文句は誰に届くのか2008年09月02日 04時16分51秒

1つだけ。「文句」という言葉の取り扱いについて気になりました。

文句を言っている人は、多くの場合、「文句は言う、でもやるんだよ」のはずです。また、やってない人に対するアドバイスは、「文句は認める、でもやろうよ」なはずです。文句そのものが認められないなら、その内容について話をすることになりますが。しかし、guri_2氏は「そんな暇があったら」、「ビタ一文意味がない」と貶める、それ自体を無駄・無意味と規定するわけです。内容ではなく、「文句を言う」それ自体が無駄・無意味なわけです。

どうも、彼において「文句をいう」ことは「行動しない」といういことと強固に結びついているようです。むしろ、「文句をいう」からこそ「行動する」、できるようになった、というようなこともあると思うのですが。理不尽に立ち向かう勇気は、しばしば、理不尽を理不尽であると認めてもらえることによって奮い立つものです。そういうことがスッポリと抜け落ちているようです。

id:mojimoji さめの場合、当事者の文句が誰かの耳に入り、それに対して何らかの応答が得られる可能性が期待できる状況を想定しているのに対し、

先ほど書いたように、自分は別に文句を言ってもいいと思ってます。でも、文句を言うだけで解決することはマレです。というか、まず無いです。やっぱり何らかの行動が必要になります(他人に訴え、他人に解決してもらうといったものも含めて)。結果的に、行動を起こさないと文句の元は解決せず、状況は変わらず、同じように文句を言い続けることになります。「だったら、とっとと片付けて不満の元を取り除いた方がいいよね」「それなら文句を言ってないで行動を起こした方がいいよね」と考えています。なので精神論的なものより、どちらかというと合理的な判断から来る考えだと思っています。

id:guri_2 さめが言うところの「文句」というのは、基本的に誰の耳にも入らないか、入っても心に響かない、それに対する何らの応答も期待できないものだという前提があるように思います。

実際のところ、わざと他人に聞こえるように声に出して愚痴を言える人というのはいます (何とここにもいます!! w)。そういう人って言うのは実はコミュニケーション強者であり、例えばそうやって職場の同僚の同意を得ることによって、自身のわだかまりを解消し、精神的に楽になるという知恵を身につけているわけです。こういう手合いは職人気質の人間に多いですw。

もう一つの可能性として、「文句」がネガティブな感情の押し付け合いにしかならず、文句を言い合う形態のコミュニケーションに生産的な意味を見いだせていない可能性もあります。これについては、どちらの可能性もあります。つまり、「文句」の言い合いが展開されることによって、グループの「仕事」に対する士気が上昇する場合も、低下し作業が停滞する場合もあります。この辺については、以下の記述から読み取れるように、 id:guri_2 さめも感覚的には気がついているのではないかと思います。

矛盾しているように思われるかもしれないですが、自分の中では「タイミング」によってきっちり分かれていることだったりします。「タイミング」は、バイオリズムのようなものを想像してもらえるといいかもしれません。相手が上り調子のときは、「文句言うなら行動しろ」だし、不調なときには「グチっちゃいなよ」になります。

このタイミングってのは結構重要で、例えば朝の定例ミーティング時に、先日の取引先との会議によって決まった仕様変更の話をリーダーから説明されたとします。そしてその日一日の大半が仕様変更に伴う追加の作業に費やされることとなったとしましょう。あなたはこうした決定に関する文句を、朝のミーティング時と昼の昼食時、そして夜に仕事が明けてみんなで飲みに行くときの 3つのタイミングのいずれかでぶちまけるチャンスがあるとしましょう。さて、最も適したタイミングはどれでしょう?

実はこれ、答えは一つではなくて、状況や文句の質に応じて適切なタイミングは異なるのです。愚痴の類なら夜の酒席で酒と一緒に流してしまうのが最適です。勢いに任せてテクニカルな話題につないじゃってもいいでしょう、よりいっそう酒がうまくなります。

でもそうではなくて、現実的な話としてその対応を含めることになれば、契約通りの期間内には仕事が完了しなくなると言うことが事前にある程度判明する場合もあります。もちろん、そうした適切な仕事量や期間の調整はリーダーが取引先との会議に際してきっちり詰めるのが理想ですが、現場の人間の感触を確かめないことには何とも言えないケースもあれば、持ち帰って相談という形式を取らなければ顧客が納得しないという政治的なケースもあるでしょう。そうした場合に「無理なもんは無理だ」という適切な返答を返し、再度調整を試みるのは必要なことです。

で、問題はこうした現場における「必要な進言、または取引」のことも含めて「文句」という言葉で捉えているか否か、なのです。少なくとも、「1ヶ月だけ~」や「要は、勇気が~」なんかを書いていた当初の id:guri_2 さめは、「文句」という言葉にそこまでの意味を含めてはいなかったのだと思うのです。つまり、利害の対立する相手にコミュニケーションを図ることは、「文句」という言葉に対する対義語としての、「行動」に属する行為である、と捉えていらっさったのではないかと。

いずれにせよ、 id:guri_2 さめのこれまでの文章を読み込む上に置いては、「文句」という言葉と「行動」という言葉の取り扱いに十分注意する必要があると思います。「文句だって行動の内じゃないか」という意識で読んでしまうと、いろいろと悲しい誤解を招いてしまいそうです。

コメント

_ mojimoji ― 2008/09/02 13:26:59

どうも、言及ありがとうございます。
一点、「当事者の文句が誰かの耳に入り、それに対して何らかの応答が得られる可能性が期待できる状況を想定して」はいません。「文句を言う」ということの価値は、それが現実を変えるか変えないかとは関係なくあるものですから。

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