議論の意義2006年12月31日 15時31分55秒

久々にコメント欄が盛り上がった今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。先の議論が多くの人々にとって、意義のあるものであったことを、切に願うばかりであります。

おいらは議論の意義とは、知の共有であると思っております。もちろん、正解のない議論というものも間違いなく存在しますし、必ずしも結論を出さなければならないというわけでもありません。かといって、既に結論が出されている物事に対して、議論があってはならないとも思わないし、結論が出たらそれで必ず議論を閉じなければならないとも思わないわけです。

情報技術者が Winny などのファイル管理不能なファイル共有プログラムに対して取るべき見解については、共通認識が既に出来上がっていると言って良いと思います。それについては、「議論の余地はない」と言っても差し支えないでしょう。でも、「議論があってはならない」わけではありません。綿密に議論を通さなければ、そもそもこうした共通認識を、彼らが何故、理解できないのかを知ることもできないからです。このような知の共有は、共通認識として広めるべき事項を、どのようにして広めてゆくべきかと言う戦略を練る上で、重要になってくるのではないでしょうか。

hidew さんのケースでは、そのポイントは「Winny は非常に危険なツールである」という言葉に集約されているように思います。「Winny は危険」という固定観念のみが先行し、Winny が「何故、危険だと言われているのか」が十分に周知されていない現状が垣間見られたように思います。処方箋としては、おいらがコメントで書いたような、本人に説明させる、その上で、見識の相違点について説明する、というスタイルはそれなりに効果的なのではないかと思います。他に、他の類似する (同じように危険であるように見えて実は) 危険ではないケースとの比較を示すという方法も有効かもしれません (Winny はネットワークに繋がっているから危険→WinMX が Winny ほど危険ではないと言われる所以は? とか)。

もう一つ、重要な点として、メディアや書籍による影響力も、決して無視できない要素であるように思います。これらのソースから得られる情報の信憑性を評価するのは読み手・視聴者の責任だ、と言うのは簡単ですが、現実問題として、すべてのケースにおいてそれが絶対に可能な人というのはなかなかいないでしょう。その人にとって決して得意ではない分野であれば尚更です (多くの Winny ユーザーは情報技術者ではありません)。そういう人々が頼らざるを得ないメディアや書籍などの場において、素人談義が垂れ流されるべきではないのは確かです。もちろん、時代に応じたコンセンサスというのはありますので、湯浅氏の本を一方的に責めることはできません (つかそもそも読んでないから批判のしようもないけど)。対論を要するならば、誰かが正しい内容で本を出してバランスを取る必要があるかもしれません。

いずれにせよ、理解に乏しい人間が、誤った認識で発言を繰り返している状況に対して、「あきれた」とか、「どうしようもないね」とか、「まぁ一人ぐらいいいか」とか (^_^; 、ネガティブな心象を吐露するだけしてほったらかし、というのでは、到底フェアであるとは思えません。議論の場に引きずり込んだ以上、責任は果たすべきです。せめて、「ここにすべて書いている」っつってリンクを示すぐらいはしてあげて欲しいです。高木センセーに足りない部分があるとすれば、そういう部分なんではないかと思います。別に義務でもなんでもないんだけどね。

まぁ、でも、議論の場に引きずり込むこと自体にも、それなりに意義が無いわけではないので (事実おいらは有効に釣られたw)、それを差し控えさせたくて言っているわけでは無いのですが。

それでは、以上を持ちまして、年末のご挨拶に代えさせていただこうかと思いまする (なんちてw)。来年もよろしゅう。。。

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