に喜ばしいはずのニュースがブログ界隈ではちっとも話題にされていないのは何故だろう? (当記事執筆時点での魚拓)

所詮、ファッション化された慈善活動キャンペーンの意思などというものは、定着することなどないということなのだろうか? 賛同している方々は、いったいどのような興味を持って賛同を示されたのだろうか? 非常に悲しい事実である。

ぎぃ2006年04月11日 17時48分28秒

揺れるー

素人が居丈高にセキュリティーを語る2006年04月12日 00時59分02秒

ことの詳細はこの辺参照。CSRF 対策やる以上、IE の CSSXSS 脆弱性を考慮するべきなんじゃねーの? という議論がこの辺のサイトを中心に沸きあがっていたわけだわな。まぁ、この辺のスレッドなんかを辿ってみたりすると分かるとおり、ワンタイムトークンを使用することが CSSXSS 脆弱性による脅威を回避することになるという理由が説明できていなかったりして、微妙に香ばしかったりするわけなのであるが。

個人的にはこの件については、大岩氏によるこの辺の記事の通り、Microsoft が早急にこのバグを修正すべきなんであって、Web 開発者がどうにかする問題ではないと思っているし、実際に MS に問い合わせている hoshikuzu star_dust さまはヱラい!と思うわけですよ。

んで、高木さまの今回の記事なのですが、出だしで異様なほどご丁寧な GUI 設計に関する議論から始まっている (しかも図付きでw) ので、いったいなんのつもりだ? とか思いながら読んでいたわけですが、「ワンタイムトークン方式って何?」辺りまで読み進んだところでその理由が明快に分かりましたよ。なるほど高木さんはそういうレベルの人たち相手に分かるように説明してあげないといけないと思ってその記事を書いていらっさるわけですね。お忙しい中、本当に本当にご愁傷様です (T-T)/

。。。あのさぁ。つくづく思うんだけどさぁ。セキュリティーに関する議論に素人が首を突っ込むな、とまでは言わんからさぁ、せめて足手まといになるようなことだけは避けてくれまいか? とか思うわけですよ。確かに、いろんな物事に対して疑いを持つというのは、大切なことですよ。でもね。モノを疑うにも、優先順位というものがあるのですよ。

例えば、プログラムを書いていて、すぐには原因を理解できないバグに遭遇したときに、その原因をすぐに OS や開発環境に求めるのは現実的ではありません。たいていの場合、バグの原因は自分や、共同開発者が書いたコードにあるものです。まず疑うべきは手元のコードであるべきであり、設計上でも理論上でも API の仕様においても間違った書き方をしていないというのであれば、その結果浮き彫りになった予測される OS などのバグの存在を立証するコードを別途書いてみる、という手はずで進めるべきなのです。

今回の一件の場合、情報セキュリティー研究の権威が (個人のブログ記事とはいえ) 書いていることを取り上げて、その中の「なんとなく危なっかしそうな気がする箇所」に異論を唱え、「本当に正しい対策はこうなんだ!」という妄信の元に記事を執筆してみたものの、あっちゃこっちゃから逆に突っ込みのコメントを寄せられ、それでも考えを改められずに意固地になっている、というパターンなワケですが。だから異論を唱えてみる前に、何で自分はそれが危なっかしいと思ってしまうのかもう一度考え直してみたらどうなのかと。

確かに、IE の脆弱性を回避する方法について考えてみるというのは、場合によってはまったく無益ではないのかもしれないけど*1、セッション ID が hidden フィールドに書き込まれることに対する危険性の証明ができていないのに、わざわざ複雑でその分メンテナンス性が低下する実装方法を推奨するのは、問題の切り分けを余計に難しくする分むしろ有害だと断ぜられるべきです。

*1 : おいらの個人的見解としてはまったく以って無益だと思っているけどね。「フォーム画面を表示するリクエストを POST メソッドでしか受け付けないようにすればいい」みたいに書いてあるけど、IE の脆弱性の影響範囲を知るのはあくまで IE を記述するソースコードだけで、それがプロプライエタリなものである以上、ユーザーであるおれらに確証を得る手立てはないのだから。

よい子のための hidden 講座2006年04月12日 09時05分49秒

hiddenって、何?

(X)HTML におけるフォーム要素の一種です。ブラウザ上には表示させずに、ページに任意の値を埋め込むことができます。例えば以下のように使います。

<form action="diary.cgi" method="post">
  タイトル:
  <input type="text" name="subject" size="40"><br>
  日付:
  <input type="text" name="date-y" value="2000" size="8" maxlength="4">年
  <input type="text" name="date-m" value="4" size="4" maxlength="2">月
  <input type="text" name="date-d" value="12" size="4" maxlength="2">日<br>
  本文:<br>
  <textarea cols="60" rows="10" wrap="soft"></textarea><br>
  
  <input type="hidden" name="real-date" value="1144802196">
  <input type="hidden" name="session"
  value="89f016e7e6e59426e68c0eea9bc353f9">
  
  <input type="submit" value="書き込む">
</form>

表示上では以下のように表示されますが、

タイトル:
日付:
本文:

実際には、こうして表示される項目に加えて、以下の名前と値の組み合わせが、このページの中に埋め込まれているわけです。

名前意味
real-date 1144802196 このフォームを表示するときのサーバーの時刻を表す値。日本時間で 2006/4/12 09:36:36
session 89f016e7e6e59426e68c0eea9bc353f9 セッション ID。通常は予測困難な値にするだろう、っちゅーことで、このサンプルでは適当な文字列を MD5 してみた。

どんなときに使うもの?

ユーザーが CGI に対して送信しなければいけない値のうち、ユーザー自身に手入力させたくない値で、なおかつ表示する必要のない値を、あらかじめフォームに含めておきたいときに使います。先ほどの例の場合、表示に使われる日記の日付はユーザーが自由に設定できるよう、入力欄を設けていますが、実際にその日記を書き始めた日時 (これは CGI プログラムが記事を整理したり、日記を書くのにかかった時間を把握する必要がある場合などに使う値という想定です) はユーザーに書き換えられても嬉しくないし (困る、というほどのものではない)、わざわざ表示するような情報でもないので、hidden として埋め込んでいます。

使ってはいけない場面って?

hidden は (X)HTML のフォームの一部に過ぎません。ブラウザ上では表示されませんが、ソースを閲覧することは容易です。また、フォームはユーザーが手元で自作することもできるため、意図しない値に書き換えられる可能性が十分にあります。

1. ユーザーに見られたくない値

例えば、hidden フィールドにパスワードを入れておき、入力されたパスワードと、hidden の値を比較して認証を行う、という使い方は NG です。

<form action="autholi.cgi" method="post">
  パスワード:
  <input type="password" name="subject" size="40"><br>
  
  <input type="hidden" name="pwd" value="oppaidaisuki">
  
  <input type="submit" value="部屋に入る">
</form>

「ソースを表示」でパスワードを確認。誰でも入れる認証ページ。これぞ開かれたインターネット。すばらしい。

信じられないかもしれないけど、昔はこーいう間抜けなインターネット、意外と多かったのよw。

2. 書き換えられると非常に困る値

ショッピングサイトとかで安易に hidden 使いまくっちゃうと、ユーザーにちゃっかり決算を安く見積もられちゃうかもしれません。

<table frame="border">
  <tr>
    <th>商品名</th>
    <th>単価</th>
    <th>数量</th>
    <th>価格</th>
  </tr>
  <tr>
    <td>テレビ</td>
    <td>200,000</td>
    <td>1</td>
    <td>200,000</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>テレビ台</td>
    <td>50,000</td>
    <td>1</td>
    <td>50,000</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>HDD/DVD レコーダー</td>
    <td>100,000</td>
    <td>1</td>
    <td>100,000</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>DVD-R 10枚パック</td>
    <td>10,000</td>
    <td>2</td>
    <td>20,000</td>
  </tr>
  <tr>
    <th>合計</th>
    <td colspan="3">370,000 円</td>
  </tr>
</table>

<form action="kessan.cgi" method="post">
  この内容でよろしければ、「確認」を押してください。<br>
  <input type="submit" value="確認">
  
  <input type="hidden" name="transaction"
  value="e355bcacf56d8edf3735ab8f18f371cc">
  <input type="hidden" name="itemlist"
  value="tv 1 kagu 1 hdddvdrec 1 media-dvdr10 2">
  <input type="hidden" name="price" value="370000">
</form>

上記のコード例では、hidden にトランザクション ID (いわゆるワンタイム・トークン)、商品リスト、そして合計金額を埋め込んでいます。

トランザクション ID は、おそらくこの場面では必要なものでしょう。商品リストはトランザクション ID に関連付けられてサーバー側で管理されているべきなので、本来ならば不要ですが、それでも一応許容範囲内です。なぜならこれを書き換えられても、購入したい商品が変更になるだけで、どちらかが損をすることはないからです。

しかし合計金額を hidden に埋め込むのは NG です。ユーザーはこのフォームの HTML を保存し、テキストエディタでこの hidden の値を書き換え、それをブラウザで表示して、「確認」ボタンを押すかもしれません。その場合、これらの商品がたったの 1円で決算されてしまうかもしれないのです。

3. 経路上を流れてはまずい情報

HTTP による通信は、通常平文で行われます。平文で流れる情報は、通信経路となるホストを管理する人間に閲覧される可能性があります。SSL によって通信自体を暗号化してしまえば、閲覧される可能性はほとんどなくなりますが、SSL を使用できない環境の場合、閲覧されてはまずい情報自体を通信に乗せないようにする必要があります。

では、その場合、どうするべきなのでしょうか?

答えは、「閲覧されたくない情報は、どのような手段であれ、通信に流してはいけない」です。これは、hidden フィールドはもちろんのこと、クッキーだろうが基本認証だろうが結局は同じことです。

SSL による暗号化が使用できない環境では、すべての通信内容が常に第三者に傍受される可能性があります。これは防ぎようのないことなのです。セッション ID の漏洩は困るかもしれませんが、hidden に置こうがクッキーに置こうが、漏れるときは漏れるんです。セッション ID を再度暗号化したところで同じです。結局「一意の値」であることに変わりはないのです。

hidden フィールドが漏洩することって、あるの?

Web アプリを使用するユーザーや場面に応じて変化する値が、想定しないユーザーに勝手に閲覧される可能性については、Web アプリ自体やブラウザなどに特別な欠陥でもない限り、起こり得ないと想定すべきです (経路上での傍受の可能性については考慮しないものとして)。少なくとも、「クッキーよりも危険」ということはありません。

Aramary たん脱退2006年04月16日 23時39分28秒

イマサラですが。。。 Aramary たんが Sound Horizon を脱退していたようです。

「任を解かれた」と「脱退」では微妙にニュアンスが違うような気もしますがそれはまぁそれとして。恐らく彼らにとって重要なのは、Aramary たんにとっての「物語世界を精一杯生きたい」、Revo やんにとっての「スタジオワークやCD制作に専念したかった」、そして事務所やレーベルの意向も無視できなくなったこと、といった辺りなのでしょう。

なかのZERO でのコンサートを観に行ったときには、本当にすばらしいステージで、メジャーデビューしたことによってこういうことが出来るようになったのであれば、それは素晴らしいことだよなぁなどと率直に思っていたわけなのですが、こういう事態になってみると、やっぱりメジャーデビューってのもいろいろと難しい部分は多いんだなぁなどと思ってしまったりもするのでございます。(;_;)/

# Bellwood レーベルは新しいアーティストの発掘、育成が目標だった筈なのにそいつがアーティストを潰しちゃってどーするよとか思わなくも無かったりするわけだが。。。

Aramary たんには、是非、音楽は続けていって欲しいと思っています。

アイデンティティの拡散2006年04月18日 14時03分01秒

実際、学生時代や新入社員などのように、アイデンティティの拡散が起こりやすい時期に、やたらと悪質商法や新興宗教からの誘いを受けたことがないでしょうか?また、子どもが巣立った後、定年を迎えた頃なども自分を見失いやすい時期ですが、周りにもこのような時期に悪質な勧誘に狙われたという人は意外に多くないでしょうか?

一時的に自分を見失うことは、人生のなかでいくたびも経験するものです。そして「早く出口を見つけたい」とあせるものです。そのため、強い扇動に惑わされやすいのもこうした時期なのです。

おいらは常に自分を見つけられずにいるような気がするよ orz 。まぁ、おいらの場合はそう言う自分を受け入れちゃっているので (周囲の中の自分 / 個を主張する必要性を感じないと言うか、自分がどう生きたいのかを常に模索しながら生きていると言う状態自体を楽しんじゃっていると言うか)、だから周囲の外圧に流されることも無く生きていけているんだとも思う。

危険なのは、アイデンティティを見失っちゃっている状態に対する耐性の低い人、なんじゃないかなと。悩んでいる自分に耐えられない、と言うか。

上記の引用のあと、記事は以下のように締めくくられるわけだが、

しかし、そのときこそ意識して冷静な判断を働かせるようにしてください。そして、すぐに答えを見出そうとしないことが大切です。自分を見失いそうになったときこそ、自分で自分を守ることを強く意識していきたいものです。

それが出来れば苦労はない罠 (;´A`) 。もちろん、苦労ってのは、勧誘されちゃう人の周囲の苦労、のことねw。

おいらをメ●ィウスに誘おうとした某氏も当時は会社員 2 年生だったわけで (まぁ、おいらもだけど)、もともと千葉人だったおいらとは違って彼は地方から出てきた人だったし、そう言う意味でもいろんなジレンマが彼を締め付けていたんだろうとも思う。

うつ病の某氏も、ホワイトバンドを取り寄せて喜んでいらっさったことに病気が無関係だったとは思えないんだよね。心が弱って、気持ちが揺らいでいるときほど、何らかの思想的なものにすがりたいと言う気持ちが出てくる。「神様」という言葉も連発していたけど、少なくともおいらが知っていたあいつは神なんて信じるようなタマじゃなかった。

個人的には、正しい処方箋は「気をつける」ことではなくて、「自分自身で行動を起こす」か、もしくは「足るを知る」かのどちらかだと思う。そして、どちらも出来ない間は、とにかくひたすらに「休む」しかないんじゃないかと思う。休んで、ひたすらに悩みまくること。悩んでいる自分を、直視すること。

忙しくしていた方が気が楽だと思う人は、多分悩んでいる自分を直視するのが辛いからなのだと思う。おいらとしては、そうやって忙しさに気を紛らわす生き方もアリだとは思っているけど、でも究極的にはそれだけじゃあダメなんだろうなとも思う。どうしても、心に隙を作ってしまうことになるから、攻撃者に核心を突かれてしまうと、一気に気持ちが揺らいで崩されてしまう、ということは多いんじゃないかと思うのだ (そして、人の悩みの核心を突くなんて作業は、詐欺師にしてみりゃ容易いことだったりもする…まぁ一般論の誘導尋問やってあとは相手に全部ゲロさせりゃいいだけだもんな)。もちろん、忙しくすることも、悩みの心を整理することも、同時進行でできる人ならばそれ程問題はないのかもしれないけど。

ケータイが必要な世の中にしたのは誰だ。2006年04月19日 15時19分57秒

中学や高校になると、都市部では電車による通学が有り得る。ここまで年齢が進むと、携帯電話を持たせるかどうかは本人の自主性に負うところが大きくなるのだが、逆にそれだけ多くの人に囲まれている状態で、携帯電話が安全を確保する装置として機能するかというと、そこは疑問の余地があろう。

痴漢にあったら、携帯で親にメールしてもしょうがあるまい。また事故などで電車が止まるようなことがあったとしても、果たして携帯電話で親に連絡してどうにかなるものなのか。

そういう時こそ、勇気を持って見ず知らずの他人に助けを求めたり、あるいは事故に対して何もできない自分に対して無力感を感じたりというほうが、社会生活に対する学習効果としては正しいような気がする。携帯電話のおかげで、自分だけが一本釣りで助かったような状況というのは、都市型社会では考えにくいのではないか。それよりも、見知らぬ他人とコミュニケーションをするという状況に強制的に身を置くというのも、一つの教育の考え方としてはアリかもしれない。

違う違う。使い方が間違ってますよ。連絡ってのは、非常時に使うものではなくて、無事であることを確認しあうためにするものです。どういう事件や事故に巻き込まれているか、それを解決するにはどうすべきか、などと言うことはこの際重要ではないんです。親はただ、子供の帰りが遅いことが心配なだけで、その理由を知るための連絡手段が確保されていることに安心を覚えるのです。

駅に掲示板があったり、街中のいたるところに公衆電話が設置されていた頃であれば、「ケータイは必要か不要か?」といった議論には意味がありました。ケータイを持っていなくとも、他に外出先からの連絡手段はいろいろとあったからです。おいらが子供の頃だって、当時はケータイなんて存在しなかったけど、親にテレフォンカードを持たされて、何かあったときにはそれを使って電話を入れるようにと躾けられていたものです。

ケータイの普及により、駅の掲示板はほぼ全廃と言う勢いで撤去され、公衆電話もあまり見かけなくなりました。ケータイを持っていなければ、他に連絡を取る手段があまりない世の中になってしまい、連絡のための生命線がケータイのみに委ねられるようになってしまいました。

これはこれで危険なことです。何故なら機械は、いや、機械を使う人間は、万能ではないからです。電池が切れてしまうかもしれないし、落として壊してしまうかもしれない。家に置きっぱなしで忘れてきてしまったために、待ち合わせていた人に多大なる迷惑をかけてしまったこともあります (ケータイのアドレス帳に慣れてしまうと、いちいち他人の電話番号を覚えなくなってしまう為)。紛失はそのまま関係する人間の個人情報流出に繋がります。連絡手段をケータイに依存すると言うことは、それだけ大きなリスクを背負うことになります。

そうしたリスクを軽減するには、公共の連絡手段が充実していることが絶対条件であるのに、実際にはかつて充実していた公共の連絡手段がどんどん失われてゆこうとしているのです。だから、結果として、ケータイに依存せざるを得ない状況に追いやられているのです。

そういう理由で、おいらは今の時代を生きる子供にケータイを持たせることは、かなり高い優先度で推奨されるべきことであると思います。