「なんでべんきょーせなあかんねん」の補足2007年01月23日 11時43分25秒

とりあえず、前回書いた内容に対する補足。

ただ、そのおかげでまったくの怠け者になってしまうんだとしたらそれはそれでマズイし、なにより (4)騙されてひどい目に合いにくくなる ってのは結構大事なんじゃないかという気もするわけだ。

と、書いたわけですが、一方で、結城氏の記事のコメント欄に以下のように書かれていたのを見て、ちょっとドキッとした。

# moel 『勉強しないと、百円の物を2千円で買わされる世の中に、一生気づかずに、それどころか、それと知らずに、狂牛病の肉を食べさせられて死に近づいたり、自分の身を守るための、そういう選択枠が少なくなるからね・・今は。。』 (2007/01/22 23:44)

なんでドキッとしたのかと言うと、上記のような状況は、その本人にしてみれば、何も困るようなことじゃないからだ。100円のものを 100円で買えるようなものだと知らずに 2000円で買うってのは、よーするにそのものに対して 2000円の価値を見出すことができるぐらい、裕福であったりするわけだし、実際のところ実は全然裕福じゃなくて、借金してまで 2000円叩いて 100円で買えるようなものを買っちゃったんだとしても、彼にしてみればそれだけそれが欲しかったということであり、知らぬが仏、というか、それはそれで結構幸せなことなんじゃないかと思うわけだ。「程度の差はあるけどな」って思っちゃった人も、自分の価値観が凝り固まっちゃってることに気付いて欲しい。もっとも、よく調べもせずに買っちゃって、それが手元に届いてから (あるいは不動産で、現地に越してきてから、とか) 物凄くがっかりした、みたいなパターンは、流石に例外かもしれないけど。

だから、(4)騙されてひどい目に合いにくくなる ってのは、確かにメリットではあるんだけど、でも基本的な前提として、「人は騙されないように生きるべきだ」ってのがあるんだとしたら、それは違うと思う。みんな結構無意識のうちに騙されながら生きてるんだよ? たぶんおいらもそう。でも、知らなければそれほど腹も立たない。で、それなりに幸福に今を生きている。だったらそれでいいじゃない。何か問題ある?

ちなみに、「知識があれば人は騙されない」って本気で思っちゃってる人は、実際にとんでもないことで騙されてみたり、騙されそうになってみたりした経験のない人の意見だと思う。おいらとしては、騙される人か否かってのは、どっちかというと教養よりも性格や精神的健康状態に依存する部分の方が大きいように思う。自分のいた会社に勤めていた人間の何人かがメディ●スなんてマルチまがいに絡め取られちゃった現場を見てしまったり、自己啓発本を読みこなし、慈善事業なんてクソ喰らえ、神なんてクソ喰らえだと豪語していたはずの某友人が、うつに苛まれた末に神様がどーの、ホワイトバンドがどーのとか言い出すようになってしまったのを見てしまったりしたおいらとしては、激しくそう思うわけだ。


ついでというかなんというか、元ネタにぶら下がっていたトラックバックから、気になった記事をいくつかかいつまんでコメントしてみようと思う。

今回もっとも共感し、感動した記事。まぁ、リアリズムとしては微妙だし、突っ込みたい部分もないわけじゃないけど(イチローだって野球の研究はいっぱいしてたやろ、それかて立派な「勉強」やん、とか)、主旨として、

まあ子供勉強しようがしまいがこれだけ親子が会話できる家庭なら問題はないんだろうけどね。

勉強なんて後からついてくるものであって、

まずは「どうして勉強しなくちゃいけないの?」という質問について親子で話し合える環境を作っておくことが大事なんじゃないかね。

というのはまったく以ってその通りだと思う。肝心なのは、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という個別の問いに対する模範的回答ではなくて、子どもが真剣に聞いてくる問いに対して大人が真剣に答え、会話が成立するということ、それに伴う大人としての誠実さなんじゃないかと思うのだ。「こう答えればいいんじゃない」っていう個別の案があって、それにどれだけ共感・共鳴を覚えたか知らないけど、それをそのまま実際のシーンに当てはめてしまうようじゃ、結局のところ、就職活動で面談試験の際に対策本のマニュアル通りに受け答えしちゃうような迂闊な不誠実さとなんら変わらないんじゃないか!??

ましてや、相手はお子様だ。そんな不誠実な対応は、あまりにも残酷すぎる。

だから、結局のところ、「自分で考えて思ったとおりのことを答えてあげるしかないんじゃね?」というのが、本来のもっとも正しい (この相談に答える人間としての) 返答なんだろうけれども、かといって、いくら考えてみたところで、自分が実際のところどう思っているのかさえよく分からないという大人も少なくないような気もする。その場合は、まぁ、素直に、「俺もよくわかんない」って答えるべきなんじゃないかな。で、それで終わりにしちゃうんじゃなくて、そこから更にいろいろと考えてみたり、それこそその後で、周囲の人やネット界隈なんかにその出来事を持ちかけて、議論に発展させてみるってのは、アリだと思う。

賛成とも反対とも言いづらい意見。いくつか言いたいことを書いてみる。

まず、そこで勉強させない方がよっぽど犯罪的 みたいなことを言う人は、そこで想定される「勉強」ってのがどの程度のもののことを指すのかを、もうちょっと具体的に説明して欲しいと思う。「必要だから勉強してもらう (するべきだ)」という発言に対して子どもが納得するには、どれだけの知識が、どういうケースで必要になるのか、という部分が説明されることが、どうしても必要になるんじゃないかと思う。それを怠って、「とにかく将来必要になるんだから」と論を押し付けてしまうようでは、説得力は小さい。

基本的教育を終えた後で「別の人生」を選ばせるべきであり も然り。少なくとも小中学校の勉強を放棄して展望も見えないうちから とは言うが、小中学校で教えている内容のすべてが必要になる人が、世の中にどれだけいるだろう。あるいは、小中学校の教育要綱に関して、それらの教養としての社会的必要性を、論理的に説明できる教育関係者が、果たしてどれほどいらっさるのか。

実際のところ小学一年生が「なんでべんきょーせなあかんねん?」なんて聞いてくるうちはまだ、ごまかしも効くのだ。それが、成長してゆくにつれ、各自の嫌いな、あるいは苦手な科目を名指しにして、その不要性について、より具体的に糾弾し始める。そうしたときに、真摯な反応を示せる大人が、どれほどいらっさるのか。

次。大人になってから後悔 というのは、おいらは実はそれはそれでいいんじゃないかと思ってる。とても無責任な考え方だと思われるだろうし、実際無責任なんだけど、学びが浅いことに対する後悔の念に対して、彼の学びに関わった大人 (親、教師、その他もろもろ) が責任を感じなきゃいけないって考え方の方がよっぽど異常だ。成長してゆく過程で、そういう後悔は誰にでも少なからずあるものだ。でも、その後悔が「本当に必要な後悔」なのか、今の自分の生き様を見つめなおして欲しい。今からでもできることはいくらでもあるはず。そしてその、「できること」のいくつかに実践する姿をみせる方が、よっぽど子どもにとっては刺激になるはずだ。「勉強しないと大人になってから後悔するよ」なんて言わないで、「俺だって勉強してる。●●しなきゃならん (or したい) からな」って言ってみせろよ。その方がよっぽど感心できる。

それから、後者のブログからの引用なんだけれども、

私が小学生のとき通っていた個人塾でも
子供に勉強を強いることに疑問を持っていた講師がいた。
そしてその旨を子供に伝えてしまい講師は親とトラブルを起こした。
私の意見はその経験を根拠にしている。

これは切実だと思う。それに、初出の問いにおけるシチュエーションを考慮したうえでの思考になっている。だから、「確かにその通り」だとは思う。思うんだけど、やっぱり腑に落ちない。確かにその人は塾の講師で、講師と生徒の関係、なんだけれども、それ以前に、人と人なのであり、少なくとも子どもは「大人の人」である講師に問うている。そういう場面で、あくまでも「講師としてのタテマエ」を優先してしまうのは、「人としてのコミュニケーション」を否定する行為であり、とんでもなく不誠実だ。

だから、そういう意味では、まんまタテマエを答えさせるんじゃなくて、トラブルに発展しない為の根回し的なアドバイスという形にしてあげて欲しかった。確かに講師という立場で「無理に勉強せんでもエエのよ」と生徒である子どもに吹聴するのはマズイ。まずいことはわかってる上で、それでもやっぱり本音のところは伝えたい。そういう状況で、トラブルにまで発展するという「最悪の事態」に対して覚悟を決められるのであれば、正直にタテマエと本音の両方を伝え、本音のほうは二人の間のヒミツであることをしっかりと約束させる。そういうコミュニケーションを成立させるってのが、実は結構大切なことであり、また有効でもあるんじゃないかと思う。つか、一人ぐらいそういう大人がいてくれないと、子どもはほんとにやってらんないよ。まぢで。

あとあと、...なんて会話、胸くそ悪くなってくるっちゅうに ってのは、実はいくらか同感 (^_^; 。でも、これも、その内容が学術的にスバラスィものばかりだから、そう感じちゃうんだと思う。イマドキ、ネット界隈じゃ「ドラゴンボール」でさえ、立派な教養だぜ。フツーに好きで、面白くて読んでたマンガが、コミュニケーションを円滑にする為の「教養」として、フツーに役に立つわけだ。これを「勉強」といわずしてなんていうの? 勉強って、そういうもんでしょ。

と、ここまで書いて、そもそも「勉強」ってのが何なのかを子どもに説明できることも大切なんじゃないの、と思えてきた。嘘。最初っから思ってた。単純に「知識を重ねる」ことであるなら、マンガ読むのだって立派に勉強だ。ゲームも然り、TV も然り、ネットヲチもまた然り。更にいえば、いろんなゲームに手を出すのも勉強ならば、一つのゲームをとことんプレーして研究し尽くすのもまた、勉強だ。勉強には、本当にいろんな種類、形がある。量も大切だし密度も大切だし、種類ももちろん大切だ。種類に関して更にいえば、どれを選択すべきかを自分で考えるってこともまた、とても大切なことだ。

学校教育が勉強のすべてではない。それどころか、必ずしも基礎ですらないかもしれない。実際のところ、学校で習ったことが基礎となるか否かは、その人の生き方次第でどうとでも変わってしまう。少なくとも、おいらが子どもの頃に、パソコンでプログラムを組む授業なんて存在しなかったよ。だからおいらは幼稚園生のころに親父が買ってきた 8 bits マイコンの BASIC でプログラミングの基礎を独習した。小学校高学年とか、中学生とかのころに。ゲームを作りたかったから。ゲームを作るのが楽しかったから。でも、あるときおいらが教室でノート広げてプログラムを書いたりしてたのを傍から見たクラスメートが、なんだこれ、全然わかんねって言った。おいらのことを一方的にキモイオタクだと罵るやつもいた。でも、そういう連中がいたからこそ、「これは将来仕事にできる」っていう確信を得ることもできた。

勉強するってのは、そういうことをいうんじゃないかと思うんだ。だから、だからこそ、それをする為にまず必要なのは、「知りたい」って思えることを、見つけ出すことなんだ。

実は、この部分が本当に、物凄く物凄く難しくて、大変なことなんだ。おいらみたいに、何かのきっかけで簡単に見つけられちゃうような人もいれば、一生をかけても見つけられない人もいるだろう。そう考えれば、少なくともおいらは、「必ずしもすべての人が勉強しなくちゃいけないわけじゃない」という回答を、出さざるを得なくなってしまうんだ。この回答は、すなわち、「必ずしもすべての人が幸せにならなきゃいけないわけじゃない」って言っているのとほぼ同じことだ。とんでもなく哲学的なことだ。

こんなこと、果たして子どもにいえるのか? 言っていいことなのか?

だから、おいらは、最初に雑感として、こう書いたわけだ。もう一度引用しておくよ。何気なく書いてるようで、おいらとしてはとても大切なことだと、重要なことだと思っていることだ。

でも、大抵の人は、自分が「何を」知りたいのかすら、分からないんだ。 学校って場所では、「一般的」だとか「基礎」だとかいわれているようなことの何種類かを、とりあえず教えてくれる。 そういうものの中から、君が「知りたい」と思えるようなことのヒントを拾い上げることができれば、それはそれで幸せかもしれない。

もちろん、学校なんて場所に限定されるわけじゃない。利用できるものは何でも利用すればいい。図書館はタダだし便利だけど、必ずしもそんな立派なものじゃなくてもいいよ。公園とかあれば体動かして遊ぶうちに体験することだって、何かのヒントになるかもしれない。その辺に転がってる石を池に投げてみたり、その辺にのたまってる毛虫を棒でつついてみるだけでも、何かのヒントになるかもしれない。テレビゲームが好きで好きでたまらないならそれを研究するんでもいいよ。波長があっちゃったものを無理に引き剥がすなんてそれこそ激しくもったいない。サブカルチャーだって研究し尽くせば立派な学問になる。そんな立派なものでなくたって作るにせよ遊ぶにせよそれに類する仕事はいくらでもあるし、作れる。いろいろと学んだ上で大人になってしまった時にどう生きるのかは、そのとき考えればいい。

無駄な勉強はないし、無駄な怠惰もない。強いて言えば、考えずに生きることに比べれば、いろんな悩みに頭を抱えながらも、それらをこなしたりこなさなかったりすることの方がよっぽど大切だ。一方的な学校教育の枠にはめられ、そういう日々を強いられることに対して考えることを放棄しながら生きることの方が、よっぽど不幸だ。

腹へった。この辺にしとこ。執筆時間約 2時間。

コメント

_ @DRK ― 2007/01/23 22:45:50

親御さんとしては、最低限学校の勉強と言う「社会人としての共通言語」ぐらいは学んで欲しい、というキモチはまあ分かりますよ。それが無いと話しにならん事も多いし。残念ながら知識レベルとコミュニティは相関する事が多い。
ただこんな話もあるから困ってしまうところだろうなぁ、特異ケースだが。
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/kazoku/20070122sy11.htm?from=os1

勉強が嫌いだと言うのは、勉強にリアリティがないからで、その辺をカバーすることから始めるしかないんじゃないかね。
まずは、算数の授業は全て単位を円にしようか。金勘定だと不思議と計算できるんだよなぁw

騙す騙されるの話は、ドラゴン桜思い出す。長澤まさみの可愛さは異常。
「お前ら騙されたくなかったら、勉強しろ!」
「バカとブスこそ東大に行け!」
そんな消極的な理由での勉強はあまり勧めたくはないが。
騙される事を防ぐと言うより、ほとんどの人間が騙されている中で頭を使うとちょっとトクをしますよ、って話。騙される、っていうのは個人個人の話じゃなく、社会システム的な部分。

命題の「なぜ勉強しないといけないか」と言う問いは、かなり嫌な考え方なんだよね。
勉強は自分でやるものだから。
したくないというならしなければいいと思うし、それでどうなるかは自分の責任にしか出来ないとも言ってやるが。

ただし「学校の勉強だけやれとは誰も言ってないから」とも重ねて言っておきたい。

あーまとまんねーな。散文スマソ

_ T.MURACHI ― 2007/01/24 12:20:11

>@DRK
それを「特異ケース」だと言い切れるかどうかは微妙。高校二年ぐらいのときだけど、おいらにもそういう時期があった。そこまであからさまじゃなかったかもしれないけど、明らかにヒステリックになった。「勉強しないとタイヘンなことになる」っていう強迫観念に駆られて、晩飯時に部屋に閉じこもって親が呼んでも泣き叫んで拒否したり、定期演奏会前で一番練習しなきゃいけない時期に合奏サボって教室で居残り勉強やって先輩に泣かれたり (←これが一番辛かった、ていうか、効いた)、ホント、いろんな人に迷惑かけました。
そうやって迷惑かけて何やってたかって、大抵某 ume な人が出す数学の課題とかだったんだけどね。あの人は一生懸命なのは素晴らしいんだけど課題大杉っていうか、おいらが要領悪杉っていうか。
で、そういうのが自分自身なんだかばかばかしくなってしまって、そのおかげで一番勉強しなきゃならない受験前半年ぐらいが一番勉強しなかったよーな気がするw いや、ホント、勉強しなかった。学校の勉強も受験対策も全然やってなかったし、それどころか学校以外での勉強も全然やらなかった。コンクールで結果を出せなかったショックを (その原因の多くをおいらが背負っていたっぽかった事もあって) 引きずっていたのもあったし、とにかく何をするにも無気力な時期だった。うんず、フリコレの終焉も大きかったねぇ。。。で、こんな時間が更に1年も2年も続くのなんて到底耐えられんと思って、浪人せずにあの大学モドキにさっさと進学 (進学?) してしまったわけだけんども。

なんつーか、煽る高校だったからね。特に数学の教師連中は。そういう意味では最低の高校だった。まぁ、「進学校」とか言われるようなとこ (あるいは、そういうのを意識してるようなとこ←うちの高校はこっちだなw) は大体どこも似たり寄ったりなのかも知れんけど。

あー。嫌なこと思い出した。あのころはこーゆーいやなこと以上に、おもろい事もいっぱいあったはずなんだがなー。

_ T.MURACHI ― 2007/01/24 12:36:42

そうそう、おいらと同じようにヒステリックになっていた子が、部活で同じパートの後輩にもいた。その子もやっぱり同じように、ちょうど定期演奏会前で一番練習しなきゃいけない時期に合奏サボってた。で、話を聞いてみたら、やっぱり「今勉強しないと、タイヘンなことになっちゃうんです」みたいなことを言ってた。おいらと同じだと思って、泣きそうになりながら、おいらにもそういう時期があった、って、教えてあげた。で、それでもまぁ、なるようになるからだいじょーぶだ、というような雑感を伝えたら、それが救いになったのかどうかは知らないけど、それ以来、ちゃんと練習にも出てきてくれるようになったと思う。

確かに、同じようにヒステリックになる子は、決して多数派ではないかもしれないけど、無視できるほどのレアケースではないと思うよ。隠して耐えている子もいるかもしれないし、そういう時限爆弾抱えた「我慢する練習してます」タイプが大人になってから一番ヤバイような気もするし (あいつが根拠になるのかどうかは、知らん、はっきり言って)。

_ @DRK ― 2007/01/24 18:23:23

愛の伝道師は確かに課題多かった。けどあの人のおかげで数学がまだ心底嫌いじゃなかったかなぁ。理系にも行けたし(数学の点がかなりヤバかったw)
まああの学校の善し悪しは置いとこう。俺は雨雪の時のバスの遅れっぷりこそ最低だと思うからな。

なんか読んでいるうちに学歴社会がそもそもの原因だと再認識。
なんつーか、勉強に波があるんだよね。受験の前はみんな勉強するくせに、終わればさっぱり勉強しなくてバカな大学生量産しちゃってるし。
どうせ一生勉強するんだから、せめて大きな波風は立てないようにしたいねぇ。
もっとも「試験」は無くす事は出来ないから、勉強の波風も立たないわけがないが。

しかしなんで勉強が嫌いなのか、正直なところ理解できない。
正確に言うと「全ての勉強が」か。
嫌いな教科はあったけどそういうのは赤点取らない程度に適当にやってて、好きな教科(化学とか)は気合いれてやってた。中学校では反吐が出るぐらいに美術が嫌いで、課題も適当にやったかシカトしてたな。
今悩んでいる子供達は完璧を求められて苦悩しているんじゃねーの。そういう子供に、好きな教科は?と是非聞いてみたいものだ。
そういう話をすれば、何か変わるんじゃないかな。

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_ 買ってしまおよ何もかも - 2007/01/25 00:50:09

「なんでべんきょーせなあかんねん」 国民宿舎はらぺこ 大浴場から
前エントリーどうして勉強しなきゃいけないの?の議論にムズムズに
言及をいただいたのを受けて、
前回のエントリで書けなかったこと、まとめきれなかったこと、
自分へのエクスキューズを含め補足説明...

_ 国民宿舎はらぺこ 大浴場 - 2007/01/25 09:57:42


どうして勉強しなきゃいけないの?の議論にムズムズ その2 (買ってしまおよ何もかも さま)


tb どもです。

おいらとしては、この問いに対して、「誰もが 勉強をしなきゃいけな

_ 脳脳りんく - 2007/01/26 02:58:24

人力検索はてな - 【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられ..に対する記事が流行っているので、それについて全然無関係な雰囲気の文を書いて