「やりたいことをやって生きるってのは、難しい」の一言に尽きると思う。2006年12月25日 23時33分43秒

まーた乗り遅れてますが。

はてブでの反応は、まさに賛否両論、といったところでしょうか。おいらとしては、賛同できる部分もあるし、浅はかだなと思う部分もある、といった感じです。

後から見つけたコメントとしては、Shiro さんによるコメント ((2006/12/19 05:38:35 PST) とある辺り) がかなり共感できます。

でも、ある日、不意に仕事に行く気がしなくなり、通勤電車のいつもとは逆方向の車両に乗ってそのまま「海を見に行って」しまったり、朝だるくて起きられず、そのままずるずると休み続けているうちに会社に行く気分がなくなってしまう自分の姿が妙にリアルに想像されるのである。
どうして、「不意にやる気がなくなる」のか、その理由はわからない。
でも、「不意にやる気がなくなる自分」には鮮やかなリアリティが感じられる。
たぶん、そういうことではないかと思う。

おいらの場合、実際に、とても朝が辛くなったり、休みがちになっていったりしていました。最後の年度は有給足りてなかったからなー。

もっとも、おいらの場合は仕事以外の副次的な要因が少なからず関係していたのと、体力的な限界があったことが主な原因なので、上記のリアリズムとはかなり異なるケースではあるのですが。

ニート・フリーター問題についての本を書いたが、その中で「労働は憲法に定められた国民の義務だから働け」ということを書いた。
たぶん、若い読者のほとんどはその意味がわからないだろう。
「ふざけたことを言うな」と激怒する人もいるかも知れない。
「働きたいけれど働く先がないのだ。これは個人の決断や趣味嗜好の問題ではなく、アンフェアな社会構造のもたらす問題である」というのがニート・フリーター問題における「政治的に正しい」回答である。

まぁ、フリーターも一応「働いている」ことには変わりないけどね。

実際、無職で一人暮らしとかしてみると分かるけど、収入なしに成り立つ生活というのはありえません。少なくともこの国では。公共料金も税金も年金も国民健康保険も義務として払わなきゃいけないからね。だから庶民レベルでは結果的に「労働は国民の義務」ということになる。でもそれを憲法がどうだからとか言われてもイマイチ説得力を感じない人は多そうだけどね。

働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。
残念ながら、若い人に提供される就職口の中で、そのような条件を満たすものは1%もない。
99%の就労者は「自分に向かない仕事、適性や能力を生かせない仕事、創造性のない仕事、見栄えの悪い仕事、賃金の安い仕事」のどれかまたはすべての条件を満たす仕事を選択しなければならない。
だから、彼らがある日ふと「もう会社行きたくないな」と思ってしまうのは当たり前田のクラッカーなのである。

当たり前田のクラッカー(笑)。

つか、実際のところ、仕事に多くを求めてしまったり、今の自分の仕事に言い知れぬ不満を抱いていたりする人々というのは、そもそも、じゃあ自分は具体的にどういう仕事を、どういうシチュエーションで、どういった待遇を以って行いたいという、明確なビジョンはあるのだろうか。例えば、「創造的な仕事をしたい」って言う人はいっぱいいるけど、じゃあ具体的にあなたは何を創りたいの? って聞いても、何にも答えられなかったりする。いや、答える人もいるけど、その場の思いつきで「え、ゲームとか、ブログとか、…」とか言い出したりする始末。別にオリジナリティなんかちっとも要らないけど、具体性に欠けていたり、動機付けがイマイチ見えてこなかったりするのは、流石にどうかと思うわけだ。

本当に何か特別にやりたいことがあって、今の職場ではそれを実現することが出来ないのであれば、行動は必要だと思う。梅田氏の言うとおりにね。もっとも、おいらはこの文章を読んで会社を辞めたわけじゃないけど ;-p 。でも、その「特別なこと」ってのが、具体的に言葉で説明できないうちは、多分、下手に動くべきじゃないと思う。てゆか、そういう状態では恐らく自分自身、そもそも「辞める」ことに対して勇気をもてないと思う。

でも、辞めちゃう人はいるんだよね。そして、そのまま何もせずに自堕落に生き続けちゃう人もいる。実家家族がそれを許しちゃっているケースも少なくない (それができるぐらい、この国は裕福で、平和だ) っていう事情も、確かにある。

仕事を彼らは「自己表現」のようなものだと考えている。
だから、気むずかしい芸術家が途中まで仕上げたキャンバスを「こんなものは私の作品じゃない」といってばりばりと引き裂くように、「こんなものは私の仕事じゃない」といって蹴飛ばすことが当然だろうと信じてしまうのである。

はてブでも指摘している人は何人かいたけど、社会が「創造的な仕事ができる人間」を若い人に求めたという事実を、無視して語るべきではないと思う。以前どこかで書いたことがあるような気がするんだけれど、これは高校での話、おいらの一年下の代の後輩達は、例年と比較して多くの割合の人が、理系コースへの進学を希望した。その要因の一つとして、文理コース分けの説明会の際に、今後の就職事情として、今後しばらくは就職難だが、工業系などにおいては「創造的な仕事ができる人間」 (いわゆる、ホワイトカラータイプ) が求められるようになる、だからそういう方面に進むためにも、理系コースを選んでおいた方が得をすることは多いよ、ということをまじめにアドバイスしていた (っていうか煽っていた) 教師がいた、というのが大きかったらしいのだ。同じ部活の某後輩など、数学もその他理科系の科目もどれもこれも苦手なのに理系に進んだ奴がいて、「何で理系にしたの?」って聞いたら、「いや、これからは創造的な方面に進んだほうがいろいろと有利なんですよ」とか言っていたり。

でも、実際には工業系はトヨタ以外横ばいで、IT 系はイマイチぱっとせず、彼らが就職先を探し始める頃には、「これからは福祉・医療系が有利」とか何とか言われるような時代になってしまった。彼が希望する職種に就くことができたかどうかは不明だけれど、でも少なくとも、当時の目論見があまり功を奏さなかったのは確かなんじゃないかと思う。

その点おいらは幸せだったのかな。なにせ、おいらが就職した会社の会社説明会では、説明を行う社員の人がキッパリと、「我々 SE の仕事は、サービス業です」と説明してくれた。独立系ソフトウェア企業とはいえ、請負で頼まれる仕事が多く、こちらからいろいろと提案することはあるものの、決して創造的な仕事ばかりではない、ということは説明された。それを納得した上での就職だったわけで、始めから「仕事は楽しいものだ」という概念を完全否定した状態で仕事に就くことができた。そして、実際に仕事を体験してみてから、意外と楽しむ余地もあるということに、少しずつ気付いてゆくこともできた。その代わり、出世意欲はまるで沸かなかったけれどねw。

ただ、この国の場合、どんなに弁えているつもりでも、本当に労働条件が苛烈すぎてついていけなくなるような現場というのも腐るほどあったりするわけで、そういう労働を強いる会社・現場に洗脳されながら働かされ続ける人々を尻目に、さっさと逃げちゃうのも一つの有効な手段・生き方だとは思うけどね。

「労働は義務」もいいけれど、全体主義も程ほどに。

ただ、ニートになっちゃったまま、何も行動せずに生き続けるのは、明らかに間違い。現実問題として、いつかお金はなくなるわけだし、養ってくれる親家族も永遠のものではない。それは覚悟しなきゃいけない。でもそれ以上に、せっかく多くの時間を自由に使えるチャンスなんだから、せめて、自分は何をやりたいのかぐらいは、悩みぬいて考えるべきだと思う。あるいは、そうして出てきたアイデアを、しらみつぶしに実践してみるべきだと思う。挑戦なしに実現はありえないのだから。

それから、自分のやりたいことを我慢して、とりあえず就職して働くことを選んだ為に、逆にいろいろと酷い目にあった挙句、結局は自分のやりたいことを実践する方向へと舵を変えた人もいるよ、とも書いておこうと思う。今はまだ具体的なことは流石に書けないけどね (おいら自身のことじゃ無いし、っていうかアニキのことなんだけど)。結局、「自信が持てて興味が持てる分野」以外のところでいくら一生懸命働こうと思ったって、大抵の場合うまく行かないわけで。。。

なんだかまとまらないけどいいや。とりあえず up しちゃおう。

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