IIJの鈴木氏ぐらいか、状況が正しく認識できているのは。2006年03月24日 16時35分51秒

IIJの鈴木氏は、ただ乗り論を個別アプリケーションの問題ではなく、インターネット全体の問題ととらえている。ブロードバンドが普及し、エンドユーザーが広帯域を使って自由にコンテンツを楽しんだり、発信する時代になった。しかし、「それに対して、誰がどういうコストを負担するのか。決め事はない。低コストで広帯域を実現したいまのインターネット・アーキテクチャの矛盾が、ただ乗り論として出てきたといえる」と語る。「インターネットの根幹のコンセンサスがいかにいい加減だったのかが、ただ乗り論で露呈した」

ただ乗り論を突き詰めると、トラフィック急増に対応するためのISPや通信事業者の帯域確保や設備投資のコストを誰がどのように負担するのか、という問題になる。鈴木氏は「難しい問題」としながらも「(サービスの)利用者が負担しないといけないかもしれない」と話す。サービス事業者だけがISPのインフラコストを負担し、エンドユーザーの料金には上乗せしない考えもあるが、鈴木氏は「たぶん利用者が負担しないと広告収入のコンテンツビジネスは成り立たないのではないか」と述べ、サービス事業者だけに負担を求めるのは難しいとの考えを示唆した。

鈴木氏が想定している利用者への課金方法は、現在主流の定額料金をユーザーの利用トラフィックに応じて段階的にする仕組みだ。定額料金を超える利用については従量課金を行うこともあり得る。ユーザーが支払った料金の一部はサービス事業者を通じてISPのインフラ整備費に回される。IIJの三膳氏は「利用アンペアに応じて数段階を設定している電気料金的な考え」と説明する。

しかし、定額料金の段階化はユーザーの反発が予想される。かといってISPが一斉に導入すると独占禁止法に触れることも考えられる。鈴木氏も「ISPとしてこの問題にすぐに統一見解を出すべきではないと思う」としていて、一斉導入には否定的だ。また新たな課金システムの導入は新規の開発コストがかかり、中小のISPには厳しい。

具体的な提案があるのが好印象やね。個人的には、段階化の際に以下の原則を盛り込んでいただければ十分かと思う。

  • 契約時に転送量の上限を設定し、上限を超えた場合はそれ以上通信できないようにするか、警告メールを配信した上で月末まで従量課金する。あるいは月ごとの転送量累積がいつでも確認可能な仕組みを提供する。
  • トラフィックをあまり喰わないユーザーのために、従来より安いプランを用意する (DSLインフラの契約料とかに比べればISPの契約料なんてスズメの涙ほどなんで、これが安くなったところで大して嬉しくはないかも知れんけれども)。

トラフィックではなくて「転送量」なのが味噌。上下 50Mbps の光回線を占有して使ってるような人は、上下 50Mbps を使い切りたいというニーズを持ってそういうインフラを導入した可能性もあるわけで、それを ISP 側がプランニングで制限することはすべきではないと思う。昼夜かまわず使いっぱなしの人からはいくら徴収してもいいと思うけど。転送量課金なら上限越えの追徴課金もしやすいからね。

ウイルス、ワームなどのマルウェアに感染したために、知らない間に転送量を使い切ってしまうというケースもあると思うけど、それは基本的にユーザー側の責任ということでいいと思う。上水道管水漏れと同様。ただ、そうした場合に、そういったケースに対応した保険商品 (通信インフラ損害保険) が存在していたりすると非常にありがたかったりはするんだけどね。

何にせよ、Winny みたいなトラフィック使いまくるツール使ってるようなユーザーはもちろん、Web上を徘徊しまくってるような人たちも、今後はネットワークインフラにかかるランニングコストが高くなる可能性を覚悟しておいたほうがよいと思う。

Microsoft 社員のプライド2006年03月24日 21時23分21秒

多くのセキュリティー問題に直面し、多くの責任をこなしてきた。その過程で、多くのことを学んできたからこそ、多くのことを語ることもできる。

自分の仕事に誇りを持つとは、こういうことを言うのだ。プライドがあるからこそ、他人の仕事に対して意見ができる。

こういう人間はどこへ行っても仕事を全うしようとするし、多くの場合は全うすることができるだろう。実力があるからこそプライドが伴うのであり、「あいつはプライドばかりで…」という言葉は意味を成していない。

そしてプライドのある人間ならば仕事をする場も選ばないはずだ。もちろん、環境に対する希望はあってよいし、むしろそれを優先すべきだろう。自分が如何に劣悪な労働環境に虐げられているのかを正視しようともせずに、与えられている場に甘んじすがりつこうとする人間の、その態度を作り上げる行動原理を、おいらはプライドなどとは呼びたくないのである。