シリーズ◇音楽: 生っぽさを演出しようとすることが返って素人っぽさを醸し出す原因になってしまうようなジレンマ ― 2007年04月09日 21時51分15秒
初っ端から長ったらしいサブジェクトで申し訳ない。w
まずはおいらの DTM 遍歴をまず書いておこうと思う。
- 高校入学祝として、FM-TOWNS II HR-20 (以下、うんず) を購入。MIDI 環境は購入せず (そもそも当時は MIDI なんて知らんかった)、内臓音源は FM 6和音、20kHz PCM 8和音という構成。
- F-BASIC386 を持っていたが、こいつの MML 再生機能はあまり使わなかった。TownsGEAR というオーサリング開発ツールのメロディー部品が提供する、FM 音源のみ・8小節までという環境で地味に曲を作って遊んだりした (当時のデータが見当たらんのよね。。。T-T/)。
- 高校 2年のとき、「MUSIC PRO for TOWNS」というノーテーションソフト (自称「楽譜ワープロ」) を購入。フル内臓音源での音楽製作環境を構築。次いで「MIXING PRO for TOWNS」を購入。ピッチベンドとかのパラメタをマウス操作でリアルタイムにいじれるというスグレモノ。すげー使いにくかったけどそれなりに感動した。
- 高校 3年のとき、TAROPYON 氏作の MML コンパイラ「HE386」をなんとか入手(「フリーソフトウェアコレクション6」に収録されていたんだけど、当時すでに絶版だったのよ。某 Miyashi 氏が持ってたのを借りて頂きますた。高卒後、フリコレ自体が終焉しちゃった後になって、今は亡き富士通ショールーム in アキバでふつーに売られてたから速攻で買ったけど。)。以降、音楽製作環境を完全に MML に移行。パラメタ操作の関数展開ができたりしてかなり強力だった。
- 高卒後、「FMT-403A」を購入。SC-55 相当の音源チップを搭載した MIDI-IF 。以降、MIDI と内臓音源とで平行して音楽製作を行う。MIDI では当初、MIDI 向けの MML コンパイラ「HE386 for MIDI」を使用していたが、どうにも MIDI で MML は無理があるような気がしたので (いまいちパフォーマンスが上がらなかった)、その年の冬ぐらいになって楽譜ベースのシーケンサーソフト「奏 -KANADE-」を購入。それほど緻密で細かい編集ができるわけではなかったが、それなりに強力だったし、割と使えるいいソフトだった。
- 大学 3年のとき、YAMAHA の携帯用シーケンサー「QY-70」を中古で購入。この頃から狂ったように音源などの機材を買いあさるようになるが、ちっとも活用されないまま現在に至っている (QY-70 はそれなりに使ってました)。
- 社会人 1年生のとき、某飯田橋での激務によるストレスからの衝動買いで、KORG の「TRITON pro」を購入。ワークステーションキーボード上でのシーケンスはそれなりに期待していたんだが、ちっとも使い物にならんかった。最近弾いてないなぁ。。。
ちなみに社会人になってからは作曲活動はほとんどやってません。知識も MIDI で止まっちゃってます。某氏が使ってる ACID とか、面白そうだとは思うんだけどね。あるいは奇怪なソフトシンセ類とか。。。
さて、前置きはこのくらいにして。上記遍歴を見ていただければわかるとおり、おいらはあまり緻密なことができる高性能のシーケンサーソフトを使っていたことがありません。例えば、基本的に数値のみで楽曲作成を行う「レコンポーザ」や、ピアノロールなどの柔軟な編集機能を備えた Roland の「Cakewalk」(後の「SONAR」?) などなど。そもそも Windows 上で音楽製作環境をまともに構築したことはないし、Machintosh に至っては所有したことすらありません。実はピアノロールは「奏 -KANADE-」も備えていて、発音/消音のタイミングやベロシティなどをある程度緻密に扱うことは可能でしたが、それでも楽譜ベースであったため、どうしても譜面上の「音符」という概念による呪縛がありました。後に主流となってゆく多くの高性能シーケンサーソフトはこうした呪縛がなく、音楽的な論理に対してより自由であったと言えるように思います。
Cakewalk を使っていたとある友人と、作曲活動を通じて交流していたことがありました。彼の Cakewalk での製作を見ていて思ったのは、とにかく「効率が悪いな」ということでした。彼は基本的に、いわゆる電子音楽的な楽曲ではなく、生演奏的な楽曲への志向が強く、そのスタンスにはおいらも共感するものがありました。しかし、おいらも彼もキーボードの演奏に自信があったわけではなく、また、当時はリアルタイム入力を行うための十分な機材も揃っていませんでした (せいぜいおいらの手元に貧弱な MIDI キーボードが転がっていたくらい)。そこで彼が取ったアプローチは、ピアノロール上に基本となるメロディーなどの音を散りばめ、それらの発音/消音のタイミングやベロシティをマウス操作で微妙にずらす、というものでした。
正直に言えば、そのころはおいらも (そしておそらく彼も)、それ以外のアプローチで「生っぽさ」を表現する手立てが思いつきませんでした。このアプローチのキモは、ただ単に「不揃いにすればよい」というわけではなく、何度も何度も再生し直しながら、自分の耳で納得のいくまで調整を繰り返す、ということです。しかし、最初のうちはどうしても、機械的な単調さへの反発から、「不揃いにすることの重要性」という、半ば誤った概念に囚われていたのも、事実でした。
インターネットが少しずつ使われるようになっていた頃のことです。「ミュージ郎」や「HELLO! MUSIC!」が幅を利かせ、Web 上でも少しずつ SMF による楽曲データが配布されるようになり、DTM Magazine や Computer Music Magazine が GM を中心にがんばっていた、そんな時代でした。「よくできている」とされる楽曲データであっても、打ち込みのものは、聴いてみるとどうしても不自然さの拭えないものが多かった。「とにかく単調になってはいけない」といった半ば教条的な固定観念が、メロディにむちゃくちゃな強弱を散りばめさせる。その結果、力を入れるところじゃない箇所でアクセントが入ったり、大事な音が小さすぎてちっとも聞こえなかったり、ということが多かった。
後に、一部の MML コンパイラにおいて、ベロシティを無作為に揺らす乱数機能を搭載したものが存在することを知りました。確かにリーズナブルな方法だとは思ったものの、音楽的な経験の浅い人はこれを過信してしまいそうだな、とも思いました。先ほども書いたとおり、単に「不揃いにすればよい」というわけではないのです。
生っぽさを演出する要素はさまざまにあります。おいらが思いつく程度の範囲でも、軽く列挙すれば以下のとおりになります。
- 演奏者個人の癖
リズム感ひとつとっても、十人十色です。基本的に前のめりになりがちな人、遅れがちな人。裏拍が遅れちゃう人、表拍が大きくなっちゃう人。短い音符が連続すると加速しちゃう人、逆に遅れがちになって次の小節で無理やり帳尻を合わせちゃう人。そういう個性を、下手糞だと思われない程度にパートごとに盛り込んでみるのは、面白い試みです。
- 楽器に固有のハンディキャップ
ピアノの和音とは違って、ギターの和音は常にグリッサンド気味になります (但しミュートは同時)。ギターの場合はコードが変わるときだけ一瞬ミュートになってしまったりノイズが入ってしまったり開放和音が混じってしまったりするとよりおいしかったりします (おいらにはそこまで作りこむのは無理w)。管楽器はスペシャリスト級ノンブレスソロアドリブなアルトサックスを作りこみたいわけでもない限り、息継ぎをどこかでとる必要があります。
ピアノの和音も完全にすべての音が同じタイミング・ベロシティとなるわけではありませんが、だからといってすべての音をただ単に無作為にばらばらにすればいいというわけではありません。例えば、片手で引く和音の音域が広ければ広いほど、力の弱い小指で抑える鍵盤の音は弱く、そして早く離れがちです。
- 曲調、グルーヴ
ジャズのスイングは完全な 3連符では必ずしもありません。軽快な曲調では 3:7 ぐらいとか、ゆったりとした曲調では 6:4 からほぼ半々とか、逆にすごく速いテンポの曲でもスイング感がほとんどなかったりなど、目安はあるものの曲中でも流動的だったりとか、結構あやふやです。強弱も、基本は裏拍が強めですが、曲によってはハイハットにだけ裏拍を任せて、ブラスは表拍を強調してわざとリズムを転ばせたほうが、軽快さを演出できていい場合もあります。なにしろ気分次第、という面もあります。実は打ち込みにしてしまうと最もおいしさを失ってしまうのがジャズの類だったりします。
クラシックの場合なんかは、生っぽさに気を使うより、楽譜に記述された指示記号に気を使ったほうが、よっぽどいい演奏になったりもします。抽象的とはいえ、楽譜の情報量は、馬鹿にできません。
- 発音のタイミング
いわゆる「物理打点」と「心理打点」というやつです。発音の遅い楽器は、発音の早い楽器よりも早いタイミングで音を鳴らし始める必要があります。実際、吹奏楽なんかでは、発音の遅い低音金管楽器奏者やコンサート・バスドラム奏者は、無意識のうちに少し早めのタイミングでブレスし演奏しています。この感覚は、実際の楽器で演奏する場合とは感覚の乖離したキーボードではなかなかうまく演奏できないため、キーボード演奏がうまい人によるリアルタイム入力に対して、唯一打ち込みが勝るポイントであるとも言えます。
ちなみにおいらは、上記で書いたようなことを意識しながら打ち込みを入念に行ったことは、ありませんw。多分、こんなことにいちいち気を使いながら曲を書いていたら、最初の 2、3 小節ぐらいで投げ出しちゃうんではないかと思います。
苦労の割には効果が期待できないという面もあります。演奏方法ばかりをリアルに近づけたところで、肝心の楽器の音色がしょぼかったり、そもそも MIDI という概念自体に限界があったりして、あまり意味を感じないということが多いのです。反面、音楽的なセオリー、アプローチをちょっと気遣うだけで、それなりにそれっぽい演奏になったりもします。
要は、感覚的なセマンティクスを直感させるために必要な表現を怠ってまで、演奏面のリアルさを追求することに、あまり意味はないんじゃないか、ということです。ここで、「論理的な」とは書かないであえて「感覚的な」と書いているのは、論理に頼ってしまうと感性が固着してしまって、個性が損なわれるからです。
上記で書いたようなことは、ツールが良しなにやってくれると、ありがたいんだがなぁ、なんて思ったりもしています。いつか作っちゃる。w
最近のコメント