人生いろいろ、無限もいろいろ。 ― 2007年06月29日 00時33分20秒
まぁ、2n の n が整数なら、そこに奇数は含まれないからなぁ。数式を書き換えるしかないけれども、書き換えが許されない数式かもしれないし。
例えば癩予防法による強制隔離政策なんかは、その時代においては多くの市民にとって書き換えることの許されない数式だと認識されていたんではないかと思う。そういう時代の真っ只中において、当事者にとって「希望」などという言葉は、現実味のないキレーゴト、世迷いごととしか思えなかっただろう。
以下、思ったことをつらつらと。
- 社会を変えるのは難しい。自分を変えるのは、場合によっては不可能だ。
- 「無限の可能性」という言葉は、「可能性は 0 じゃない」という言葉に似ている。さまざまな願いに対してそれぞれ可能性はあるけれども、ピンポイントで焦点をあわせてみるとその可能性は限りなく低かったりもする。
- 最初から不可能に見えるだけ、という可能性もある。それ自体は不可能だが、代替可能な方法がいくらでもあるという可能性もある (例えば年金なら、国がだめでも民間で、それもないなら自力貯金で代替可能かもしれない)。
とりあえずそんだけ。。。
社会が気に食わないなら自分を変えろ。それが嫌なら耳を塞ぎ、口をつぐんで生きろ。それも嫌なら…? (攻殻機動隊だっけ?)
まぁ、無限の可能性とやらを信じてテロだなんだに走るくらいなら、今のルールでできることの中から生き方を選んでいったほうが現実的だ罠。程度にもよるけど。
もっとも、ルールだとかなんだとか言うのとも違うもっと深い部分で苦しんでいる人のほうが、今の時代には多い気もするけどね。
結局、この手の話って、無下に「~なんじゃないかなぁ?」で済ませられても、そこにリアルを感じさせてくれないことには、いまいち説得力が沸いてこないのよね、とは思う。だから慎重さを期そうとすると、経験的に見て、どうしても悲観的にならざるを得なくなる。そういうことなんじゃないかなぁ。
なんてグダグダ書いていたらまた今日も夜更かしになっちゃったよ。寝るっ ぐぅ
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