Wikipedia は、大人気ない大人たちによって成り立っています。 ― 2007年04月02日 09時47分28秒
以下、突っ込み。
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おいらにはそもそも Wikipedia の存在意義がよくわからんです。ここに群がっている人たちは遊びたいのですか? それとも「真面目な」百科事典を作りたいのですか?
ノートや削除依頼ページを見ていると、
あなたがたのおもちゃじゃない
だのエイプリルフールにしか更新されないサイトの内容を単独項目にするという必然性は低く
だのと、まるで社会正義や公共性を重んずる声が多いが、一方でアニメや漫画などのサブカルチャーやアイドル・声優を取り上げた記事も多く、そればかりか珍項目にカテゴライズされるようなしょーもない項目もひじょーに多い。遊び場としても充実しているという事実が Wikipedia の特色・魅力の一つになっているのだとおいらは認識していたんだけど、そうじゃないの?内・外房線、総武本線、成田線等の駅舎を回って写真を撮りまくっては Wikipedia に up してる人を知ってるけどw、めちゃめちゃ楽しんでやってましたよ。実際それが、閲覧者にとって役に立つ情報なのかどうかはおいらは知らない。でも、どっちにしたって、楽しんで貢献する土壌を育むことが、こうしたサイトを運営してゆく上で大切なことなのだと思うのだけど、今回の Wikipedian の反応からはそういう姿勢を汲み取れるものといえるのかしら?
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そもそも、ある情報が必要か不必要かの判断は、その情報に接する個人の価値観に依存するのでは? 「必要が無いから削除すべき」という意見は、その情報を必要とする個人の存在を否定する。Wikipedia の運営に加担し、協力しているという自負があるならば、尚更そのような発言は慎むべきでは?
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記事の内容がまずいという意見には賛成。著作権がどうこうという話もあるが、「Firefoxレッサーパンダ事件」は編集部内での出来事としてジョーク記事のネタ元に書かれていた内容をまんま引っ張ってきただけであり、そもそもの事実関係としての信憑性が薄い。この事件が事実であると信じるならばそのソースを明らかにすべきでは? つか、そもそも「窓の社」を語る上で、この事件は本当に切っても切り離せないものなのか? つか、セクション名の「To LOVEる」とか、意味不明。
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ネタとしても無粋だ。タイミングも悪い。
あのネタは実際のページが存在しないことに意義があるはずです。存在しないからジョークだと気づき、それを楽しむのが目的。
とした Shooting Star 氏の見解には賛同。何より微妙に似せちゃってるのが良くない。間の悪いオヤヂといわれても仕方が無い。dankogai 氏のギャグのセンスを疑う。 -
dankogai 氏はブログ記事中で
記事の品質が低いというのであれば存分に直してもらって構わない
としているが、実際の記事を見たおいらの感想としては、その態度は無責任すぎるんじゃないの? というものだ。せめて書き始めた記事の編集の方針ぐらいは見せるべきでは? おいらはさっき、「楽しんで貢献する土壌を育むことが、こうしたサイトを運営してゆく上で大切なことなのだと思う」って書いたけど、それは新たに項目を追加する書き手にとっても意識すべきことだとは思うよ。とりあえず項目を追加してみた。でも、面白いネタが思いつかないから、こっから先は他のみんなで編集してね、というのは、ナシとは言わないけど、そこから先を思いつく人が誰もいなくて、結果として内容の薄いゴミみたいな記事が残るぐらいなら消しちゃおうか、という話になってしまうのだとしたら、それは仕方の無いことなんじゃないの?
項目を消したくないってことは、そこに書きたい事があるってことの意思表示なんだから、周囲が納得するぐらいには責任もって内容を充実させるべきなのでは?
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