その問題は Web3.0 では解消されるのかしら?2006年12月01日 20時39分38秒

とりあえず、小泉さんのおかげで、国民の投票行為でさえコントロールして利用することは可能であることが証明された昨今において、「投票に行かない人は搾取される」も無いだろうとか思ったりもするのですがそれはそれとして。

たしかに、民主主義の原則は発言することにあるのかもしれませんが、翻って、最低限発言しない限り権利が担保されないような状況が簡単に作られてしまう社会に、民意はあるといえるのでしょうか?

Wikipedia における平野啓一郎氏の例が取り上げられていますが (そもそもこんな出来事があったこと自体知らなかったというか、あんまり興味なかったわけではありますが)、そもそも Wikipedia という場所は、中立的な観点でのみ物事を記述することが許されるべき場所です。そうでなければ、百科事典としての Wikipedia 本来の機能が失われるからです。この場合、Wikipedia 本来の機能を守るべく培われるモラリズムのことを民意というのであれば、「内容酷似問題」の記述は「民意のない記述」ということになります。

# 平野氏のブログにおける記述が事実であるならば、「内容酷似問題」に触れる場合、最低限、それが「噂の真相」においてのみ報じられ、佐藤亜紀氏のサイトにおいてのみ語られていることも書かねばならなかったでしょう。「問題」という以上、それがどの程度の範囲において波及し、報じられ、その結果、関係者の立場・行動にどのような影響を及ぼしたのかが明かされなければ、フェアとはいえません。「中立的な観点」についての理解を早めたければ、今回のことについてまとめられたノートもまた、参考になるでしょう。

民主主義は、それを構成するコミュニティーとしての民衆の「民意」によって機能するものです。もしも、現状の Web2.0 が強いる世界が、「沈黙は悪である」というものであるならば、それは「民意」が低い為に、本来望まれるべき民主主義が、正しく機能していないことの証左です。

Web2.0 では、発言のためのインフラは充実したものとなってきました。以前、こちらの記事にて、「発言せざる読み手」という概念について触れましたが、Web3.0 へのバージョンアップに際しては、この辺の考え方がキーになるのではないかと睨んでいます。

いや、正直言うと、Web2.0 だの 3.0 だの、そんな記号的なキーワード自体には興味は無いのですが、仮に、民意の底上げが、システムによって図られ、それがうまく機能するということがありうるのだとするならば、そんな仕組みには結構興味がそそられます。研究課題としては悪くないんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?

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