ネット君臨論2007年01月05日 14時46分24秒

企画としては面白いと思うのですが、マイマイクラブのブログがトラックバックを受け付けていないのが残念。コメント欄に寄せられるコメントはネガティブな表出のノイズが多く、読んでて疲れてしまいまする。

記事については、今のところboussk 氏の見解に近いかな。全体に、結果の描写に対して、経緯の描写が足りない気はする。でも、元旦の記事に関してのみ言えば、それでもかなりの関心を以って取材されているなぁという感じはしました。最近の毎日にはあまり良い印象を持っていなかったので、その割にはよく取材されている、という印象です。

上田さくらちゃんの件

まったく関心を寄せていなかったっちゅーかよーするに知らなかったのですが、ソースとなりそうなリンクを示すと大体以下のような感じでしょうか。

最後の記事はバランスを取る為 (笑) に紹介。まぁ、家が 2 億ってのは、憶測だよな。この人多分自分で家を持ったことがない (←というこの記述ももちろん憶測)。

件の「死ぬ死ぬ詐欺 まとめサイト」とやらが既に潰れちゃっているらしくて見つからなかったのは残念。

募金の是非についてはここで書くつもりはありませんが (ていうか例えネット上での世論が肯定的であってもおいらはたぶん応募金しないと思う)、有名税を避けるためのみみっちい手管やなんかは確かにアンフェアに見えるところもあり、ネット上でのある程度の紛糾も仕方ないかなとは思う。

ただ募金詐欺についてのみ言えば、これはモラルの問題じゃなくてシステムの問題なんじゃないかと思う。TRIO JAPAN とやらがきな臭い組織であるかのように言われているが、臓器移植手術に金がかかることは分かっているんだから、関係する業者や医師会が主導でそれに順ずる組織を作って、どの患者に対しても平等に医療費をまかなえるような基金を設立し、そこで恒常的に募金を募るというシステムにすればいいのではないか? そもそも移植手術を必要とする患者は一人や二人ではなく常に出現し続けているというのに、テレビなどのメディアに取り上げられたりして救われたり、関係者が自ら行動を起こして募金を募るようなケースというのは、結局のところ単発のケースに対するその場限りの解決しか生まないわけで、そういうのに対してテレビで見て涙流したり募金に応じちゃったりする人というのは、その特定の人に対する「助けたい」という気持ちは生じたのかもしれないし、それを否定するつもりはさらさらないんだけれども、臓器移植手術全般に対して「解決したい」という意思表示にはなっていない。なっていないのに、そういうつもりで募金に応じちゃっている人も少なくないんじゃないかと思う。

ネタにして騒ぐ連中についても、結局はその場のネタとして面白いから騒いでいるだけで、問題の本質について言及している人、その後もその問題について追い続けている人というのは少ないんじゃないか? 当時騒いでいた連中で、今回の毎日の記事を読んで思い出したという人も少なくないんじゃないか? この辺については、ほっとけないホワイトバンド問題にも通ずるところがあるんじゃないかと、おいらは思うぞ。

結局のところ、議論を求める声を張り上げる連中自身が、本質的な議論をちっとも成立できていないんだ。これは本当に残念なことだ。

2ちゃんねるとひろゆきと訴訟について

ひろゆきって、うちの兄貴のことじゃないぞ。w

記事ではあるどうでびと氏の事について触れているが、まぁ、なんにせよ、2ちゃんねる管理人であるひろゆき氏に対して民事訴訟を起こしている人々や、それに応じて判決・命令を出している裁判官は、ネット上での言論のあり方やルールが理解できていないんだなというのは分かる。彼らは削除を要求するわけだけれども、ネット上での中傷に対して、「削除」は大した抵抗力を示さない。何故なら同じ言論は繰り返されるし、それは 2ちゃんねるじゃなくても行われてしまうから。

ネット上での中傷に対応するには、必要なのは「削除」ではなく、「訂正」である。あるどうでびと氏に関していうならば、あるどうでびと氏自らがネット上で見解を示さないことには、そもそも自体は収まりっこない。これは、少なくとも Web2.0 までの世界においては変わらないルールだ。Wikipedia ですら、虚偽の情報で特定の人や人々を中傷する。週刊誌を相手にするのと同じようなやり方で裁判を起こして対応したって仕方がないのだ。

ただ、2ちゃんねるってシステムにまったく問題がないとも思えない。管理者に管理能力が負いきれなくなっちゃっているって点もそうなんだけど、そもそも匿名性を重視するあまり、匿名で「しか」情報を書き込めないようになっちゃっている (本人性の信憑性が評価できなくなっちゃっている) って点が、侮辱に対する反論をやりにくくしちゃっている一つの要因にもなっているように思う。dat 落ちすると見れなくなっちゃうってのもまずい (つか、それを商売のネタにするなよと)。例えば「署名つき反論フォーム」みたいなものが、削除依頼板とは別個に用意されたりすれば、中傷の煽りもある程度は抑制できるんじゃないかと思う。このフォームにトラックバックが利用できればなお良い。

まぁ、ブログなんて便利なものがあるんだから、それ使えばいいじゃん、で済みそうな気もしなくもないけどね。

ただ、最近思うんだけど、2ちゃんねるって、イマイチ 2ちゃんねる以外との繋がりが希薄だよな、って思えちゃうのよね。まぁ、2ちゃんねるに限らず、多くの掲示板主体のサイトにも言えることだけど、ログが流れて dat 落ちする 2ちゃんねるには特に言える事のような気がする。2ちゃんねるって、ひろゆきがいうような「ネットの一部」というよりは、どちらかというと mixi みたいな、独立したコミュニティを形成するもの、という印象の方が強いように思う (もちろん、そのコミュニティは 1 つではなくて、板やスレッドに応じてある程度細分化されているわけではあるのだけれども)。だから、2ちゃんねる使っていない人は 2ちゃんねらーを偏見しがちだし、2ちゃんねらーは 2ちゃんねらーでその中での常識がネットの常識のすべてだと思い込みがちなところがある。帰属意識ばかりが無駄に高くて、自分がない人が多いという意味では、まさに日本の村社会の縮図、って感じもしなくはないけど、それならばその村社会的な悪しき性質をどうにかするという実験がなされるのも、それはそれで有益な気がするんだけどどうなんだろう?

多くの 2ちゃんねらーは保守的で、人権擁護法案のときにも見られたような、「変えたくない」という意識の人が多いように思うけれども、「より良くしたい」という意識の人はあんまりいないような気がする。これもまた、今の日本の民主主義的性質の縮図と言えちゃうのかな。まず前提に「あきらめ」ありきというか。

ペドフィリアについて

これは内容的にはネットの問題ではないね。ペドフィリアについて語るならば、「倉橋のぞみ」や「ぷちトマト」や「蛭児神建」といった辺りの時代について触れないのはフェアじゃない。まいまいクラブの方でコメント欄にて、「妖精ソフィー」について言及しているコメントの方がおいらとしては興味深い。児童ポルノ法はインターネットが普及し始めた 1999 年、蔓延する児童のわいせつ画像を規制する為に、ユニセフの要請を受けて施行された比較的新しい法律であり、ネットに絡めて語るのであれば、その法律が芸術シーンに対して少なからず与えた影響のほうがよっぽど意味があるように思う。

もちろん、元々あったアングラコミュニティが、ネットを介して拡大しているのは確かであり、それによって被害までもが拡大しているのであれば、ネットに絡めて取り上げる価値は十分あると思う。個別のケースについて取材するよりそういう部分について傍証するほうが記事としては面白くなったんじゃないかなぁとは思う。

あと個人的には、ネット警察があぷろだのパスワードロックごときで音を上げている現状はなかなか興味深いなぁと思った。リアルでの捜査とネットでの捜査は基本的に変わらないはずなんだけどね。あぷろだ直接覗くだけじゃなくて、コミュニティを見つけ出して聞き取り捜査するぐらいやらなきゃダメだよ。つか、その労力でさえ、リアルでの聞き取り捜査と比べりゃ全然楽な仕事だと思うんだけどね。

会社員とネットについて

そもそも毎日の記事が結局のところ何が言いたいのか分からない記事になっちゃっているんで、おいらとしても何を書けばいいのかよくワカランです。強いて言えばまぁ、NSFW に関する配慮を広めようぜ、ぐらいかなぁ。あと、最後の 3 行は単なる笑い話じゃねーか、とか。

NEVADA タソの件

誰もが忘れかけていたであろうネタを思い出させてくれたという点についてはエライと思う。

記事全体についても書いておこう。メールもネトゲも mixi もコミュニケーション手段を提供するツールではあるが、直接の会話と比べてどちらが優れているとか劣っているとかいう類のものではなくて、うまく使えば便利なツール、以上でも以下でもない。でも、実際にはこのツールをうまく使えるのは一部の大人たちだけなのかもしれない、とは思う。

例えば普段学校や職場や家庭で顔をつき合わせている人たち同士で mixi コミュニティを形成するのはあんまり賢い使い方じゃないんじゃないかという気がする。こいつは普段あんまり会う機会のない人々と連絡を取り合って、off をやる場所や日取りの企画を練るには便利なツールなんだが、そもそもお子様がそういう人付き合いを持っている可能性ってのは決して高くない (せいぜい、引越しで転校したことがある子が、転校前の学校での友達とやり取りするのに使えるぐらい)。で、普段学校での付き合いのある友達とメル友になったり mixi 仲間になったりするわけなんだけれども、そうなると学校での話題や出来事がそのままネット上にも持ち込まれたりすることになるわけで、それがトラブルの原因の一つになったりする訳だ罠。

おいらとしては、子どもに限らず大人もなんだけど、学校や職場のコミュニティ一つに限らず、人はもっといろんなコミュニティに属するべきだと思う。そうしたコミュニティのいくつかは、なかなか全員が顔を合わせて行動を共にする機会が得られないものもあるんじゃないかと思うし、そういう場において連絡をシームレスにこなす為のツールとして、ネットは有効だと思う。今はそもそも、ネットの使い方をみんなわかってないのに、必要以上に使いたがっているだけなんだな。まさに、ネットを使うこと自体が目的になっちゃっている、って感じ。

で、事件のことに話を戻すならば、これはもう、ネットがあったから起きたわけではない事件だというのは、「別の同級生の母親」のコメントからも明らかだと思う。「誰かが聞いてあげていたら」 — 。その反省が生かされることこそが、すべてなんじゃないかな。

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