「ニコニコ現実」よりも「ニコニコテレビ」の方が現実的かな。 ― 2008年07月07日 23時52分27秒
- 友人がニコニコ大会議に行って来たの話 - ● SPOTWRITE
- あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのはてな日記
- ハゲのおっさんから一言(追記有り)
- 「ニコニコ現実」のプロトタイプとしての「ニコニコ大会議2008」 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
ブログ界隈の文脈を追うのはしんどいのう。
まぁ、最後の記事がだいたい総括的に書かれているので、大抵の人は最後の記事だけ通して読めば出来事に対する理解としてはだいたい十分なんじゃないかと思うし、おいらの言及も基本的にはそこに絞りたいと思う。ただ、一連の話の流れの中で、ニコニコ大会議とやらで行われた試みとそれらに対する会場内での反応が、いじめの構図を表す物なんでないか、そしてそうした光景を、まるで新時代の幕開けであるかのように歓迎し、分からないけどきっと、笑われてしまった人達も、よしとしている気がする
、などといういい加減すぎる感想が、一部の愛すべきナイーブな方々を刺激し、そうした感情に乗っかるような形で、避難と罵倒の嵐をブ米で矢の雨のように降り注がせる光景ってのは、まぁなんつーか、今時のセンシティブな痛い Web 社会の現実をさらけ出しちゃったようで、個人的にも最初はどちらかというと y_arim さめとかに同情的だったおいらもなんだか冷めちゃったかしらんみたいなそんな気分にならざるを得なかったのですよ。どっちがいじめてるんだかーみたいな。
「ニコニコ現実」はまだ早計では?
で、それはまぁそれとして、問題にされている「ニコニコ現実」のプロトタイプ
とやらなんですが、引用するとこんな感じだったらしいんですわ。
- ニコ動ユーザ1万人向けに、リアルタイムで会場の様子が実況中継放送されていた。その中継映像には、通常のニコ動と同じく、コメントをつけることができた。
- 上の中継放送+コメント付きの映像が、今度はそのままイベント会場に中継されていた。具体的にいうと、ステージ両脇に大画面があって、そこにほぼリアルタイムで(数秒遅れで)、コメント付きの映像が投影されていた。いわば「二重中継」というか「再帰的中継」の状態だった。
- そして会場の観客は、ほぼリアルタイムで、いま目の前体験している会場の様子を、「ニコ動」のフィルタを通して数秒遅れで追-体験していた
- ちなみに会場からはけっこうな頻度で、まさにニコ動的なツッコミや野次が飛んでおり、会場自体も「リアル・ニコ動状態」と化していた。いや、というか本来は「野次」のほうがもとから存在する現象であって、ニコ動がそれをネットサービス化した、というのが正しいんだけど、もはやその図式は完全に転倒していた。普通のイベントで、あれだけ野次が飛んでいたら、それは「異様」だと思うはずなのに、当日はけっこう「ライト」に受け入れられていたのは、それが普段から見ている「ニコ動」と同じようだ、と感じてしまっていたからに違いない。
まぁー要するにこの方は今回のこうした仕掛けを、ニコニコ大会議というイベントを盛り上げるための装置としての実験であると捉えていらっさるように見受けられたんだけれども、これって少なくとも現時点でのニコニコに対する推察としては正しいのかしら? とか思うのですよ。というのも、イベントにこの仕掛けを提供する、という話だけだと、どうしてもその機会というのは酷く限定的になってしまうし、商売としても成り立ちにくいんじゃないかと思う。少なくとも、そういう未来がくることを想定して今からリテラシーを重ねておきましょうみたいな話に持って行くのは、あまりにも早計なんじゃないかなぁ。
「ニコニコテレビ」ならあり得るかも
個人的には、今回の試みは、「ニコニコ現実」
とやらのプロトタイプと見るよりは、むしろニコニコのコメントシステムとテレビ放送との融合を想定した実験であるように感じた。あえて名付けるなら「ニコニコテレビ」とでも言うべきだけど、個人的にはこの名称はあんまり好きになれないかな。まぁネーミングとかは非常にどーでもいーんだけど。
脳裏に浮かんだのはむしろこっちだ。イベントってのはたまにしか機会がないけれども、テレビ番組への採用という形であれば、この話はもっとぐっと現実的になるんじゃないかと思う。あのひろゆきさめのことだし、遠い夢を語るような人であるようには思えないんだよね。
ニコニコ動画では静的に保存された動画に対して、タイムラインにコメントを載せるという形をとっていた。この仕組みの特徴は、動画という時間の流れがある物に対して、その時間の流れにコメントを載せることで、動画を見ている間だけ感じられる仮想的なリアルタイム性を楽しめるっていう点、そして何より、コメントが割と長期間保存されるっていう点にあると思う。つまり、コンテンツ提供側のタイムスケジュールの都合に合わせて端末の前にいる必要はなく、いつでもそれを再生できるっていう点にあるってこと。
これがテレビ番組との連携という形になることでどう変わるかというと、そのテレビ番組が放送されているときに、端末の前にいなければいけないということになる。ということは、人気の番組を絶対に見逃せないということだ。しかも保存されているわけではないので (権利関係とかうまく調整できれば一定期間保存されたストリームを楽しめるようにはできるかも知れないけど)、瞬間瞬間を見逃しても、あとでそこをもう一度見直すということができない。そういうハンデがあると分かっていて、そんなサービスを何処まで盛り上げることができるのか? そこが課題になってくるんじゃないかと思う。
で、上記の GIGAZINE が紹介しているサービスの場合、その辺の課題に答えられている気があんまりしないんだな。むしろ、こざかしいアバターであるとかそういった流行物をちりばめることで、その辺の不安をテキトーに誤魔化しているような気さえする。
しかし今回のニコニコ大会議での「実験」が、運営的に成功裏に有意義なデータがとれた物であったとするならば、今回の出来事は割と重要な伏線になるんじゃないか、と、おいらの冴えない頭がちょっとだけ直感を働かせてくれた。
今回の舞台セットを用いた番組を作ってしまえ
よーするにこういうこと。今回のように、素人に参加させてコメントに弄らせる、という形態を毎回やるのはつらいだろうけど (萩本欽一がこんなにも嫌われるこのご時世ですし)、そうじゃなくて、ごくフツーのバラエティ番組的な物、あるいはすでに吉本から提供されているようなコント番組を、ニコニコ動画のフレームワーク上で生放送として放送する。で、その際、舞台セットとして、今回用いたような、スタジオ内にもコメントが表示されちゃうシステムを設置する。すると、ふざけたコメントを出演者が見つけて、そのコメントにわざと弄られてみたり、逆に突っ込みを入れてみたり、むしろコメントがつかないことに逆ギレして見せたりして、会場に足を運んだ観客の笑いをとる。みたいなことが可能になる。
お笑いだけではなくて、これがたとえば国会中継なんかだとどうなるだろう? ヤジは政治家だけの物ではなくなる。リアルタイムでコメントのバックラッシュが巻き起これば、それが民意であることを政治家たちは即座に知らしめされることとなるわけで、彼らの緊張感も非常に高まるのではないだろうか。
そういえば、ソフトバンクがホークスを買収するとき、オーナー審査 (だっけ?) で孫さんがいろいろとアイデアを披露していたわけだけれども、その中で、IT 技術を用いて、監督の采配に視聴者がいちゃもんをつけられる仕組みを作ったら面白いんじゃないか、みたいな話をしていたはずだけれど、あれってどうなったんだろう? そんなのも、今回のニコニコの仕組みを使えば、実現できちゃうはずだ。実況のモニターにも表示されて、解説が即座に受け答えできたりすると、それもまた面白いんじゃないかな。
そんな感じで、いきなり現実全般に適用しようというのではなくて、あくまでテレビ番組という枠内であれば、いくらでもおもしろおかしく応用可能なアイデアであると、おいらは思ったわけだ。
かつてテレビ番組においては、タレントが素人を弄ることで、番組を盛り上げようとする文化が横行していた。その時代に生きていた人々は、そうした文化を受け入れ、ともに楽しんでいた。しかし時は流れ、社会の同調圧力に疲れた人々は、次第にそうしたいじり文化を標榜するバラエティ番組の古い慣習に、憤りを覚えるようになってきた。もっとも、憤りを感じているのはまだまだ「一部の人々」なんだろうけれども。
しかしニコニコは、もしかしたらこの文化を、全く逆転した楽しみに変えてしまうかも知れない。今度は視聴者が、バラエティ番組を、はたまたその他の様々な番組を、いじり倒してやるターンなのだ。ならば存分に楽しんでやろうじゃあありませんか。
なーんつって煽ってみたりして。むふ♥
まあ過去の歴史的事件にあてはめて、というよりもむしろ一般名称としてのファッショ的事態といったほうがふさわしいだろうか。ニコニコがファッショと親和性があるというのは初音ミクの話をしたときに一度指摘したのだが、今回のニコニコ大会議はまさにそのような事態であろう。
ベンヤミンはファシズムの本質を「政治の耽美化」であるという。ニコニコ動画においてそれは「おもしろ化」である。まさに「ニコニコ」がスローガンなのである。あらゆるものをおもしろくすることこそが「ニコニコ的現実」に他ならない。たとえば、国会中継をニコニコ化すべきだという意見がある。なるほど、国会中継をみんな見るようになるかもしれない。しかしそれはおもしろ化された国会中継であって、政治が行われている場としての国会中継ではない。それは何をもたらすか?単純である。つまり、郵政選挙なんかよりもっと酷い事態だ。
なるほどねー。だとすると国会中継とかへの応用って案は難しいね。リアルタイムだとモデレーションする間もないしね。ちと軽率だったかもな。
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