行政によるゲーム表現規制への介入に対する認識についての考察2006年04月20日 08時45分42秒

徳保さんとこの記事経由。神奈川県知事・松沢氏のブログへリンクが張られていたわけですが、4/20 現在トップ記事になっているこの記事と、その記事が指し示す元記事を読み、それらのコメント欄の状況を一瞥して思うところがあったのでチロッと書いてみようかと。

整理しておきたい内容は以下の通り。

  1. ゲームにおける表現の自主規制の状況が、他のサブカルチャー (雑誌、特に漫画等の出版や、TV・ラジオ放送、等) と比べて、どの程度徹底されているのか、という部分が目下問題視されている。
  2. 現状として、漫画やアニメ、TV 等と比べると、規制の幅 (表現内容に対して何処までを規制対象とすべきか) は広いようだが (漫画、TV はポルノについては段階をおいて規制しているが、暴力表現等その他の描写については規制が甘い印象が強い・・・まぁアニメ版「北斗の拳」のように規制される暴力表現もあるけどね)、規制を行う体制については甘いと言わざるを得ない。
  3. 「ゲーム脳」のように、ゲームをすること事態に教育的問題があるという論になっているかというと、まったく以ってそんなことはなく、あくまでゲーム業界における自主規制の体制の確立を自治体として要請している、という話になっている。

好意的に捉えるならば、ゲームを絶対的な悪者にしたいのではなく、ゲーム業界という枠組みの中で、青少年の育成において有害とされる表現を段階的に規制する仕組みが、他のカテゴリの業界におけるそれと同等以上に確立しているのか、という話であり、それが確立していないことには、業界の健全な発展もありえないんじゃないの? というお話になっているわけだ。むしろ一方的にただひたすらに「ゲームが悪い」と叫ぶ一部の圧力(それは民衆としての「保護者」一般を巻き込む勢いのもの)に対する防衛線を敷こうとしているわけで、そういう側面では(ゲーム愛好者としては)むしろ歓迎すべき政策であるとも思う。もちろん、リンクした記事のコメント欄で誰かが書いていたように、「行政としてのゲーム業界への介入は、これで最後にしていただきたい」というか、これで最後であって欲しい、とは思うが。

しかしコメント欄における多くの反応を見るに、上記で列挙した要点のうちの、特に 3 について物凄く誤解されて認識されちゃっているように思う。これはもう、政治家が物事に対して政治的に挑もうとすることに対する無理解による反発、と捉えられちゃっても仕方ないんでねーのとか思ってしまうくらい、子供じみた議論の繰り返しを望む声が多い。なるほど政治家って言うお仕事も、大変なんだなーとか思ってしまうわけですよ。

まぁ、もともと県では汚職まみれの議会からの反発に真っ向立ち向かい続けてきた松沢氏にしてみれば、自分のブログがコメントスクラムにあったぐらいでたじろぐなんて事はあんまりないんだろーからそんなに心配はしていないんだけどね。


どーでもいいけど徳保さんとこの tb 先 url が 404 になっちゃってる (;´Д`) 。


Thu Apr 20 21:32:42 JST 2006 - 追記

。。。と思ったら徳保さんの方からリンクして下さってますた (^_^; 。Referer でも拾ってみてくれたんかな? かたじけないです。。。

コメント

_ @DRK ― 2006/04/20 20:02:18

”有害なものを有害だと子供に対して明確に説明できる親なり学校なり社会が形成される事こそが一番大切”だと言う事が分かっているなら、この案には賛成です。
開発企業より販売店に重きを置いた提言であり、当たり前の事を徹底して欲しいと言うだけの事じゃない?
確かに販売店での年齢確認などが皆無な状態ではまずい。

企業間自主規制の明確化についてはCEROとかEOCSに頑張ってもらうとして、水際の販売店がしっかりしてくれないとね。
近い将来、身分証明書の提示などが義務付けられるかもしれない。
まあそうなったら堂々と胸張って買えばいいだけのことなのですがw
半端者には買えない時代が来るかもね。

_ T.MURACHI ― 2006/04/20 22:03:39

>@DRK
「何が有害か」か。どうなんだろうね。
個人的には、「青少年の育成において有害な情報」の定義ってのは、難しいと思う。相手がオトナであっても、納得できる理由をうまく説明するのはなかなか骨が折れる作業なんじゃないかな。特に、松沢氏のブログのコメント欄、に限らないけど、ネット上でのあーいうバックラッシュ現象を垣間見てしまうと、それを説明することに意味があるのか分からなくなってくる。
感情的なことだけで言えば、性的表現については説明しやすいような気がするけれども、それでさえ程度の差は事業者やメディアの形態によってその解釈はものっ凄くまちまちなわけで (TV東京のアニメにおけるパンチラ規制は激しく有名)、その落としどころについて筋の通った説明ってのがこいつら本当にできるのかなぁとはつくづく思ったりする (いや別に幼女のパンチラが見たいわけではないですよ? 念のため)。
個人的には、「卒業2」が飲酒シーンのためにソフ倫によって 18 禁指定されたが、多大なる反発ゆえに結局ソフ倫側が折れて「倫理」マーク指定となり、最終的にはそれすらも外された (っつーか、ソフ倫によってチェック済み、という意味合いだけのシールに貼りかえられた) なんて過去を知っていたりして、まぁそう言う試行錯誤の過去があるからこそ現在があるんだろうけど、結局明確な説明と言うのはどんなメディアであれどんな時代であれやっぱり難しいんではないかなぁとは思う。

ただ、「青少年の健全な育成を阻む」という形では説明が難しくても、「一部の社会的感情を逆なでする表現である」みたいな説明であれば割りと容易に筋が通る気がするのよね。例えばそれは地下鉄サリンばら撒きゲームとかだったりするわけだけれども (GTA なんかがそういう形で有害性を説明できるゲームかどうかは微妙なところ)。

しかしこの辺の議論は、有名どころのゲーム批評系ブログとかだと割りとまともな議論が行われていたりするのに (まこなことか閻魔帳とか)、議論の場所が違うだけでどうしてこうも S/N 比というか DQN 率ってのは違ってきてしまうものなんかね? (;´Д`)

_ @DRK ― 2006/04/23 13:20:20

>何が有害か
”これはダメ”って言ってその理由を問われた時に”当たり前の事だろう”という門前払い解釈では、理解はさせられても納得はさせられない、って事だわさ。
人殺しは絶対にダメなものでそんな事は当たり前だけど、それを明確に説明しようとする姿勢が大事ってことよ。
まあ、本質ではないのだけど。”説明しよう”と頭を働かせて高めていく事が大切。
現状、その説明責任を重く感じているのかどうかが見えないのよ。パターナリスティックに言ってるだけちゃうかと。

有害である事の規定は難しいと言うか一定の値をとらない。だから規定も常に流動的にならざるを得ないだろうね、色んな思惑もあるし。

>S/N 比というか DQN 率ってのは違ってきてしまうものなんかね
荒らされてなかったからじゃん?w
どうもDQNは場が荒れていないと気が済まないらしい。フーリガンかお前らw

>GTA
あれは規制されても良いかと・・・本当にカージャックしたり車で人をひき殺したくなるのが出てきそうだ。
実際の犯罪に近ければ近いほど危険っていう考え方もある意味すっきりしている。
(逆に実際の犯罪描写そのものが全て規制対象になるアホな結果にもなるけど)

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