もう夜も遅いけど。 ― 2006年01月20日 01時38分27秒
幸いにして、まだもらった薬は消費していない。疲れもあるし、仕事中に胃が痛むことも少しはあるが、そんなときはなるべく仕事をする手を休めるようにし、呼吸を整えたりすることによって回避することにしている。
この病気は休まなければ治らない。本気で休む気のない人間は恐らく一生治せない。どれだけ長いスパンで自分を見つめているのか知らないが、多少調子がいいとそれだけで病気が治ってきているかのように錯覚し、周囲にもそう吹聴する。しかし最も確かなバロメータであるところの薬の量はここしばらくちっとも減っていないのだから、そんな言葉が周囲の人間に信用できるわけがないのだ。
かつて少年は、遠い未来の自分に夢を抱いていた。実にぼんやりとした、形の見えない夢だ。おれら世代の人間だったら大概はそうだったはずだ。
やがて少年は大人になり、必死で駆け上がった学生生活を終え、耐え難い社会の現実に打ちひしがれることとなる。そうして疲労困憊し、弱りきった心は、過去の生き生きとしていた頃の自分を思う。少年時代、夢を抱いていた頃の自分は、なんと輝いていたことか、と。
彼が臨むべくもない困難な課題にわざわざ立ち向かおうとする気持ちは、正直なんとなく分かるのだ。きっと彼は遠い未来の自分に夢を抱いていたいのだろう。そうしていれば、今の自分は輝いていられるような気がするから。
でもな。それは恐らくマチガイだ。
過去に歩んできた道と同じ道を歩めば、辿り付く場所はやっぱり同じなんだよ。新たな自分を見つけたいなら、歩き方を変えるんじゃなくて、別の道を自分で探さなければならない。
でもやっぱり、一番のマチガイは、君の生き方は道を歩むこと自体が目的になってしまっていることだと思う。だから、明日の自分が今日の自分よりステップアップしていないことには気が済まなくなり、そうなっていない自分に不安ばかりを覚えてしまうんじゃないか?
とにかく今は、今の自分に出来ることだけをするべきだ。それ以上のことはすべきではない。遠い未来ほど不安定で、保証しにくいものはない。担保にならないからだ。時間がかかる分、多くの投資を必要とするのに、成功する確率は極めて低く、仮に成功したところで、投資に見合っただけの見返りが期待できるかどうかも分かっていないのではないか? それが分かっていたならば、そもそも受験戦争にだってまともに参加していなかったはずだ。受験戦争の見返りが十分に得られなくて、結果今の自分がいるわけだから。
今一度、じっくり頭を冷やして考え直して欲しい。
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