万人にリテラシーを求めるのは無理がある2007年02月15日 15時02分51秒

この記事の続き。@DRKが米欄でいいこと書いてくれたわけだけれども、

閲覧者はそのバックグラウンドに惑わされずに発言内容を吟味する必要がある。
(どんなに意味のある事を言っても、発言者のバックグラウンドによって吟味されずに全否定されること、最近特に目に付く)

(中略)

匿名だからと言って発言を無下に扱うのも、
権威だからと言って発言を特別に扱うのも、
どっちも良くわないわなぁ。

議題が社会的なものである場合、権威であるが故に、自己の主張に不利になるような情報を包み隠して発言を行ってしまう可能性はあると思う。その点に対して不安を煽ったり個人攻撃に走ったりすることが建設的であるとは思えないけれども、一定の距離を保って (つまり、すべてを鵜呑みにはしないように) 発言内容を受け入れる必要はあると思う。

内容を吟味しようにも、発言内容の正当性についてどのような角度で疑問を抱き、何を調べてその根拠を掴めばよいのか、といった作業が、誰でもできるわけではない。例えば情報セキュリティに詳しい権威の人が情報セキュリティの観点で語った内容に対して、情報セキュリティに詳しく無い人が情報セキュリティの観点で正当性を確認するには、たくさんの基礎を習得せにゃならんし、そうやって情報セキュリティに関する専門用語や歴史、事実関係に基づいてその文脈を読みこなす能力 (まさにそれこそリテラシーってやつでんがな) を身に付けなければ、そもそも何を調べればいいのかすら分からないわけで、到底無理っちゅー話な訳だわね。おいらだって薬の話は大抵サパーリだし。

たくさん本を読んでいる人であれば、たくさんのことを知識として仕入れているわけで、結果、いろんな分野、物事に対してリテラシーを発揮できる。だからこそ、権威による発言に対して反論を寄せることもできるようになるわけで、そういう人がブログをやったりすると、元々有名人ではなくてもアルファブロガーと呼ばれるようになったりする。なぜなら、それらの物事に関して専門でやっている人々が、「こいつは話が通じる」っつって認めちゃうわけだから。そりゃあ多くの人々が耳目を集めるようになったって何の不思議も無い。

でも、そういう世界ってのは、まさに名を晒す権威がいて、署名する賢人がいて、初めて成り立つものなのだと思う。これが、全員が匿名ということになれば、全員がそこに書かれたコメントの文面だけから文脈を解釈しなければならなくなる。それこそ純粋に バックグラウンドに惑わされずに発言内容を吟味する 世界になるわけだけれども、しかし実際問題としてそのような世界にどれほどの需要があるのだろう?

おいらは何度も書くけれども、議論ってものの意義は知識を高め合うことにあると思っている。匿名だけによって繰り広げられる議論でそれは可能だろうか? 文面というものは、多くの人が感じているほど、公正なものではないよ。情報の正当性の根拠を文面からしか求めることができないのであれば、自然と、確かな知識を持つ者の発言よりも、言葉巧みな人間の発言の方が、表面的な説得力は高くなってしまうのではないか?

だからこそ、自分でよくものを調べて、人の言葉だけには惑わされるなと、いわゆる議論好きは言うのだけれども、そもそも自分ひとりで調べて真実を突き止められるんであれば、議論すること自体、必要ないんだよね。いろんな人が、各々の持っている知識を寄せ合うからこそ、そこに参加する各人に新たな発見を提供する。議論ってのは本来、そうあるべきものなんじゃないかと思う。

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