小林薫は死刑とかより懲役300年ぐらいにしておいた方が良いと思う。 ― 2006年09月26日 22時49分11秒
- 笑う被告、涙の両親 奈良女児殺害判決 (朝日新聞)
新しい自殺の手口かと思われる。いや、別に新しくは無いかな。心理的のみならぬ具体的で無関係な被害者が出る分なおさら質が悪い。
一方で、司法判断に被害者感情が影響するという点に於いて危機感を覚える。法は感情的であるべきではなく、あくまで合理的であるべきだ。
基本的に、自殺というのは身勝手なものである。もちろん、何らかの病気がその人を身勝手な気持ちにさせたがゆえの自殺、というケースも多い。周囲に関わる人間がいれば、彼らのケア、フォローによって、助かるケースもある。が、助からないケースもある。まぁどっちでもいいんだが (よかねーだろ)、関わる人間として大切なのは、その身勝手を許してはならないという毅然とした態度であることは間違いないわけだ。
今の法体系では、人生に失望し、自棄を起こして凶悪犯罪に走る自殺志願者に、その身勝手を許してしまうということになる。裁判所のお墨付きでね。
無期懲役でも、最短 8 年で出所できると言われている。それでなくてもこの国では、死刑以外の刑は何れも社会復帰を前提としているように思う。
アルコールや薬物が絡む危険運転致死傷罪は 15 年以下とやや長めだが、ひき逃げよりも短いために「逃げ得」という新たな問題を引き起こしており、法律のバランスの悪さが指摘されている。場当たり的な設計変更ゆえにメンテナンス性を欠いているわけだ。これがソフトウェアなら機能拡張を続ける限り、どこかで一から作り直さなければどうにも立ち行かないということになる。恐らくは法でも同じことだろう。
もう、限界なんじゃね? と思うわけだ。
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_ ふとももおれたー - 2006/09/27 23:21:04
死刑、それは、他の刑罰とは明らかに一線を画するもの。
全ての人が縁遠いことが望ましいの
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