「非モテ」を整理。2008年08月04日 01時41分19秒

まだ考えがまとまらないので、とりあえず言葉の意味だけ整理してみます。

前回の記事では、単純に「モテ=モテる人、非モテ=モテない人」の意味をベースに、「非モテ」という言葉だけが一人歩きしているんではないかという誤解の上で書いていました。そのため、以下のような反論をいただいています。

  • rAdio なんで誰も彼も、この問題における「モテ」の認識をこうも同じように勘違いするんだ?故意なのか?恋なのね。
  • kurokawada 皆さん、「非モテ」という言葉を検索する手間を省きすぎです。
  • kanose 非モテはモテという言葉から生まれたけど、モテは他称で非モテは自称の言葉で…とか歴史を自分がはてなキーワードで書いているので読んでください
  • y_arim 「モテ」の意味からして違う。やりなおし。

もともと「モテ」という言葉から生まれてはいるため、誤解されやすいが、現在の用法としては「非モテ」の対義語として「モテ」が配置されている訳ではないことに注意。「モテ」は第三者による評価だが、「非モテ」は自意識の問題といえる。

「モテる」とは複数の異性から恋愛対象として求められることを指しているが、「非モテ」における「モテ」の意味することは、もっと原始的な、他者(異性だけではなく)から求められるという意味に変化している。他者による承認が得られないという悩みなのだ。

中でも、恋愛経験がないために、一人でもいいから異性に好かれたいという恋愛による承認を求める人が「非モテ」を自称することが多い。「非モテは複数の人にモテたいんでしょ。そんなモテる人なんてごく少数で、一人の人に愛されればいい」というような発言は、非モテという言葉を見かけた時によく見かけるが、これは誤解である。

その一方で、「モテるための努力を回避する」という恋愛至上(資本)主義へ批判的態度およびその人のことを指す場合もある。

後者の非モテはさらに挫折型←→非挫折型、恋愛至上主義そのものからの退却←→恋愛(モテ)資本主義からの退却と大きく4つの型に分類できると思われる。

なるほど。承認欲求込みで初めて「非モテ」になるわけか。ていうことはどちらかというと、ここに差別が見出されることが社会問題だとするよりは、「非モテ」を自認するプレイヤーが続発すること自体が社会問題だと考える方が自然だね。

ただ、これをどういう問題だと考え、どういう対処を施すべきかと考えると、何気に難しい問題なのではないかと思う。まず、「非モテ」を自認する人が続発する原因がどこにあるのか。ストレートに関係性に恵まれない人が増えているとする考えもあると思うし、そこに問題を見出すならば、前回書いたように子育て・教育環境の改善に繋がるような制度設計が功を奏するかも知れない。ただ、それと同時に、ネットを介したコミュニケーションによって、「非モテ」を自認していることを口外しやすくなったために、元々潜在的にたくさん存在したこの手の悩みがおおっぴらに顕在化するようになっただけ、という可能性もある。顕在化したこと自体は、悪いことではないと思う。あるいはその両方であり、関係性に基づく問題はだいぶ前から深刻化していた可能性もある。

価値観の問題もある。この国でも価値観は多様化していっているといわれているし、実際一応はその通りだと思う。でもその一方で、個々人の寛容さが、多様化に追いついていないように思う。そのため、実際には非常に狭い価値観の中で、「憧れ」の偶像が作り上げられがちになる。見た目の良さとか、会話の弾みやすさとか、財力とか。で、その辺のありがちな要素のパラメータ競争に終始する中で、はじめからゲームに参加する意欲が沸かない人々がまず脱落する。これが非モテで、彼らはルールにとらわれない、よりナチュラルな関係性の構築を夢想する。それ何ておいらだw

…まぁ、彼らが夢想する「ナチュラルな関係性」ってのが、果たして本当にナチュラルと言えるかどうかは別として…それこそ個々人の価値観に委ねられるところがあるしなぁ…。閑話休題。

ある程度の統計情報があれば、この時点から特に酷くなった、というのが分かれば、対処方法も導きやすくなると思う。調査すべき情報を洗い出してみる。

  • 結婚年齢

    ある頃から晩婚が多くなったといわれているけれども、そのターニングポイントに何があったかを重ねてみる。見合い結婚の陳腐化や、高学歴社会による影響が大きいはずで、あまり当てにならないかも知れない。

  • 離婚世帯数とその年齢、結婚からの時間

    社会倫理の軟化により、離婚のハードルが下がっているので、これもあまり当てにならないかも知れないが、成田離婚などと呼ばれるような、結婚からの時間が非常に短いケースが若い世代を中心にある時点から急増しているのであれば、その世代を境に異性間のコミュニケーションに何らかの変質が生じている可能性があるかも知れない。

  • 出産年齢

    未婚の内に出産を経験するケースを含めた場合、結婚年齢よりは純度の高い統計が得られるかも知れない。

  • ポルノグラフィーの売上高

    まぁーモテだって買うしアテにはならんけどね。

  • 若年者の自殺者数

    非コミュとの相関性はあると思う。

  • ファッション誌の売り上げ推移

    あーそうか、ポルノよりこっちの方がよっぽどアテになるわ。

あんまり決定打が思い浮かばないなぁ。あとは実際に小中高生や学生、20~30代を対象にアンケートを実施するとか。

とりあえずメモは以上。またそのうち、何か書くかも知れませんです。


ちなみに雑感。これは社会問題としての視点とは無関係であり、蛇足です。

承認欲求については理解はできるんだけれども、正直なところ、実感は薄いです。この辺はまだまだおいら自身に想像力が足りていないところがあるので、何か本を読むなりして学んでおく必要があるのだと思います。

例えば、一人でもいいから異性に好かれたい、という感覚というのが、おいらにはいまいちすんなり体に溶け込んでこないのです。というのも、おいらの場合、「自分が好きになった人には、好かれたい」という思いの方が、より自然だと思うからです。

好かれるとか嫌われるとかっていうのは、もう完全に他者に依存する出来事なので、これが受動的なのは当然なのですが、その一方で、他者を好きになったり嫌いになったりすることでさえ、あまり能動的なこととは思えないのです。もちろん、第一印象レベルで人を好きになったり嫌いになったりすることの多くは、ちゃんと言葉で説明できるような理由があるのですが、その一方で、多くの時間や体験を共有した人との関係においては、そのエネルギーがより強く、根深いものになりがちです。そうなると、何らかの出来事を通じて酷い目に遭い、あるいは裏切られ、そうして絶縁することになったとしても、どこかでそのことに対する負い目を引きずり、深い後悔に苛まれながら日々を暮らすことになったりするし、その一方で、そうやって絶縁してしまったもの同士が、後に仲直りする可能性ってのは、絶縁前の関係性の深さに反比例するんじゃないか、っていう感覚というか不安がある。で、一度そういうことを経験してしまうと、何より自分自身の感情に対して疑心暗鬼になってしまう。おいらが好きになったこの人のことを、自分は本当に好きで居続けることができるのだろうか。裏切らずにいられることができるのだろうか。って。

一人でもいいから異性に好かれたい、という言葉を字面通り真に受けてしまうと、そこに自分が本当に考慮されているのかな? と不安になるのです。人の機嫌には波がありますから (個人差もありますが)、時として必要以上に辛く当たるということはままあります。人を好きで居続けるっていうのは、その手の荒波を、満潮も干潮も、常に受け入れ続けるっていうことでもあります。

…それができなくて、当たり障りのないつきあい方しかできないのに、それでも愛し合っているのだと信じ合っている人も、中にはいるような気もします。

とにかく、人を好きになるっていうのは、好かれることほどではないにせよ、何気に難しいことなんじゃないかと思うのです。そして、人を好きになれない人は、人から好かれていることにも、なかなか気づけないものです

なので、もし仮に、個別にアドバイスする機会があるのだとしたら、とりあえず、人を好きになりたいって思うことから始めたらええんでない? と言うことになると思います。好かれるための仕掛けとしての、ファッションだの鍛錬だのなんて二の次です。そんなのは、おいらみたいな重度の面倒くさがりでもない限り、どうしようもなく好きな人ができちゃった時点で割と誰でも必死になっちゃうものですから。