おいらは帰属意識自体はそんなに嫌いじゃないのですよ。2007年01月14日 04時11分39秒

一見、核心を突いているように見えなくもない文章なのですが、実際のところ、文中の「2ちゃんねらー」を、「日本人」に変えても、「ブッシュJr.」に変えても、あんまり違和感を感じないぐらいの普遍性はあるなぁ、というのが正直な感想。

そういえばおいら自身、つい最近 2ちゃんねるユーザーの帰属意識について指摘したような気がするなぁと思いつつ過去記事漁ってたらやっぱりありました。せっかくなので引用しておきますね。

ただ、最近思うんだけど、2ちゃんねるって、イマイチ 2ちゃんねる以外との繋がりが希薄だよな、って思えちゃうのよね。まぁ、2ちゃんねるに限らず、多くの掲示板主体のサイトにも言えることだけど、ログが流れて dat 落ちする 2ちゃんねるには特に言える事のような気がする。2ちゃんねるって、ひろゆきがいうような「ネットの一部」というよりは、どちらかというと mixi みたいな、独立したコミュニティを形成するもの、という印象の方が強いように思う (もちろん、そのコミュニティは 1 つではなくて、板やスレッドに応じてある程度細分化されているわけではあるのだけれども)。だから、2ちゃんねる使っていない人は 2ちゃんねらーを偏見しがちだし、2ちゃんねらーは 2ちゃんねらーでその中での常識がネットの常識のすべてだと思い込みがちなところがある。帰属意識ばかりが無駄に高くて、自分がない人が多いという意味では、まさに日本の村社会の縮図、って感じもしなくはないけど、それならばその村社会的な悪しき性質をどうにかするという実験がなされるのも、それはそれで有益な気がするんだけどどうなんだろう?

多くの 2ちゃんねらーは保守的で、人権擁護法案のときにも見られたような、「変えたくない」という意識の人が多いように思うけれども、「より良くしたい」という意識の人はあんまりいないような気がする。これもまた、今の日本の民主主義的性質の縮図と言えちゃうのかな。まず前提に「あきらめ」ありきというか。

で、松永さんは 2ちゃんねらー的なキモチワルさの原因を、「帰属意識に基づく正義感」と説明していらっさるわけなんだけれども、おいらとしては、それはあんまりにも一般論過ぎる説明なんじゃないかなぁとか思ってしまうわけであります。2ちゃんねる的な正義感というのは、それ自体はたしかに 2ちゃんねるに限らず、身の回りの人間関係においても、あるいはワイドショーなどに代表されるようなメディアにおいてもそれなりに見られるものではあるのですが、2ちゃんねる的な現象、とまで行ってしまうと、流石にどれもこれも漫画的過ぎて、特殊と言わざるを得ないものが多すぎるんではないの? と思わざるを得ないのです。

世界各国で市民運動があったり、暴動やデモが起こったりするのに比べれば、日本人は驚くほど温厚です。そんな、日本人の為す社会の中で、2ちゃんねらーだけが事あるごとに、決起し、結集し、off と称して何かをやらかす。それも、プロ市民とかでもなんでもない、お互いに面識すらない素人集団がです。このような現象を、「帰属意識に基づく正義感」だけで説明してしまうには、ちょっと弱いんじゃないかと。そう思えてならないのです。

で、じゃあその本質として数えるべき成分は何なのか、と問われても、すぐに回答はできないのですが、考えられる要素はいくつかあります。軽く列挙すると大体以下のようなものです。

  • 匿名性
  • 盲目性
  • 民度の低さ
  • 親近感

匿名性の高さは、単純に、行動に対する理性的抑制を弱くします。これは、実際に顔をつき合わせる off の場合でも同様で、実生活における帰属を隠匿する (あるいは隠匿されることが保証されている) ような状況では、理性による行動の抑制は弱くなります。つまり、「何をやらかしても (自分に) 危害は及ばない」という気になりやすくなります。

個人の価値判断において、それが善行であるか否かを問う以前に、「それをやったら (社会的に) 嫌われるかもしれない」とか、「それをやるのは (社会的に) 恥ずかしい」という思いが、集団の中における自己の行動を抑制するのは、ごくごく当然のことです。そういう意味での抑制の「たが」が外れるため、純粋に善行であるか否かの価値判断のみによって行動しやすくなりがちになるわけです。

盲目性については、上記で引用した、おいらが以前書いた記述においても、以下のような言葉で既に指摘しているのですが、

2ちゃんねらーは 2ちゃんねらーでその中での常識がネットの常識のすべてだと思い込みがちなところがある。

近頃ではそうした価値観を覆しかねないものとして、例えば mixi なんてものがあったりするわけですが、これに対して匿名原理主義的な一部の 2ちゃんねらーが「こんなシステムはダメなシステムだ」としてあの手この手で攻撃を仕掛けている。まぁそれはそれとして。

よーするに、自分達が帰属する (あるいは帰属 {している / したい} と思っている) 世界以外の世界を、見ようとしなかったり、見えていなかったりする。従って、2ちゃんねるという特定の世界のみ (において流れる情報・言説) を盲信してしまいがちになる、ということ。

もっとも、これについてはなにも 2ちゃんねらーに限ったことではなくて、例えばリンクフリー原理主義的な一部のモヒカン族であるとか (この辺で議論されているような「欲求」について考えが至らないという「盲目」さ)Winny 擁護に走る一部の自称技術者であるとか (この件についてはつい最近まで当サイトでもさんざん議論しまくったわけなのですが)、例示しだすと枚挙に暇無いわけではあるのですが。しかし 2ちゃんねる界隈 (特に、匿名原理主義的な人々) には良く見られる、「ハンドル名も本質的には匿名となんら変わらない」とか言っちゃう人々は、議論の文脈における発言の一貫性について思いの至らないところが大きすぎるように思うし、「ネット上の罵詈雑言はノイズ。被害と感じるのは弱いからだ。」なんて言えちゃう人々は、ネガティブなコメントが多く寄せられる状況に対する心理的プレッシャーや人間の経験的個性に起因する「特殊な弱さ」に対して思いが至らなさ過ぎるように思うし、他にも言いたいことはたくさんあるんだけれども、とにかくあまりにもたくさんのことに対して、自分に都合のいいようにばかり目を瞑りすぎなんじゃないの? ということが多いように思えてしまう。

民度の低さは盲目性にも関連するんだけれども、結局のところ、議論らしい議論が活性化しない点、に尽きると思う。これについては、例えばブロガーと比較すると、動機の面からもある程度説明できる。様々な切り口から議論を展開しようとすれば、その執筆者は頭が良いと評価され、注目される。ブロガーは注目されることに意義があるけれども、掲示板の場合、>>1 さん以外はあんまり意義がない。で、ブログの場合はトラックバックがあるおかげで議論は活性化しうるんだけど、掲示板の場合、クレバーな >>1 さん同士の (読者の引っ張り合いになるような) 議論という図式は、まず有り得ない。だから、有益な議論が起こりやすい土壌も成り立ちにくいし、コメントを書き込むユーザーもその多くは基本的にはあくまで読者か、せいぜい利用者に過ぎない。だから、一方的な情報・意見に流されやすくなるし、扇動に対して動員されやすくなってしまう。「それはどうだろう」と言ってブレーキをかけてくれる人間が、なかなか現れなくなってしまう。

最後の「親近感」は、帰属意識にも近いんだけれども、例えば共感によって生まれるもの (クリスマス→寂しい→吉野家行こうぜ→乗った! みたいな)、目的の共有によって生まれるもの (MX 逮捕者出た→タイーホされずにダウソしたい→Winny 作るよみたいな)、嗜好の一致によって生まれるもの (ロリペドとか)、そういう「状況」がつくりだす人と人との、好意的なコミュニケーション劇が、結果として、気付かないうちに、全体の意に逆らい難い空気を作り出してしまう可能性。特に 2ちゃんねるは話題のカテゴリ分けが「板」という単位でキッチリ為されていて、更にその中でトピックが「スレッド」という単位でキッチリ分けられている。板違い・スレ違いはご法度で、さらにスレの重複もご法度。だから、例えばある作品について語るスレッドができたとして、そのスレッドが、「この作品ダメだよね~」という流れで盛り上がっちゃうと、みんなそういう流れで話についていこうとしてしまう。で、それに疲れて「○○を賞賛するスレ」とか作って難民を迎え入れようとすると、「重複はダメ」って怒られて、削除依頼を出されたりする (大概無視されるんだけど)。で、そうやってはじき出された連中が 2ちゃんねるから離れて行っちゃうので、ますます一方的な意見にろ過されていってしまう。

で、結局のところ何が言いたいのかというと、2ちゃんねるという場所は、人々が楽に馴れ合いたいのであれば、それなりに便利な場所だということ。ブログは有益な議論を交わすのに向いているし、SNS はリアルな人付き合いの延長で交際関係を保ちたい場合には便利なのに対して、匿名掲示板は、深く議論を交わしたいわけでもないし、深く親交を交わしたいわけでもないけど、同好の士がいるということを知り、できればそういう人とくだらないことをしゃべったりネタを共有したりできたら面白いな的な、ゆる~い馴れ合いを実現するには都合がいいと。そういうものなんじゃないかと思う。

いずれにせよ、これらの概念に何らかのコミュニティが発生していて、そのコミュニティに対する帰属意識を持つこと自体に、大した問題があるとは、おいらは思わないです。2ちゃんねるの悪口を聞いて腹を立てる人の心境というのは、まぁ、それはそれで可愛いんじゃないの? と。少なくとも嫌いではないです。むしろ、そういう感情がわかない人ばかりの世界ってのは、それはそれで寂しいことであるように思う。

ただ、匿名であることを濫用されたり、盲目的であったり、民度が低かったり、やたらと馴れ合いごっこだったりした結果、行き過ぎた行動や言動に発展してしまったり、そういう出来事に動員させられてしまったり、ということが起こりうるんだとすれば、やっぱりそういう場所にはどうしても近寄りがたくなってしまうし、結果として「暗黒面」的な見られ方をしてしまうのも、ある程度は止むを得ない部分もあるんじゃないかと思う。

いまいちまとまってないけど、こんなところかなぁ。

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_ しっぽのブログ - 2007/01/14 05:51:08

引用紹介、補足と反論とかです。 2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ [絵文録ことのは]2007/...

_ 投書欄 - 2007/01/15 00:44:31

自分という存在を消し去り、痛みの受け手になりえない主体をもし生み出せたら、それは容易に他者を傷つける兵器となる。

そして、それを作り出したのが、2ちゃんねるであり、はてなであり、つまりは、インターネットという技術なのだ。
おいらは帰属意識自体はそんなに嫌いじゃないのですよ。: 国民宿舎はらぺこ 大浴場よーするに、自分達が帰属する (あるいは帰属 {している / したい} と思っている) 世界以外の世界を、見ようとしなかったり、見えていなかったりする。従って、2ちゃんねるという特定の世界のみ ...